一般社団法人吉野と暮らす会は、2025年大阪・関西万博の「Co-Design Challengeプログラム」を通じて、万博会場へ「吉野材のベンチ」を提供する。吉野地域では、3世代100年に渡り、良質な木を育てている。今回提供する「吉野材のベンチ」を「持続可能である木の暮らし、その循環を象徴するもの」として、そのストーリーを多くの人々に伝えていくことをめざす。そのプロジェクトについて、4回のシリーズ企画で迫る。
※シリーズ記事は、「Co-Design Challengeプログラム」のホームページに公開しています。各記事は、取材時点の情報のため、プロジェクトの進捗や開発状況によって当時から変更となった点などが含まれます。
「伝えたいのは木の循環のストーリー」 奈良・吉野の後継者たち 次世代に向けて Vol.1
ベンチ材を確認する吉川さん、辻さん、丸さん(左から)
欧州の「石の文化」に対し、日本は「木の文化」で世界に知られる。奈良県吉野地域は500年の歳月をかけ、その文化の担い手として「木の循環」を引き継ぎ、守り続けてきた。吉野の後継者たちがCo-Design Challengeで世界に向け、「循環の中に存在する吉野材のベンチ」を送り出す。新しい吉野ブランドを再構築するため、ベンチに込めたストーリーを伝える。
“一目千本”の山桜で知られる吉野地域は、古くから「木のまち」としての顔ももつ。特に、玄関口の近鉄吉野線・吉野神宮駅周辺は、原木市場や製材工場が立ち並び、木材の流通拠点「吉野貯木場」として栄えてきた。ところがいまは、全盛期の5分の1程度まで事業者数が減り、少し寂しさが漂う。
「子どもの頃はすごく活気があったが、ここ数十年でどんどん人が離れていった。林業や製材業の衰退が全国で進んでいるが、500年の歴史をもつ吉野も例外じゃない」。駅近くの「吉野中央木材」専務取締役、石橋輝一は実感する。石橋は県外の大学に進学し、大阪や東京で会社勤めを経験したが、27歳で家業を継ぐために戻った。同じように製材業の親のもとで育った同世代の多くは、いまも故郷を離れたままだ。
吉野地域は日本の造林発祥の地とされる。1ヘクタール あたり8000本以上を植林する「密植」、10年おきに少しずつ間引きする「多間伐」、樹齢100年以上まで育てる「長伐期」。三つの独自手法で、長い年月をかけ、丈夫でまっすぐ、美しい色艶、柔らかな香りを放つ特性を育んできた。緻密(ちみつ)な製材加工技術を経て、全国に送り出されたスギ、ヒノキは、高度経済成長期の旺盛な木材需要を支え、「吉野材ブランド」を盤石なものにした。
それでも、時代の荒波には抗えない。木造家屋の減少や輸入材の自由化などで、1970年代に最盛期だった木材価格は下落の一途を辿(たど)り、製材所の稼働率が悪化。比例するように担い手も減り続け、創業者が一代限りで暖簾(のれん)を下ろすケースが相次いだ。
そんな危機に立ち上がったのが、後を継いだ有志で2012年に結成した「吉野と暮らす会」だ。やはり、Uターンで家業を継いだ「丸商店」代表取締役、丸充彦は振り返る。「離れてみて初めて気づいた。吉野材の特徴や技術、木のある暮らしは一朝一夕では築けない。大切に引き継がれてきたものを守り続ける。これは後を継ぐ者の宿命だと」。石橋や丸、さらに若い世代を加えた20~40歳代の10人程度で、500年にわたってつないできた「木の循環」を伝える活動をスタートさせた。
「伝えたいのは木の循環のストーリー」 奈良・吉野の後継者たち 次世代に向けて Vol.2
吉野ブランドのベンチ材
「日本の森を、林業や製材業を守らないといけない。そういうフレーズをよく耳にしてきたが、ピンとこなかった。ここで生活して、その理由がようやくわかった」
大阪市から2021年、吉野町に移住した吉川晃日は打ち明ける。大学4年だった19年、吉野川のほとりの小さなゲストハウス「吉野杉の家」を訪れたことがきっかけだ。運営する「吉野と暮らす会」の辻健太郎(辻 木材商店)らと交流し、木の暮らしを体感した。地域が抱える課題をネガティブにとらえず、木の生かし方を面白がって探る姿に魅力を感じた。
品質だけではない、新しい吉野ブランドを再構築したい。同会が思い描くのは、吉野だからこそ発信できる「木の循環」のストーリー。「山に自然と生えている木が建材や木工製品に使えるわけではない。生活を彩る木材がいまここにあるのは、数百年もの時をかけ、多くの先人が木を植え、切り出し、製材して乾燥させ、利用して得た収益を山に還元する営みを粛々とつないできたから。この循環が途絶えれば、木のある暮らしそのものが失われてしまう」。辻は力を込める。
製材した木は強度を高めるため、半年から1年程度、じっくりと天然乾燥させ、熟成させる。この工程の生材をベンチにして、香りや手触りを五感で味わってもらえば、世界中の人たちにストーリーを伝えるきっかけになるのでは。この着想がCo-Design Challenge参加の決め手となった。吉野材でオーダーメイド家具を製作する「グリーンフォレストエンタープライズ」代表取締役、田中寿賢は「循環をつなぐため、新たな価値を生み出そうと、モノづくりに取り組む職人の姿や思いも同時に伝えられれば」と万博に期待をかける。
吉野貯木場の街歩きや空き工場でのワークショップ。吉川はいまでは同会の中心となり、木の魅力や可能性を再発見できる企画を次々と打ち出している。「木を育て、山を守ることは地球温暖化対策や防災にもつながる重要なカギを握る。暮らしの中で減ってきた、人と木の接点を作り直すことで、多くの人に遠い世界の出来事ではなく、自分事としてとらえてもらいたい。自分がかつてそうだったように」
いま、吉野町には木に関心を抱く人たちが世界中から訪れる。同会では、空き工場を多くの人が集える広場に整備するための準備を進めている。万博閉幕後は、地域に戻ってきたベンチを広場で活用したり、新たな木製品の材料にしたりして、その収益を山の整備に活用し、循環させていく予定だ。「次世代にバトンをつないでいくため、吉野という地域、循環を支える担い手の姿、両方合わせて目を向けてもらいたい」。石橋の言葉は、同会みんなの願いだ。
有限会社グリーンフォレスト・エンタープライズ 代表取締役 田中 寿賢さん
「伝えたいのは木の循環のストーリー」 奈良・吉野の後継者たち 次世代に向けて Vol.3
試作品の「吉野材のベンチ」
2024年4月、ついに試作品のベンチが完成した。鮮やかな木目の吉野杉5本がどっしりと座面に並び、脚の素材に使われたH形鋼と相まってインダストリアル(工業的)な雰囲気を漂わせる。シンプルながらも無骨なデザインは、木に印字したロゴ「吉野貯木場」のイメージが素地になった。「貯木場内いっぱいに並んだ桟積みを目にする度、なぜか興味をそそられ、ワクワクした。そんな子供の頃の原風景をカタチにしたかった」。デザインした富松暖は、そうコンセプトを明かした。
世界三大デザイン賞のうち二つの受賞歴がある富松は東京生まれだが、故郷で子育てしたいという父親の希望で、3歳から学生時代まで吉野町で過ごした。木を乾かすため、桟を敷いた上に何段にも重ねられた「桟積み」が広がる貯木場内を眺めながら、学校に毎日通った。その光景はいつしか、吉野を象徴する記憶として脳裏に焼き付いていった。東京の大学に進学後、デザインの道を究めるためにイタリアに留学。帰国後は東京を拠点にキャリアを築いた。だが、子どもが生まれ、今後の生活を考えた時、自然に父親と同じ選択をしていた。2020年、吉野町に家族で移住。「吉野と暮らす会」の仲間と吉野ブランドの再構築に動き出した。
試作品の仕上がりと同じ頃、富松がデザインしたモニュメントが吉野貯木場に設置された。見た目はベンチ以上に桟積みそのもの。「貯木場のシンボルとして、これ以上のものは浮かばなかった。この風景を未来につなげるため、万博会場でベンチに座った人にここを訪れ、木の魅力に触れてもらいたい」。デザイナーとしての感性を育んでくれた吉野を思い、富松はそう願う。
吉野貯木場では2024年10月中旬、木の祭典「よしのウッドフェス」が2日間にわたり催された。多くの人が工場見学や木工体験で学びを深め、一本下駄(げた)飛ばしや年輪当て大会などを楽しんだ。企画した吉川は「まずは、吉野材の可能性や面白さを体感してもらう。そこを入り口に、木は暮らしや食文化に密接に関わってきたことにもアンテナを向けてもらいたかった」と話す。大阪・関西万博の来場者をいかに吉野にいざない、木の循環の大切さを知ってもらうか。ベンチ製作と並行して思案中の仕掛けづくりも、そこにヒントがあるようだ。吉川は「Co-Design Challengeを通じて万博を機に、吉野ブランドを知らない若い世代や海外の人にもリーチし、木に関わるプレーヤーを一人でも増やしたい」と決意を語った。
「伝えたいのは木の循環のストーリー」 奈良・吉野の後継者たち 次世代に向けて Vol.4
完成した5台の「吉野材のベンチ」とプロジェクトメンバー
(前列左から)富松さん、辻さん
(後列左から)石橋さん、丸さん、田中さん、吉川さん
吉野山に雪が舞った2025年2月初旬。Co-Design Challengeに関わった6人全員が久しぶりに顔をそろえ、最後の工程となるロゴの印字作業が行われた。木の循環を伝える「吉野材のベンチ」。完成した5台の座面は木目や色つやなどすべて表情が異なり、それぞれにふくよかな香気を放っていた。
「座ってもらえれば、吉野材の軟らかい質感がきっと伝わるはず。世界中の人たちに吉野という地名を覚えてもらうきっかけになってほしい」。田中は側面にしるされた「吉野貯木場」の文字をなぞり、いよいよ開幕する万博に声を弾ませた。デザインを担当した富松も「B to B中心の吉野貯木場からベンチのようなエンドプロダクト(最終製品)を生み出し、吉野を知らない全国、世界の人たちの目に触れ、評価してもらった時、新たな気づきや視点が生まれるかもしれない。どんな感想が寄せられるか今から楽しみ」と期待を寄せる。
吉野ブランドの再構築に動くメンバーたち。辻は昨夏から本業に加え、担い手不足が深刻な林業にも携わるようになった。「一人加わったぐらいで状況は変えられないかもしれないけど、相談しあえる仲間がいるので、みんなで知恵をだしあって、新しい人が入ってきてくれるような一歩になれたらいい」。石橋は「Co-Design Challengeでは新たな出会い、共創に恵まれ、木の魅力をアピールする様々な着想のヒントをもらえた。会期の半年間、ともに連携して発信をしていけば、それぞれに面白い発展につなげていけそう」と展望を描く。
その一つが、Co-Design Challenge2023選定企業の「象印マホービン」とのコラボレーションだ。「丸商店」の緻密な彫り込みの加工技術を駆使し、マイボトル洗浄機のサイドパネルを吉野杉で製作している。丸は「吉野材をあわせることで、温かみを加えられると感じた。他企業との取り組みが進むことで、吉野の木や加工技術に興味をもつ人が増え、これまでになかった活用のアイデアを生み出すことができれば」と話す。
そして、共創はものづくりだけにとどまらない。Co-Design Challenge2024に選定されている友安製作所の松尾泰貴を「よしのウッドフェス」に招き、吉野の未来について意見交換することもできた。
「木のまち」吉野は今後、どんなストーリーを展開していくのか。「様々な地域とオープンファクトリーで連携し、技術協力やイベントなどでつながりを深め、万博をテコに高まる集客力を相互に波及させていく。そんな未来をつくっていきたい」。吉川は万博での飛躍を誓った。
「吉野貯木場」のロゴをベンチ側面へ印字する様子
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Co-Design Challengeとは?
Co-Design Challengeプログラムは、大阪・関西万博を契機に、様々な「これからの日本のくらし(まち)」 を改めて考え、多彩なプレイヤーとの共創により新たなモノを万博で実現するプロジェクトです。
万博という機会を活用し、物品やサービスを新たに開発することを通じて、現在の社会課題の解決や万博が目指す未来社会の実現を目指します。
Co-Design Challengeプログラムは、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会が設置したデザイン視点から大阪・関西万博で実装すべき未来社会の姿を検討する委員会「Expo Outcome Design Committee(以下、「EODC」)」監修のもと生まれたプログラムです。
※EODCでの検討の結果は