石川県能登にある酒蔵「数馬酒造」は1869年に創業し、「能登を醸す」を経営理念に、醸しのものづくりで能登の魅力を高めることを使命としながら、日本酒「竹葉(ちくは)」を造り続けてきました。従業員19名(2024年8月現在)と小さな酒蔵ではありますが、少しずつファンを増やしながら、国内外のお客様へ能登の風土感じる日本酒をお届けしています。
しかしながら2024年の元日、最大震度7の地震が能登を襲いました。能登の風景は一変。酒造りの最盛期を迎える数馬酒造もまた大きな被害を受けました。このストーリーでは、被災後から現在に至るまでの数馬酒造の復興への歩みや挑戦についてお話しいたします。
能登半島地震による深刻な被害。酒造りが完全にストップし、呆然とした日々
2024年元日、新年の心改まる日に能登半島地震は発生。これまでに経験したことのない揺れと津波が能登半島を襲いました。
数馬酒造ではお正月の午後ということもあり、蔵は無人のため幸いにも人的被害はありませんでした。しかしながら建物の被害は少なくなく、木造建物は傾き、壁面の崩壊、広範囲の地盤沈下と地割れ、津波の浸水と汚泥などがありました。また保管中だった800本以上の酒瓶が破損しています。
<津波が残した汚泥>
さらに、同じ能登町内には清酒蔵の他にリキュール蔵と醤油蔵があります。かねてより有事の際は無事な他の蔵での酒造り継続をと備えてきましたが、予想をはるかに超える規模の地震により、残りの二蔵も被災。建物の被害は例にもれず、タンクが倒れ、商品の損失もありました。そして全ての蔵で断水が続きました。
<建物の被害が大きく、醤油のもろみが流出 醤油蔵>
1月は「寒造り(かんづくり)」と呼ばれ、香り高い吟醸酒を仕込むなど日本酒造りの最盛期です。そんな肝心な時期に酒造りは完全にストップし、能登の契約農家様から預かった55トンものお米が蔵に残された状態でした。当初は何から手を付けたらよいのか、まさに途方に暮れるとはこのことかと呆然としたことを思い出します。
社員が一丸となって進めた復旧活動。社員全員が揃い、感謝と喜びで迎えた再出発
当日は約半数、9名の社員が出社しました。立ち入りが危険な場所を確認した後、まずは通路の確保のために、割れた扉、崩れた酒瓶の片付け、汚泥の清掃を行いました。断水のため、汚泥の清掃も思うように進みません。また、被害箇所が広範囲であることから酒蔵の復旧には遠い道のりがあることを思い知ります。お待ちいただくお客様へはご心配をおかけし、また商品をお届けすることができずに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
事業継続をと動き出しはしましたが、避難所や自宅避難中の慣れない生活と疲労から体調不良者も多く、重ねて各家庭の事情などもあり、当面の間は、社員の健康回復と生活安全を最優先事項とし、出社作業は午前中のみとしました。しばらくは蔵元を含む数名の出社に留まる日が続きました。
<商品破損の多さに気が滅入ることも>
1月中旬になると余震の頻度が落ち着き、蔵内の片付けも本格的に進められるようになりました。この頃から、作業中にも笑い声が出るようになってきました。
その後、社員全員の出社が叶ったのは能登半島地震から39日目、2月9日のこと。また全員が一堂に会したのは3月8日のことでした。それがどんなに奇跡的で有り難いことか。一人一人の無事とたくさんの努力に感謝し、こうしてまた皆で始動できることを本当に嬉しく思いました。
支援の手で救われた「もろみ」。震災を乗り越えて誕生した「Saved by」シリーズ
出来ることから少しずつ復旧を進めている状況の中、案じていたのは醗酵室に残された「もろみ」です。能登産の米と水で仕込み、微生物の力を借りてゆっくりと醗酵するもろみは、蔵の中でじっと助けを待っていました。醗酵室のタンクの中には、年始早々に清酒と酒粕に分ける上槽作業を迎える予定のもろみもありました。自力ではこれ以上どうしようもできないと諦めかけていた時、県内外の酒蔵様から救いの手を差し伸べていただきました。
蔵内のもろみを運び出し、別の蔵で日本酒を造るという共同醸造はほとんど前例のないことでしたが、1月17日から10日間にわたり、県内外の酒蔵様のご協力のおかげで、仕込み中のもろみ約1万5000Lを搬出することができました。一度は諦めかけたもろみを、日本酒にすることができること自体、筆舌に尽くしがたい感謝です。ご支援くださいました各酒蔵様もまた酒造りの最盛期であり、多忙を極める中にもかかわらず、迅速かつ温かなお心でご対応していただきましたことには、尊敬と感謝の念が堪えません。
<溢れる芳醇な香り。もろみの無事を確認できて安堵>
完成した日本酒は「Saved by(セーブドバイ)シリーズ」として、5品を3月より順次販売しました。お酒をお受け取りになったお客様からは沢山の嬉しいお言葉をいただきました。その度に有り難さを噛みしめ、喜びが溢れます。同時に、皆様においしい日本酒をお届けすることが、私たちの喜びであり、使命であると、身に沁みて感じました。
契約農家と共に乗り越える、「能登を醸す」という経営理念が支えた委託醸造の決断
2月に入り、当面の目標を定めました。瓶詰め再開を3月11日に、酒造り再開を3月25日に設定し、これに向かって活動していくことに。この時、断水はいまだ解消されていません。通水の目途は発表されていたものの、日に日に後ろ倒しになっている状況でした。しかしながら、この状況下でも酒造り再開を最優先事項と決心します。まさに復興に向かう決意でした。
数馬酒造は2020年から全量能登産のお米で日本酒を醸しています。能登の契約農家様と協力して、2014年からは能登の耕作放棄地を開墾し、水田に戻した農地は東京ドーム6個分に及びます。
被災後も酒造り再開に注力したのは、能登の契約農家様たちに今後も能登の地でお米を変わらず栽培していただけるよう、私たちにできることはお預かりしたお米をしっかりと日本酒にして、皆様にお届けすることと考えてのことです。契約農家様からは「なんとしてでも今年も米を作りますから」と頼もしいお声掛けをいただき、心強いパートナーを前に私たちのすべきことがより明確になりました。
<水田づくりから共に取り組むパートナー農家様(2020年撮影)>
しかし、現実は上手く進みません。断水解消の兆しは見られず、このままでは大切に育てていただいたお米の全てを今期中に日本酒にすることが、私たちの力だけでは到底叶えられなくなります。この窮地を救ってくださったのもまた、県内外の同業の皆様でした。私たちの能登への想いを受け止めてくださり、他の酒蔵様で自社ブランド製品を製造する「委託醸造(いたくじょうぞう)」という形でお力をお借りすることとなりました。
委託醸造については当初から少なくない葛藤を抱えていました。大変有り難いお声掛けながらも、委託先の酒蔵様のご負担を思えば、簡単な話ではありません。そして、自社で醸造していない商品を、「竹葉(ちくは)」と名乗ってよいのだろうか。造り手として置かれている現実への不甲斐なさと悔しさと、有り難さが入り交じります。さらに、もろみを救出していただいた上に、重ねてこれ以上のご支援を頂いてよいのだろうか。そんな考えもよぎっていました。
複雑な心中を納得させてくれたのは、「能登を醸す」という私たちの経営理念でした。委託醸造で“能登”のお米を、県内外の酒蔵様と協力して共に“醸す”ことは、能登の持続可能なものづくりのためにも、今の私たちにとっての「能登を醸す」だろう。皆様のお力をお借りして出来る、今年ならではの「竹葉」と言えるだろう。「醸しのものづくりで能登の魅力を高める」という使命を、皆様と一緒に叶えていくことに違いない。そう思うと、抱えていた葛藤や不甲斐なさはなくなり、ただただ有難さと心強さだけを感じるのでした。
こうして完成した委託醸造品は5月末より順次販売を開始しました。全国的に人気の蔵での委託醸造ということもあり、発売前からのお問い合わせも多く、即日完売のお取扱店様もあったと伺います。反響の大きさに驚きながら、ご協力いただきました皆様には、私たちや能登へ、たくさんの時間とお心を割いてくださることの有り難さを思い、とめどない感謝が湧き上がります。
断水が解消し、酒造り再開への第一歩へ。復興へのスタートラインに立つ
3月12日、ついに蔵内の断水が解消されました。なんとかこれで酒造りに動き出すことができます。通水までの期間、できることをひとつひとつ積み重ねながら歩みを進めてきました。酒造り再開を第一目標に据え、当時はとにかくそこに心を向けることで、少しずつ好転していけたらと、半ば祈るような気持ちがありました。
同時にたくさんのご支援と温かいお気持ちをお寄せいただき、返しきれないほどのご恩を頂戴しました。私たちはやはり、ただ「能登を醸す」の言葉を噛みしめ、皆様に喜んでいただけるおいしいお酒をつくろうと、醸しのものづくりを続けていくことで、恩返しするしかない。そう想いを込め、4月1日、酒造りの第一歩、洗米作業を行いました。ようやく復興へのスタートラインです。
<4月2日、被災後初の蒸米作業>
4月からの酒造りはこれまでに経験したことのない夏場での仕込み作業ということで、一筋縄ではいかないことを覚悟しつつ、蒸し場の隣にある冷蔵貯蔵室を活用し、温度管理に細心の注意を払いながら進行させます。暑い蒸し場と、冷えた冷蔵貯蔵室の行き来は想像以上に体に堪えました。
そして5月9日、再開後初めての上槽(もろみを搾って日本酒とする工程)を迎えます。さらに8月9日には、無事に今期の蒸し米を終え、酒造りの大詰めとなる「甑倒し(こしきだおし)」となりました。
異例の4月から始めた酒造りでしたが、仕上がった日本酒は、きちんと私たちの知っている、いつも通りの表情を見せてくれました。ほっとしたという言葉に尽きます。そして震災当時は思いも寄らなかった未来に、今こうして立てている幸せを嚙みしめ、皆様にここまで連れてきていただいたことに、感謝の念が堪えません。言葉にならない感謝とともに、能登の日本酒を絶やさぬ思いを強めています。
「まずは酒造りだよ」酒造り再開への支えとなった新澤代表の言葉。酒造りを通じて深まった能登への想い
酒造り再開に辿り着くまでに、ずっと頼りにしてきた言葉があります。発災直後に宮城県新澤醸造店の新澤代表取締役がくださった「まずは酒造りだよ」という一言です。その言葉を反芻しながら、傷ついた建物を後回しにしてでも「とにかく、酒造りに向かおう」と、ひとつひとつ歩みを進めたからこそ、皆の心を酒造りから離さずにいられたのだと思います。
実際には心中は複雑でした。4月になっても自宅が通水しない者もおり、心身は疲弊し、生活基盤の見通しがつかない状況でもありました。しかし、酒造りに触れていく中で徐々に安定した気持ちを取り戻していく感覚がありました。これまで当たり前に感じていたひとつひとつの出来事が本当に有り難く、酒造りが与えてくれるたくさんの喜びを胸に刻み、一層能登への想いを強くしました。
おかげさまで、能登の農家様には昨年と同じ量のお米を依頼することができました。農家様も共に奮闘してくださっています。蔵の修繕や解体はこれからのことで、復興への道のりはまだ長いですが、能登のお米で醸す能登の地酒「竹葉(ちくは)」が、皆様の心を和らげる一滴となりますことを心から願っています。
忘れないために記録した震災復興の歩み。能登のより良い未来のため、今後も続く醸しのものづくり
被災後からは目の前の目標にむかってひたすら奔走し続けてきました。正直なところ、今となっては当時のことをよく思い出すことができません。忘れないようにとその日にあったことをメモに取り、ホームページの醸しコラムにレポートを書き綴る日々でした。
数馬酒造ホームページ 醸しコラム「能登半島地震復興レポート」
今回、こうしてストーリーを残すことはあの時の恐怖や絶望を追体験することでもあり、苦しさもあります。しかしながら、能登半島地震の話題が全国的なニュースとして取り上げられる機会が少なくなった今、私たちの取り組みを通して、多くの方に能登について改めて思いを寄せていただけましたらと思い、お話しさせていただきました。また同じく能登で奮闘する皆様の小さな希望の光となれたら嬉しく思います。
すべては能登のより良い未来のために。感謝を原動力に私たちはこれからも、能登で醸しのものづくりを続けていきます。
【会社概要】
会社名:数馬酒造株式会社
所在地:〒927-0433 石川県鳳珠郡能登町宇出津ヘ36
代表者:数馬 嘉一郎 (代表取締役)
法人設立:昭和26年1月18日(明治2年創業)
事業内容:清酒・リキュール・醤油の製造
URL:
【お問い合わせ先】
弊社ホームページお問い合わせフォームにて