2024年12月。蔵は今、酒造りの最盛期を迎えています。蒸し場では米の香りとともに釜から蒸気が立ち上り、製麹(せいぎく)室では麹(こうじ)の真っ白で美しい稜線が並んでいます。貯蔵室に足を進めると、タンクの中でぷくぷくと醪(もろみ)が泡を立てて醗酵し、部屋中に芳香を放っています。清廉された空気の中で、静かに、淡々と、醸しのものづくりが進みます。こうした光景を眺めることができるとは、地震直後の私たちには想像すらできませんでした。
<製麹室での麹造り。地震と豪雨に耐えた能登産米を使用>
<タンクの中の醪。順調に醗酵する醪を眺め、変わらず酒造りができる喜びを実感する>
令和6年1月1日。一年で一番晴れやかな気分の元日を、能登半島地震は一瞬にして不安へと塗り変えてしまいました。明治2年から能登で酒造りを営む「数馬酒造」も被災し、酒造りは完全に止まりました。
前回のストーリーでは、被災後から4月に酒造りを再開するまでの道のりを綴りました。
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今回のストーリーでは、能登半島地震からまもなく一年を迎えるにあたり、今も復興への道半ばにある現在地から、これまでを振り返ります。
苦境の中でも「酒造り」を第一目標として走り続ける。その先に見えた酒造りへの情熱、能登への思い
4月から酒造りの再開は叶ったものの、酒造りの再開以外のことは脇に置いてきたため、ふと見れば地震後から時が止まったかのように、傷んだままの建物が目に入ります。半壊木造蔵は柱が傾き、土壁がむき出しとなり、無事だった隣の建物に寄りかかっています。地面が大きくひび割れて地盤が湾曲した出荷場にも、いつしか慣れてしまいました。
<地震の爪痕が色濃く残る場所と隣り合わせの日常>
津波による汚泥の被害を受けた最も古い蔵は、応急処置を施すのみに留まっています。また本社とは別の場所にあるリキュール蔵、醤油蔵にいたっては、タンクからこぼれたお酒や醤油の諸味(もろみ)を片付けたものの、その他は手つかずのまま、今後の方針についても未確定な状況です。
<ボランティアさんの力をお借りし、9月にようやく醤油蔵のこぼれた諸味を片付けた>
建物の改修をするにも、地盤調査から始まり、簡単なことではありません。手続きの煩雑さや作業が逼迫していることもあり、周辺の住宅は年末近くになってようやく解体が始まっています。酒蔵は6棟中4棟が半壊ですが、解体に着手できるのは早くても来年の秋以降になる見通しです。
そのような遅々とした現実の中で、壊れたものや失ったものを嘆くのではなく、今あるもの、今できることに意識を集中してきました。
発災後に真っ先に「酒造り」に向かう決断をできたのは、宮城県・新澤醸造店の新澤巌夫社長からいただいた「とにかく酒造りだよ」という言葉が大きな指針となったからです。その言葉を頼りに、酒造りを第一目標として走り続けてきました。そして、今になって何を後回しにしてでも、とにかく「酒造り」に向かうべきだった意味が、少しずつ分かります。
地震の爪痕と向き合いながら、酒造りで社員の心を繋ぎ、能登の地域社会を守り未来へ挑む
それはなによりも私たち自身のためでした。「酒造り」を再開することそのものが、被災した全ての社員たちの心を励まし、日常を取り戻すことで少しずつ傷を癒やし、能登への思いをひきとめ、ともに復興へと歩みを進める原動力になっていたのです。
社員の半数が能登以外の地域から移り住んだ者ですから、酒造りの再開ができなければ、この土地を離れることを考えるのはむしろ自然なことだったでしょう。繋ぎ止めていたのは、私たちの心や酒造りへの情熱そのものでした。そして酒造りの再開は能登の人々の思いを繋ぐものでもありました。
酒造りの中断はすべてを見直す機会に。安定的な酒造りを目指し、災害時にも役立つ体制へ
本来であれば酒造りを終えているはずの春先でしたが、4月から酒造りを再開させ、そこから9月上旬までの約4か月間製造を続けました。近年少しずつ酒蔵内の冷蔵設備などを拡充していたことで、夏の酒造りに耐えうる環境があったことが幸運でした。
9月に入り、2023年度の酒造りがひと段落すると、建物の軽微な修繕を済ませてから高性能な冷却タンクを新たに導入しました。季節を問わず安定的な酒造り体制を目指すことは、お酒の品質向上のみならず、災害時にも役立つことをすでに学んでいます。
<内壁工事を終えた醗酵室に新しい冷却装置付きのタンクが並ぶ>
また、製麹室には移動式製麹装置を増設し、さらなる品質向上と作業の効率化を高めました。そして女性社員も酒造りに携わりやすいように、体に負担が少ない運搬方法を取り入れるなどして、環境整備を進めました。その成果は2名の女性醸造社員が隔たりなく肩を並べて活躍する様子に見えています。
<重い機材には車輪を利用して、体の負担を減らす工夫も>
加えて、健やかに酒造りに向き合えるように、働き方もさらに変革を試みました。地震後からは醸造社員全員を完全週休2日制の土日休みとし、かつ8時半から17時までの定時勤務にて、ルーティンを重視した酒造りに組み直しました。なにより今は健全な心身で互いに豊かな話し合いを重ねながら、酒造りへの思慮を高めることを重視したいためです。
これまでは厳しい環境下での重労働が続くことで心身が疲弊し、話し合いもままならない場面もありました。ひとりひとりのクリエイティビティを維持し、健やかな酒造りをすることは以前から思い描いていた理想のひとつでした。今そのハシゴがかけられたのだと、新しい思考で変革に乗り出しています。そのすべてが「おいしさ」に通じると信じています。
能登地震に続く豪雨災害の試練。言葉にならない苦しさとともに、それでも酒造りを諦めない
9月21日、台風から変わった温帯低気圧が線状降水帯となり、奥能登地方に降り出した雨はまたたく間に甚大な豪雨災害をもたらしました。多くの能登の方々が能登半島地震での苦難を乗り越えながら、なんとか立ち上がろうというタイミングでの悲劇に、誰しもが言葉を失いました。
<数馬酒造の近くを流れる梶川。この後、橋の両脇に土嚢が積まれ氾濫を免れた。すぐ上流では冠水が起き、商店街が水浸しに>
数馬酒造では幸いにも人的被害はなく、酒蔵近くの河川の氾濫は土嚢による対策によって奇跡的に逸らされ、酒蔵建物への被害は免れました。しかしながら、酒造りに欠かせない仕込み水の採水地の配管に損傷があり、瓶詰めは一時中断。修繕工事を進めながら、新たな採水地を探すことになりました。この影響を受けて、今期の新酒「竹葉(ちくは)しぼりたて生原酒」は能登の海洋深層水で仕込んでいます。
<従来の仕込み水とは異なり、海洋深層水で仕込んだ新酒「竹葉 しぼりたて生原酒」>
農地管理を継承した梅畑は一面土砂に。契約農家の方々の思いを受け、酒造りへの邁進を誓う
能登の契約農家様については、幸いにも大きな被害には至らなかったものの、お米の収穫を迎える大切な時期でした。品種によっては収量減となり、貴重な能登のお米の大切さを一層噛みしめることとなりました。
そして、もっとも被害を案じた珠洲市若山地区の梅畑は、すさまじい有り様でした。ここは2023年に地元農家さんの高齢化を受けて、数馬酒造が農地管理を継承したばかりの畑でした。若山川の大氾濫と大規模な土石流により、梅畑は一面、土砂に埋め尽くされてしまいました。あるはずだった道路は流れ、地層の断面から梅畑に1メートルほどの土砂が堆積したことが窺えました。
自然の脅威に触れ、変わり果てた梅畑を前に、立ちすくみ、何をしたらよいかも思い至りません。梅畑の管理をご協力頂いている農家様がご無事でいらっしゃったことが何よりの救いでした。
<小さな橋や道路を突き破りながら大量の土石流が梅畑に流れ込んだ。あるはずの道路は跡形もない>
能登半島地震に重ねての奥能登豪雨の被害には、胸をえぐられるような苦しさを感じます。私たちがするべきことは何かと、再び突きつけられるような思いです。10月から本格再開をしたばかりの酒造りにその思いを一層強くしました。
暗闇に差し込む希望の光。地震により入社延期となる中で新卒新入社員を迎え、地域にも元気と明るさを
悲惨な出来事が続く中でも、嬉しいことがありました。数馬酒造の新しい仲間として、醸造課に新卒の新入社員を一名迎えたのです。数馬酒造に新卒社員が入社するのは13年ぶりのこと。ところが内定期間中に能登半島地震が発生したため、4月に予定していた入社時期は6月に延期となってしまいます。移住先として予定していた住まいの損傷もありました。それでも諦めることなく飛び込んできてくれた彼女を、私たちがどれほど嬉しい気持ちで迎え入れたかは説明不要です。
彼女に入社前の胸の内を尋ねると、こんな言葉が返ってきました。
「地域に貢献できる職場、働きやすい職場を求めて自分で決めたことなので、内定辞退を考えることはありませんでした。むしろ頂いたご縁を大切にしたいという思いが強くありました。両親は反対こそしませんでしたが、『被災地であることを常に忘れないでね』と。両親が心配する気持ちも理解しています。それでも早く入社して、微力でも復興の力になりたいと思っていました。」
入社日の6月3日、早朝に最大震度5強の地震がありました。「一人でいるのが心細くて」とずいぶん早めに出社してきたことを思い出します。地震に慣れてきた私たちでも緊急地震速報には身体がこわばります。どうしてこの日に、と思わずにはいられませんでした。
私たちが想像する以上に様々なハードルを飛び越えて、能登に移住し、私たちと共に歩むことを選択してくれた思いを受け止め、共に新しい未来を創っていきたいと思います。
今の目標を尋ねてみると「責任醸造(※)で自分のお酒を造ることです。」と、少し恥ずかしそうに話してくれました。入社して半年が経ち、醸造現場で毅然と働く姿に、その未来も遠くないと思います。
※責任醸造…醸造社員の自由な発想でお酒を仕込む事ができる数馬酒造独自の制度。
<「頂いたご縁を大切にしたい」と決意し入社。自分の考えを物怖じせずに口にできる頼もしさに先輩も太鼓判>
<新入社員の躍動する姿が現場の士気をも鼓舞させる>
2025年4月にはさらに新しい仲間も。被災蔵から採取した酵母による日本酒造りで、さらなる前進を
新入社員の奮闘は地元のニュースにも取り上げられました。人口流出など暗いニュースが続く能登での大きな希望として報道され、たくさんの方が良かったねと一緒に喜んでくださいました。
次の4月にも一名、醸造を志望する新卒新入社員が加わります。その思いに応えるためにも、一層前進を続けていくつもりです。
もうひとつ、新しく大きな希望が湧いていることがあります。石川県内の研究機関のご協力のもと、崩れた土壁や柱から採取した酵母を使った、新しい日本酒造りの取り組みがスタートしました。酵母を採取した蔵は昭和初期の酒造りを支えた歴史が刻まれた建物で、来年以降に大規模な改修が予定されています。地震によって失われるものから、また新たな日本酒を再生することに、深い感慨と大きな期待を寄せています。
復旧の実感は未だ3割。断念したお酒もある中で支えとなった、温かなご縁と感謝の思い
まもなく一年という節目を迎えるにあたり、「何割くらい復旧していると感じますか」と聞かれることがあります。「3割でしょうか。」と答えると、驚いたように「一年が経過していても、ですか。酒造りが出来ていても、ですか。」と聞き直されます。答えはあまり変わりません。
酒造り以外のことを後回しにして走り続けた弊害もありました。蔵の修繕を後回しにしたため、いつもとは違う環境での醸造となり、思い通りの醗酵をせずに発売を断念したお酒もあります。生産量は未だ従来通りには戻らず、お客さまのご希望にも満足に応えられない状況が続いています。
それでも酒造りを続けてきたことで失わずにいられたものは、社員全員の希望と酒造りへの情熱です。そして、何倍にも増えたものは温かなご縁と深い感謝です。
経営理念『能登を醸す』に込めた揺るぎない信念。未来へのバトンを繋ぐために苦難を乗り越え挑戦を続ける日本酒造り
改めて「能登を醸す」という経営理念には疑いがないと確信します。私たちの根底にある思いは『「醸しのものづくり」で、能登の魅力を高める』こと。能登のために何ができるかに思い巡らせ、たとえ時間を要したとしても能登の力を信じ、できることをしようと決心しています。
先日、有り難いことに「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。先人達が繋いできた不断の努力の延長線上に、私たちがあります。そして私たちの今も、いつしかそれが連綿と続く時間軸のひとつになります。能登の日本酒は今、苦難を強いられていますが、バトンをここで落とすわけにはいきません。未来へ繋いでいく使命を肌で感じています。
最後になりましたが、皆様からの温かいご支援や応援のおかげで、私たちの今日があります。震災を経て、酒造りができること、商品をお届けできることへの感謝が一層深まりました。この感謝を力に、能登の魅力を伝える日本酒を醸し、豊かな能登を未来に繋いでいきます。
どうかこれからも、能登を励まし、見守っていただけますと幸いです。
【会社概要】
会社名:数馬酒造株式会社
所在地:〒927-0433 石川県鳳珠郡能登町宇出津ヘ36
代表者:数馬 嘉一郎 (代表取締役)
法人設立:昭和26年1月18日(明治2年創業)
事業内容:清酒・リキュール・醤油の製造
URL: https://chikuha.co.jp/
公式SNSアカウント:
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