災害が発生したとき、真っ先に思い浮かぶ備えは、水や食料かもしれない。しかし、いざその時が来ると、重要性を痛感するのは「トイレ」だ。水や食料は備蓄によって備えられるが、排せつは生理現象で止めることはできず、大規模な災害でライフラインが断絶するとトイレの確保が急務になる。
大正大学の岡山朋子教授が熊本地震の被災者を対象に実施した調査(NPO法人日本トイレ研究所が協力)によると、災害の発生から「3時間以内にトイレに行きたくなった」人は39%を占め、「6時間以内」を合わせると73%に上る。水洗トイレは電気や給排水設備が被害を受けると使用できなくなるおそれがある。稼働が止まれば、時間を追うごとに排せつ物の処理が深刻な問題になっていく。また避難所生活が長期化すれば、トイレの臭いによるストレスや衛生管理も重要な課題になってくる。
こうした課題に対処するため、積水化学は下水道に直結する災害用マンホールトイレ「防災貯留型トイレシステム」を開発し、自治体に提案している。このシステムは、あらかじめ下水道に直結する仮設トイレ専用の配管を整備するため、衛生的な仮設トイレを迅速かつ短期間で設置できるというものだ。
愛媛県新居浜市では、市役所や小学校にこのトイレを導入し、災害への備えを進めている。避難所や自宅での生活が長期化する中で、臭いが少なく清潔で使いやすいトイレの存在が市民のウェルビーイングに直結する。今回は、市の上下水道行政や危機管理に携わる3名と、積水化学でトイレシステムや水道ソリューションを提案するメンバーに登場いただき、新居浜市で進む「水」にまつわる課題解決と、画期的なトイレシステムの実装について語っていただいた。
豊かな水環境に恵まれる新居浜市が「防災トイレ」に焦点を当てる理由
愛媛県の東部に位置し、瀬戸内海に面する新居浜市。自然に恵まれ、四国山地から流れる清流が市内を潤している。副市長の原一之氏に地勢をたずねると、豊かな水環境について教えてくれた。
「新居浜市の水道水はすべて地下水を利用しており、その水質は非常に良好です。自然が作り出したミネラルウォーターといっても過言ではありません。市内には化学メーカーもあり、工業用水としてもこの水が活用されています。
この豊かな水環境を次代に引き継ぐため、市は本年度、『新居浜市新水道ビジョン』の中間見直しを進めています。人口減少やインフラの老朽化、南海トラフ地震に備える防災対策など、多くの課題がある中、安全で強く、持続可能な水道を実現するため、具体的な施策を再検討しているところです」
新居浜市 原一之副市長
新水道ビジョンに沿って、新居浜市の水道インフラは基幹管路を中心に耐震化が進められ、現在の基幹管路の耐震化率は42%である。また、令和5年度に更新した管路の約7割には、積水化学が手がける耐震型高性能ポリエチレン管「エスロハイパー」を導入。今後も順次更新が進められる予定だ。上下水道局の局長として水道施策をリードする玉井和彦氏が、水の安全を支える指針を語る。
「新居浜市新水道ビジョンでは、水質の安全性のほか、老朽化対策と地震対策が重要な柱です。その中でも、配水用ポリエチレン管は耐震性に優れている点が注目されています。この管の導入は2010年から始まりました。軽量で作業がしやすいポリエチレン管は施工業者からも高い評価を受けています。
送水場から各家庭までのすべての流れを耐震化することが理想ですが、それには多額の費用と時間を要します。このことから、まず基幹管路および災害拠点病院等の重要給水施設までの給水ルートの耐震化を進めています。これにより、災害時にも強い水道インフラを早期に構築し、市民の安全と安心を確保していきます。一方、下水でも地震対策を進めており、総合地震対策計画では、幹線管路や下水処理場の耐震化とともに、災害用マンホールトイレの整備も盛り込みました」
新居浜市 上下水道局 玉井和彦局長
災害用マンホールトイレとは、下水道の管路の上にあるマンホールに簡易的な便座とテントやパネルなどの建屋を設置し、トイレの機能として機能する災害用の施設だ。新居浜市は南海トラフ地震に備え、免震構造の消防防災合同庁舎を新設し、消防や災害対策本部の機能を集約。地震発生時の迅速な対応に向け、さまざまな施策を準備している。市の危機管理を統括する小澤昇氏も、トイレ対策の重要性を強調する。
「現代のトイレはというと、洋式が一般的になっています。特に子どもたちは和式に慣れておらず、一般的な和式の仮設トイレでは高齢者を含め、使いづらいという市民が多くなってしまいます。このため、避難所などの被災現場では、清潔で、臭いが抑えられた洋式タイプが求められます。こうした要件を満たし、災害時に快適さを提供できるトイレはないか? 防災や危機管理では、この視点が重要になってくるのです」
新居浜市役所に設置された「防災貯留型トイレシステム」。いざという時、駐輪場が仮設トイレスペースになる
大地震に備えて、実効性を持つトイレのかたちとは
新居浜市では、消防防災合同庁舎の建設に合わせて災害用マンホールトイレの整備に着手して、いつ起こるか分からない災害に備えている。市役所や指定避難所となる小学校に導入が進められ、2023年度までに市内8校で整備が完了した。2024年度にはさらに2校が追加され、2027年度までに公共下水道に接続する小学校13校での整備が計画されている。この導入・整備の背景について、玉井氏は「2016年の熊本地震が契機となりました」と当時を振り返る。
「熊本地震による甚大な被害と、長期化する避難生活を調査する中で、災害時のトイレ確保の重要性とマンホールトイレの有効性が明らかになりました。上下水道の耐震化や管路の整備も重要ですが、地震直後は下水管が使用できなくなる可能性が高く、近い将来に予想される大地震に備えるためにも、トイレの確保が最優先だと再認識したのです」
原氏は、市政を支える立場から「被災時のトイレ整備は行政にしかできない」と強く断言する。
「市民の安全と快適な避難生活を支えるためには、トイレやその周辺のシステムが非常に重要です。行政の第一の責務は市民の生命と財産を守ること。その一環として、避難所で少しでも快適かつ安全に過ごせる環境を整えていかなければなりません。これは行政にしかできない重要な役割です」
小澤氏は、直近の災害支援にあたる中で「災害時のトイレ問題」の重要性を痛感したエピソードを語った。
「能登半島地震を受けて、市職員2名と市消防職員2名を派遣し、トイレカーを石川県珠洲市に送りました。現地では、洋式で清潔なトイレカーに子どもたちが大喜びしてくれました。トイレカーを別の避難所に移動する際には、児童たちが『お別れの歌』を歌ってくれました。被災生活の厳しさの中で、清潔なトイレがどれほど喜ばれるかを痛感したのです」
新居浜市 市民環境部 小澤昇次長 兼 危機管理監
ここで、新居浜市で実装されている災害用マンホールトイレ「防災貯留型トイレシステム」の仕組みと、その強みを見ていこう。積水化学工業 環境・ライフラインカンパニーの西日本営業本部で営業を担当する好井潤一が解説する。
「このシステムは、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえ、神戸市と当社が共同開発したものです。マンホールのふたの上に仮設トイレを設置する仕組みですが、大きな特徴は、断水によって上水道が断絶してもトイレが機能する点です。貯留管に排せつ物を一定期間ためることができ、1日1~2回、貯留弁を開けて汚水を下水道本管に一気に流す仕組みです。また、貯留管にためた水に排せつ物を沈めることで臭いの発生を抑えます。もし下水道本管が破損した場合でも、バキュームカーによるくみ取りで対処可能であり、当社防災貯留型トイレシステムでは、最大で仮設トイレを10基まで設置でき、1日に1,000人(国土交通省ガイドラインに基づく)が利用できます。新居浜市様では仮設トイレ5基設置を基本とされています」
積水化学工業 環境・ライフラインカンパニー 西日本営業本部 近畿設備システム営業所 土木システムグループ 好井潤一係長
数ある災害用マンホールトイレの中で、積水化学の防災貯留型トイレシステムを採用した理由を、玉井氏は「決め手になったのは貯留機能の優秀さ」だと語る。
「展示会で多くの災害用マンホールトイレを視察しました。貯留タンクを別に設置し、上から水を流してタンクにためるタイプの製品もありましたが、当市では耐震化が進んでいない下水道管も一部にあります。そのため、一時的に汚物を貯留できるシステムが最適だと判断しました。これが最良の選択であると確信し、整備を進めています」
不衛生な環境や精神的な苦痛を防ぎ、避難生活に立ちはだかるトイレ問題を解決するために――。災害用マンホールトイレは着実に実装が進む。
貯留槽の弁がマンホールと一体化しており、地震の震動でも壊れにくい構造
「未来につづく安心」を支える官民の共創――その期待とは
新居浜市の上下水道局は災害用マンホールトイレを整備すると、小学校ごとに「お披露目会」を企画し、児童や地域住民にその設営や使用方法を体験する機会を提供している。現在も進む取り組みについて、玉井氏が振り返る。
「このシステムは、設置すること自体がゴールではありません。実際の災害時を想定し、その時にどのように機能するか、どのように使われるかを考慮しながら進めています。ある小学校での説明会では、児童たちからの鋭い質問が相次ぎ、あらためて市民の防災意識の高さを感じました。トイレの整備からお披露目会という一連のプロセスが、防災訓練に取り入れられ、地域住民への啓発ツールとしても有効に機能しています」
令和4年10月28日 神郷小学校でのお披露目会
原氏は「防災計画は常にアップデートすべきだ」とし、その起点として防災貯留型トイレシステムに大きな期待を寄せている。
「設置した災害用マンホールトイレの認知を高め、いざという時に活用できるよう、市民への啓発活動が不可欠だと考えています。そこから避難生活における課題、特に食料や水の備蓄と管理の方法についても、定期的に見直していくべきです。新居浜市は2024年9月に水道事業70周年を記念したイベントを開催し、市民に上下水道の重要性を伝えました。印象深かったのは、若手職員が普及活動に熱心に取り組む姿です。彼らは次の100周年を見据えたリーダーとして成長し、防災の取り組みも継続していくでしょう」
新居浜市は、未来に予想される災害に備え、官民一体となった取り組みを推進している。積水化学の好井もまた、「防災や減災から市民に貢献するため、新しい提案を続けていきたい」と意欲を燃やす。
「防災や減災のあらゆる側面で、市民に役立つ提案を考え続けています。例えば、私たちの会社はフィルム型ペロブスカイト太陽電池の開発に取り組んでいます。これを体育館の屋根に設置することで、避難所に必要な電力を賄えるシステムになるかもしれません。防災に関する課題は多岐にわたりますが、一つずつ解決していくことが肝要です。新居浜市の防災への熱意に共感し、今後も提案を続けていきます」
新居浜市が進める防災トイレの整備は、単なる災害対策にとどまらない。それは、いざという時のための重要なソリューションであり、地域の防災力を向上させるための手段だ。より強靭(きょうじん)で持続可能な地域社会の実現には、具体的な施策とプロダクトの実装が鍵となる。新居浜市と積水化学は、今後も「未来につづく安心」を守るための共創を続けていく。
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■災害用マンホールトイレ(貯留型) 防災貯留型トイレシステム
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