ある日突然、言葉を失い、耳が聞こえず、利き手を動かせなくなった『たけ』。脳梗塞に翻弄され、すべてを失う。しかし、深い絶望で立ち上がり、自分の可能性を信じ続けた。そして今、人生を賭けた思いを胸に、アートの都ニューヨークへの挑戦を決意!人間の可能性は無限だという熱いメッセージを世界中の人々に届けます。
<はじめに>
こんにちは、タケです。絵を描くことを生業にしているアーティストです。
この度は、僕のプロジェクトページを訪れてくださり、本当にありがとうございます。
現在、僕はニューヨークで個展を開催するという大きな夢に挑戦しようとしています。
ニューヨーク、特にチェルシーは世界中のアーティストが憧れる「アートの聖地」。
その地で自分の作品を展示することは、僕にとってただの目標ではなく、人生を懸けた挑戦です。それがどれほど大きな意味を持つのか、言葉ではとても語り尽くせません。
ただ、この夢にたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。34歳で脳梗塞を発症し、言葉を失い、右半身の自由を奪われたあの日。
僕の心に広がったのは「もう終わりだ」という絶望でした。けれど、そんな暗闇の中で見つけた「左手がまだ動く」という小さな希望が、僕の人生を大きく変えてくれたのです。
そして今、アーティストとして20年以上活動を続けてきた僕は、再び大きな挑戦に挑むときが来ました。それは「トビダス」というシリーズを通じて、「人間の可能性は無限だ」というメッセージを本気で世界に伝えることです。
世の中には、不可能を可能にする人がいます。一方で、挑戦する前に「どうせ無理だ」と諦めてしまう人もいます。過去の僕は、どちらかと言えば後者のタイプでした。
その当時、仕事も、家庭を持つことも、何一つ思うようにいかず、諦めるたびに自分を責めていました。達成したいという気持ちはあるのに、しんどい事は避けてしまうそんな僕が、逆説的ですが、脳梗塞という障害を抱えたことで生まれ変わったのです。
僕は自分の人生の中で、「諦めないことで不可能を可能に変えられる」ということを学びました。だからこそ、そのことを世界中の人に伝えたいです。
その想いを形にするために、人生で初めてのクラウドファンディングに挑戦します。
この挑戦に本気で臨む僕の夢を、どうか一緒に叶えてください。あなたのご支援とご協力を心からお願い申し上げます。
<人生最大の希望は絶望と共に始まった>
人生の転機となった「あの日」の出来事について少し紹介させて下さい。
34歳の「あの日」、僕は今までと同じ普通の1日を迎えるはずでした。けれど、その日は全てが違っていました。突然、頭に走った激痛とともに、身体が崩れ落ちました。床に倒れたまま、何が起こったのか理解できないまま、僕は闇に吸い込まれていきました。
意識を取り戻したとき、世界は変わっていました。倒れてからすでに48時間が経過していたのです。目を開けると、白い天井が見えるだけ。
言葉を発しようとしても、口からは音が出ない。耳を澄ませても、誰かの声も聞こえない。そして、右半身はまるで別の人の体のように動きませんでした。言語障害・聴覚障害・右片麻痺・失語症という重い後遺症が残りました。全部合わせて最高レベルの障害。
「これが現実なのか?」
信じたくない気持ちが胸を締め付け、全身を恐怖が包み込みました。
「オレの人生は見事に終わったんだ」
絶望のこの言葉が頭を何度もよぎり、涙が止まりませんでした。自分にできることはもう何もない。ただこの暗闇の中で、終わりを待つだけだと。
しかし、ある瞬間、ふと気づいたのです。左手が、まだ動く。
その事実に気づいたとき、胸の奥にわずかな光が灯りました。
「左手が動くなら、何かできるかもしれない。」
その希望は、かすかで小さなものでしたが、僕の心を突き動かしました。
そして発病してから2ヶ月後、不思議な事が起きたのです。
脳の障害で言葉は全然出てこないのに、その動く左手で筆を持つとスラスラ絵が描けたのです
小学生以来、絵なんて描いたことがありませんでした。
もちろん、最初はぎこちなく、不恰好で、見せられるようなものではありませんでした。それでも、描き上げた一枚の絵を見たとき、僕は胸の奥が少し温かくなるのを感じました。
それが詩画家「タケ」誕生の瞬間であり、絶望が希望に変わった瞬間でした。
僕の第二の人生の始まりでした。
<ストリートでの挑戦>
それから左手で絵を描く日々が続きました。小さなスケッチブックに向かい、震える手で線を引くたびに、僕は自分と向き合っている気がしました。
完成した絵を見つめながら、「この絵をもっと多くの人に見てもらいたい」という気持ちが、日々少しずつ膨らんでいきました。
そんなある日、リハビリ病院での生活に区切りをつけ、僕は決心しました。
「ストリートに出て、絵を売ってみよう。」
しかし、その決断には大きな不安もありました。
「誰も見向きもしなかったらどうしよう?」
「笑われるんじゃないか?」
そんな思いが頭をよぎりました。
でも、それ以上に「何もしないで終わるよりはマシだ」と言う想いの方が強く
この言葉を何度も何度も自分に言い聞かせたのです。
ある時、リハビリ病院で入院中にも関わらず、勇気を出してストリートに座り込み、描いた絵を並べて売ることにしました。
最初は誰も足を止めてくれませんでしたし、売上が五百円以下の日がずっと続きました。電車代とジュース代を含めると完全な赤字。それでも、必死に前を向いて諦めませんでした。
苦しくても続けているうちに、少しずつ足を止めてくれる人が現れました。絵を手に取り、興味を示してくれる人がいる。それだけでも胸が熱くなり、自分の存在を認められた気持ちになったのです。
次第に新聞やテレビにも取り上げていただきました。活動を始めて半年後、有難いことに僕の周りには人だかりができるようにまでなりました。
<高島屋での個展>
当時、路上で稼いだお金で生活している僕にとって、個展は夢のようなものでした。路上でいつか画廊の人が僕の作品を見て、「うちで個展して下さいませんか?」なんて言ってくれる日をイメージしましたが、実際にはなかなかイメージ通りのことは簡単には起きません。
だからと言って諦める僕ではありません。どんだけ寒い路上でも常にいいイメージを持って、毎日販売を続けました。なぜなら、これからの人生を開くチャンスがこの路上にあると思っていたからです。すると本当に奇跡が起きたのです。ある日1通のメールが届き、地元の新聞に取り上げられた僕の記事を読んで下さった高島屋の社員の方が、本当に個展の開催を打診してくださったのです。
え〜!?あの高島屋!すぐには信じられませんでした。
初めての個展が決まったとき、胸に広がるのは興奮と不安が入り混じった感情だったのを覚えています。準備の期間中、何度も「本当に自分なんかがここで個展をしていいのか?」と自問しました。しかし、そのたびに僕を支えてくれたのは、「今まで描いてきた絵は僕のすべて」という想いでした。
展示会場の広い白い壁に、自分の絵が並べられた光景を初めて見たとき、胸が熱くなり、言葉が出ませんでした。来場者たちが絵を見ながら微笑み、「勇気をもらいました」と声をかけてくれるたびに、涙がこみ上げてきました。
初めての個展は大成功!そして、それは僕に「絵を描き続けることで自分の道を切り開ける」という確信を与えてくれた瞬間でもあったのです。
<ニューヨーク、最初の挑戦と挫折>
それから数年にわたり全国の高島屋で個展を開く機会をいただき、多くの人に自分の作品を届けることができました。それでも心の中には、どこかもっと挑戦したい思いがありました。
「もっと広い世界で、自分の絵がどれだけ通用するのか試してみたい。」
そんな僕の心に浮かんだのは、ニューヨークという地名。芸術家たちの憧れの地であり、アートの最前線。特にチェルシーは、世界中から才能が集まり、熾烈な競争が繰り広げられる場所です。
「ここで自分の作品を展示することができれば」
そんな思いが日に日に膨らんでいきました。
5年前、偶然にもあるご縁でニューヨーク・チェルシーでのグループ展に参加する機会を得ました。
その知らせを受け取ったとき、胸の鼓動が止まらないほどの興奮を覚えました。
「ついに、夢の舞台に立てる!」
ニューヨークに到着した日、僕はチェルシーの街を歩きながら、空にそびえる高層ビルを見上げました。街にはアートギャラリーが立ち並び、壁に描かれたストリートアートや展示を楽しむ人々の活気が溢れていました。
心の中で「この街に自分の作品を届けるんだ」と誓いを立てたのを覚えています。
展示会場に到着すると、僕の目に飛び込んできたのは、広々とした白い空間に並べられた数々の作品群。どれも洗練され、エネルギーに満ちていて、一瞬にして「ここがアートの中心地だ」と感じました。
僕の作品は3点。
会期に入ると、世界中から訪れる来場者たちが次々とギャラリーに足を運びました。彼らは目を輝かせながら他の作品の前で立ち止まり、熱心に議論したり、カメラを向けたりしていました。
しかし、僕の作品の前では、ほとんどの人が通り過ぎていきました。
「何か足りないのだろうか?」
その場で立ち尽くしながら、自分の作品を見つめ直しました。結局僕の作品は1枚も売れませんでした。
大きな夢をもってニューヨークにやって来たにも関わらず、ただの観光で終わってしまったのです。
その夜、ホテルの部屋で僕はベッドに腰掛け、溜息をつきました。
「ニューヨークはやっぱり甘くないな」
そう心の中で呟いたとき、胸に押し寄せたのは情けなさと悔しさでした。
帰国する飛行機の中、窓の外には広がる雲海が見えました。けれど、その景色が心を慰めてくれることはありませんでした。
頭の中には「やっぱり自分には無理だったのか」という言葉が何度も響いていました。
「いや、諦めるにはまだ早い。次は、グループ展じゃなくて自分の個展で勝負しよう。」
<挫折から生まれた新たな目標>
ニューヨークでの最初の挑戦は、挫折という形で終わりました。しかし、それがあったからこそ、僕は「次は必ず成功させる」という強い想いを抱き、再び筆を握り続けてきました。そして今、再挑戦の機会が訪れています。
今回の挑戦は、これまでの僕の人生のすべてをかけた一世一代の大勝負です。
僕が届けたいのは、絵を通じて「人生に不可能なことはない」というメッセージ。
誰もが自分の可能性を信じ、枠を超えて飛び出していく勇気を持ってほしいという願いを込めています。ニューヨーク・チェルシーでの個展は、その想いを世界中の人々に伝えるための大きな舞台です。しかし、これを実現するためには、どうしても皆さんのお力が必要です。
<ご支援のお願い>
今回のクラウドファンディングでは、個展開催にかかる費用を皆さんからのご支援で集めたいと考えています。渡航費や会場費、作品の輸送費、展示準備など、多くの資金が必要です。この挑戦は、僕一人だけではどうしても成し遂げることができません。
こちらに必要な資金の一覧を表示します。
(資金使途内訳)
渡航費:約70万円
会場費:約40万円
作品の輸送費:約40万円
返礼品制作費:約20万円
CAMPFIRE手数料(17%+税):約30万円
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概算見積もり合計金額 200万円
※目標金額に満たない場合でも、残りの部分はタケが全額負担してプロジェクト資金を準備します。
〈リターン一覧表〉
1.NY個展記念で応援する人向け
A:NYから来る御礼のメッセージ・・・3000円
B:NY個展記念のグッズ(ポストカードとクリアファイル)・・・5000円
C:Bとマグカップ・・・8000円
Ⅾ:今回のテーマをプリントしたTシャツ・・・8000円
E:NYの絵の色紙の名前詩・・・10,000円
F:1-Eと1-A・・・13,000円
2・パーティーに参加して応援する人向け
A:予祝会(4月12日19時~大阪市八尾市)・・・20000円
B:凱旋帰国パーティー (5月31日18時~京都市四条寺町)・・・30000円
3.原画を購入して応援する人向け
A:たけセレクション(W4)・・・100,000円
B:たけセレクション(三三)・・・120,000円
C:絵・詩も完全オーダー(特大)・・・200,000円
D:たけセレクション(トビダス)・・・350,000円
E:オーダー作品(F50)・・・700,000円
F:タケ史上最高傑作「金如意宝珠を待つ龍」・・・1,000,000円
4、壁画を依頼して応援する人向け
A:1,000,000円(製作1カ月以内)
B:2,000,000円(1棟 製作2ケ月)
5、講演を依頼して応援する人向け
A:たけいくが国内ならどこでも行くチケット・・・300,000円
<最後に>
「人生の中で不可能なことはない、人間の可能性は無限だ。」
僕の人生を支えてきたのは、この言葉です。
小学校の図工以来、絵なんて描いたことがない僕が、脳梗塞で利き手を失い、左手で絵を描き始める。それを聞いた誰もが「無理だ」「そんなのありえない」と笑いました。
けれど、その瞬間から僕は決めたんです。
「オレが生きる道は、この表現の道だ」
言い訳を捨て、覚悟を決め、リハビリ病院を抜け出して路上に座り込みました。
利き手とは逆の左手で描いた絵を広げ、「この絵を見てください」と心の中で念じ続けた日々。
それは、誰かに認めてもらうためだけじゃなく、自分自身を信じるための戦いでした。
不思議なことに、その時の僕には不安がありませんでした。
「俺はできる」と信じる気持ちが、胸の奥で燃えていました。それがただの思い込みだと笑われても、僕にとっては大切な「希望の種」だったんです。
路上での挑戦から2年。高島屋から個展のお話をいただいたとき、僕は信じられないほどの感激と喜びを感じました。「これが現実なのか?」と何度も自分に問いかけました。
そして、それをきっかけに、20年以上もの間、全国の百貨店やギャラリーで個展を開き続けてきました。
それでも、僕の挑戦はまだ終わりません。
ニューヨークという新たな舞台で、僕は「人間の可能性は無限だ」というメッセージを、これまで以上に強く、世界に伝えたいと思っています。
それは僕一人では実現できない挑戦です。
あなたがいるから、僕はここまで来ることができました。あなたの支えが、僕にとっての光でした。そして、その光が、次は僕を通じて誰かの心を照らすきっかけになると信じています。
どうか、この物語の続きを一緒に描いてください。
あなたと共に、奇跡をつかみたい。そしてその奇跡が、世界中に勇気と希望を届けるきっかけになることを信じています。
ご支援、心からよろしくお願いいたします。
たけ
<応援メッセージ>
たけの挑戦に、たくさんの方々から応援をいただきました