「検査結果は診察時には出ています」採血を終えたばかりの患者さんは、医師のこの言葉に安堵の表情を浮かべた。以前は、検査結果を聞くために再度来院する必要があった。しかし今は、診察の場で結果が分かり治療方針を決められる。この待ち時間の短縮を実現したのが、積水メディカルの「ラテックス技術」だ。
ラテックス技術とは、微細な粒子を用いて血液中の特定の物質を検出する技術のことだ。採血した血液の中にはさまざまな成分が含まれるが、このラテックス粒子が特定の物質に結合し反応することで、迅速かつ正確な測定を可能にする。この技術により、血液検査の多くの項目が、専用の装置を使わずに短時間で測定できるようになった。2024年、ラテックス技術を基盤とし、汎用自動分析装置に搭載可能な「SP-D測定試薬」が、日本臨床化学会賞 技術賞を受賞した。この技術は、いかにして実現されたのか。開発者たちの挑戦の軌跡を追った。
二つの技術が出会った瞬間
2008年、積水化学工業のメディカル事業部と第一化学薬品の統合により誕生した積水メディカル。この統合は、二つの異なる技術の融合という大きな可能性を秘めていた。
統合前、第一化学薬品は臨床検査薬の開発・製造販売を手がける企業として、さまざまな検査試薬を提供していた。一方、積水化学工業はプラスチックなどの化学製品を得意とし、その高い有機合成技術を活かして高品質なラテックス粒子を製造していた。
「統合前、第一化学薬品は積水化学工業からラテックス粒子を購入し、それを使って検査試薬を開発していました。しかし統合後は、粒子の開発から試薬の製品化まで一貫して行えるようになりました」と、開発戦略・推進部の藤川は語る。
研究開発統括部 開発戦略・推進部 第一グループ長 藤川 利彦
この一貫体制が重要な理由は、検査の精度と使いやすさを両立させるために、粒子の性質と試薬の処方を緻密に調製する必要があるからだ。
「臨床検査薬メーカーでありながら、有機合成技術も保有し、同じ組織の中で粒子の開発から試薬の製品化まで一貫して行うことができるのが当社の強みです」と藤川は強調する。
しかし、統合直後から両社の技術がすんなりと融合したわけではなかった。
「当初は、粒子の合成についての理解が周囲の開発メンバーにあまり浸透しておらず、製品設計時にさまざまな粒子を合成して評価しながら、臨床検査薬として最適な粒子を選択する意識が弱かったです」と、つくば研究所の太平は振り返る。
つくば研究所 基盤領域開発センター 高分子利用分析グループ長 太平 博暁
その状況を変えたのは、開発現場での地道な対話だった。
「このような粒子なら、こんな性能向上が見込める」。
粒子の開発チームが提案を重ねるうちに、徐々に相互理解が深まり、一貫体制の実現に近づいていった。
数百通りの試行錯誤から生まれたイノベーション
「私たちの技術の核心は、均一なサイズの微粒子を安定して製造すること。そしてその粒子にさまざまな機能を持たせることです」と、つくば研究所の藤村は説明する。
つくば研究所 基盤領域開発センター 高分子利用分析グループ 藤村 建午
ラテックス技術の仕組みは、鍵と鍵穴のような特異的な反応を利用している。血液中の測定したい物質(抗原)に、ラテックス粒子に結合した抗体が特異的に結合することで凝集反応を起こす。この反応を光学的に測定することで、対象物質の濃度を正確に測定できる。
「このとき重要になるのが、粒子サイズの均一性と表面特性のコントロールです。粒子の大きさにばらつきがあると、凝集反応の検出精度が低下してしまいます。また、表面特性によっては、血液中の余分な成分と反応してしまう可能性があります」と太平は語る。
開発チームは、20~30種類のラテックス粒子に加え、数百に及ぶ素材の組み合わせを検討。粒子の大きさ、表面特性、反応性など、あらゆる要素を変えながら、最適な組み合わせを探り続けた。
また、従来の血液検査では、検体中の余分な成分を除去するために洗浄工程が必要とされていた。
「しかし、この工程があるために、多くの医療機関ではその測定項目専用機器の導入か、検査の外注が必要だったのです。そのために、検査結果が出るまでに時間がかかっていました」と藤村は説明する。
「ラテックス粒子サイズの均一化に加え、粒子表面の性質を最適化することで、洗浄工程がなくても精度を落とさず、血液中の目的物質だけを正確に捉えられるようになりました」と太平はラテックス技術の価値を語る。
この技術を活かした代表的な製品が、「SP-D測定試薬」だ。SP-D(肺サーファクタントプロテインD)は、間質性肺炎の診断補助や特発性肺線維症の予後予測に重要な検査項目だが、従来は測定に専用機器を必要とするため外注で検査を行うなど時間を要していた。
「SP-D測定試薬」の開発では、患者さんによって血液の性質が異なるため、時として本来の値より高く測定されてしまう課題があった。この課題を解決するため、開発チームは実際の医療現場で起こりうるさまざまなケースを想定し、試薬設計の初期段階で臨床検体による評価を徹底的に行った。その結果を試薬設計にフィードバックすることで、より安定した測定が可能な試薬の開発に成功した。
さまざまなメーカーの検査機器での検証も欠かせなかった。
「検査機器にはそれぞれ特徴があり、同じ試薬でも機種によって測定値が異なることがあります」と太平は説明する。「そこで、どの機器でも安定した性能を発揮できる試薬を設計することに注力し、特に粒子技術を活用してこの課題に取り組んできました」。
安定した性能を実現するラテックス粒子を開発している
その努力は実を結び、従来は専用機器でしか測定できなかったSP-D検査を、一般の生化学分析機器を使用し、10分程度で測定できる製品が完成した。
藤川は、この技術革新の意義をこう語る。
「検査時間の短縮は、患者さんの負担軽減だけでなく、医師の診断や治療方針の決定にも大きく貢献しています。患者さんが採血を終えて診察室に戻るまでには、もう結果が出ているのです」。
さらなる可能性への挑戦
開発チームの挑戦は、さらなる高みを目指している。「まだ私たちの技術が届いていない領域がたくさんあります」と藤村は語る。より微量な物質の検出が求められる検査への展開だ。
あらたな領域を目指す開発チーム
「検査の世界では、精確さとスピードの両立が永遠の課題です」と浜松医科大学 医学部 特命研究教授の前川先生は指摘する。「積水メディカルのラテックス技術は、その両方を高いレベルで実現しました。これは画期的なことです」。
医療現場からは、「小規模な医療機関では、検査の頻度が少ないため、試薬の長期保存が必要」「日々の精度管理の負担を軽減してほしい」など、新たなニーズが寄せられている。開発チームは、こうした現場の声に応えるべく、保存安定性の向上や、より使いやすい製品の開発に取り組んでいる。
「これまでラテックス技術が入っていない検査領域にも、まだまだ可能性があります」と三人は目を輝かせる。「患者さんのために、医療従事者のために、私たちにできることがたくさんあるはずです。現場の期待に応えながら、さらなる技術革新を目指していきます」。
医療を支える技術は、必ずしも目立つものではない。しかし、その一つひとつの革新が、確実に患者さんのQOL(Quality of Life)を向上させ、医療の未来を切り拓いている。より正確に、より早く、より多くの人々に―。積水メディカルの挑戦は、より良い医療の実現に向けて、これからも続いていく。
"10分"が変える、医療の未来
積水メディカルのラテックス技術は、検査の迅速化と簡便化を実現するもので、医療現場での即時対応を可能にしています。これにより、特に小規模な医療機関でも迅速な検査結果が得られ、患者さんへのサービスが向上します。また、ラテックス技術を用いた免疫学的測定は一般的な生化学自動分析機器で対応可能であるため、検査機器のコスト削減や、検査室の負担軽減といった多くのメリットがもたらされています。これからも技術のさらなる発展により、患者に寄り添う医療が実現されることを期待しています。医療の現場で求められるスピードと正確さ、それを同時に提供できるラテックス技術は、まさに未来を切り拓く存在です。
浜松医科大学
医学部 特命研究教授 名誉教授 前川 真人 先生
>日本臨床化学会 » 学会賞-受賞者一覧(2024年度)
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