日本の四季や風情をポップに表現する京都のテキスタイルブランド「SOU・SOU」(代表取締役:若林剛之)は、『新しい日本文化の創造』をコンセプトに、伝統的な素材や技法を用いながら地下足袋や新しいオリジナル和装など、現代のライフスタイルに寄り添うものづくりを展開しています。SOU・SOU の代表商品の一つ「地下足袋」は、日本で誕生した履物。にもかかわらず、日本国内で生産している会社は現在たったの3 社。労働履きのイメージが強く、 ファッションアイテムとしては見向きもされないも のでした。そんな地下足袋の可能性に懸けた京都の小さなアパレル会社の物語です。
若林剛之 ( わかばやし たけし )
SOU・SOU の代表兼プロデューサー。大手アパレルメーカーを退社後、独立。アメリカ、ニューヨークで買い付けた古着を販売するビジネスを京都でスタート。テキ スタイルデザイナーの脇阪克二氏と出会い、2002年よりSOU・SOUの前身となる「teems design + moonbalance」でテキスタイルを用いた雑貨や衣類などを作りはじめる。
■労働作業用の履物から、ファッションアイテムへ
オリジナルのテキスタイルを用いた新しい和装ビジネスをスタートさせるも当初はなかなか売れず、苦しい経営が続きました。そんなとき、若林は倉庫に転がっていた真っ黒な地下足袋サンプルと出会います。なぜそこにあっ たのか明確な理由も分からないような地下足袋を手に取り、直感的に感じました。
「これはイケる!」
地下足袋は大正時代に今の形が完成したといわれている日本発祥の履物。形を変えず受け継がれ、今も現場で活躍しています。つま先が割れていることで踏ん張りがきき、柔軟性のある薄いソールは地面をしっかりと掴んで歩くことができるので疲れにくい。なにより世界に類を見ない独特なデザイン。外国人は地下足袋を見 て” クール” と言います。ですが、日本では労働履きのイメージが強い。でもそれは日本人が持つ偏見のようなもの。地下足袋のメリッ トはそのままに、ポップなテキスタイルデザインをほどこすことでファッションアイテムになるのではないかと若林は考えました。
■国産である必要性
若林は「日本の伝統的な履物なのだから、それは国産であるべき」と考えました。しかし現在市場に流通している地下足袋の約 98% は海外製。昭和 40 年代の高度経済成長期に大手メーカー は全て生産拠点を海外へと移していたため、国産地下足袋を生産している会社はほとんどなかった。 いずれ SOU・SOUの地下足袋は海外に向けて紹介される商品になることは間違いない。その時に我々がどんなに一生懸命になって「日本の伝統的な履物です ! デザインも独特で機能的なんです!」と言ったところで、日本製でなければ説得力がなくなってしまいます。
■反対を押し切って、拘りと熱意が実を結んだ国産地下足袋
SOU・SOU のオリジナルの地下足袋を生産してくれる国内工場探しは難航を極めました。人づてにようやく巡り会えたのは、ランニングシューズなどを生産していた兵庫県高砂市の「株式会社高砂産業」。クオリティの高い製品を作ってくれると定評があり、またとないチャンスでした。 しかし、最初の打ち合わせで高砂産業の社長は終始厳しい顔つき。「こういうのはうちでは無理やな。」と若林 の話を一喝しました。見知らぬ SOU・SOU という会社の将来性やリスク、何よりSOU・SOU の地下足袋は無地のものとは違い、テキスタイルデザインの柄合わせを行う必要があります。どうせ一度きりの発注のためだけに時間も手間もかけるのは高砂産業にはメリットが無い。高砂産業の社内では SOU・SOUとの取引に対して反対一色だったそうです。そんな中で唯一、取引を後押ししてくださったのが高砂産業の加古秋晴会長(当時)でした。熱心に国産地下足袋へのこだわりを語る若林の熱意を信じ、取引を反対する社員を説得し続けてくださったのでした。
■「本物」の地下足袋を引提げて N.Y へ。
ようやく国産地下足袋の生産をスタートさせた若林は、ニューヨーク、東京、京都で SOU・SOU の地下足袋の展示会「SOU・SOU 足袋 EXHIBITION NEW YORK-TOKYO-KYOTO」を行います。ニューヨーク での展示会はSOHOにある小さなギャラリーで開かれました。最初に地下足袋を買ってくれたのはラルフロー レンのディレクターだという男性。そして会期中にはデザイナーやモデルといったファッションに敏感なニューヨーカーたちが次々と地下足袋を購入、中には売り切れのサイズが出るほどでした。しかし、在庫数に限りがあり、ニューヨークでの展示会では150 万円の大赤字を背負うこととなります。それでも日本の地下足袋を手に取ってもらえる機会があったことはその後の SOU・SOU にとって意味のあることになりました。
■次なる一手は青山へ。ハイブランドが並ぶエリアで支持を得た「地下足袋」
地下足袋の追い風が吹き始めた頃、若林が次に打ち出したのは東京青山に「SOU・SOU 足袋」を出店することでした。青山といえば、言わずと知れた世界のハイブランドが立ち並ぶインターナショナルエリア。「青山がインターナショナルと言われる地域ならば、日本らしい地下足袋の専門店があっても良いはず。まだまだ日 本人の地下足袋に対するイメージは良いものではないけれど、もしも青山に店舗があるブランドならば話は変わってくるのではないか」というのが若林の思惑でした。若林の方針はみごとに的中。青山店の売り上げは順調に伸びていくこととなります。地下足袋は SOU・SOUはじまって以来最大のヒット商品になり、会社の売り上げは V 字回復を遂げます。まさに地下足袋がSOU・SOU の救世主となったのです。
■今では年間約 2 万足を売り上げる、SOU・SOU の主力商
2023 年 3 月、SOU・SOUは20周年を迎えました。 SOU・SOUの地下足袋は、現在も実店舗やオンラインショップを通じて国内外から注文が入り、年間約2万 足の売上があります。今でも SOU・SOU の地下足袋は国内製造にこだわり続け、主力工場には「どうせ一度きり」と思われていた「株式会社 高砂産業」の名前が並んでいます。一足一足を職人さんが丁寧に作る日本製のポップでかわいい正真正銘「本物の」地下足袋です。SOU・SOUには流行りも廃りもありません。流行りの代わりに「文化」を創りたい。伝統と文化をアップデー トしながら、SOU・SOUはこれからも歩み続けていきたいと思います。
■会社概要
会社 :若林株式会社
所在地 :〒604-8042 京都市中京区新京極通四条上ル二筋目東入ル二軒目P-91ビル3F
代表者 :若林 剛之
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