花椿編集長 塚田優子
資生堂の企業文化誌として、長年多くの読者に愛されてきた『花椿』は2024年11月にアートブックスタイルの新誌面に生まれ変わりました。アートブックとは、作家やアーティストが写真や画像などを使い、世界観を表現したり、作品を発表したりするもので、アートをより身近に感じられる出版物です。時代の変化にあわせてアプローチを変えながらも、「美」に軸足を置いて、その可能性を前身の『資生堂月報』から数えて100年にわたり追求し続けてきた『花椿』。今回は『花椿』のこれまでを振り返りながら、資生堂や日本の「美」に与えてきた影響、そして未来への展望について、塚田編集長に話を聞きました。
―まずは、これまでのキャリアについて教えてください
塚田 大学卒業後、出版社で編集の仕事に携わりました。2010年に資生堂に入社、花椿編集室で5年間勤務した後は一度退社して女性誌編集部やフリーランスで活動していました。その後、2019年に再び資生堂に入社し2022年から『花椿』の編集長を務めています。
―『花椿』について簡単に教えてください
塚田 『花椿』は現在、年1回発行の紙媒体と、不定期更新のWebサイトで展開しています。紙媒体は、資生堂関連施設をはじめ、全国の書店やライフスタイルショップなどで配布しています。基本的にはすべて無料配布で、書店などで直接手に取っていただくほか、Webサイトや郵送でお申し込みいただくことも可能です。
―前身となる『資生堂月報』から現在の『花椿』に至るまで、100年続く企業文化誌の変遷について教えてください
塚田 1924年、日本のみならず、当時は珍しかった海外の生活文化情報や美容情報を伝えることを目的に『資生堂月報』が創刊。1933年には、その後継として『資生堂グラフ』へと名前を変え、写真やビジュアル表現を重視した冊子へと進化していきます。そして1937年に、愛用者組織「花椿会」の発足とともに、『花椿』が誕生します。創刊時のメッセージに「美しき贈り物」とあったように、情報が限られていた時代に、美容やファッション、西洋文化の生活スタイルや文芸など最先端の情報を伝えていました。
戦時中に休刊しますが1950年に復刊。高度経済成長期とともに部数は伸び続け、1960年代後半には655万部を超える国民的な冊子に成長しました。当時、『花椿』を輸送するためだけの列車が走っていたというエピソードもあるほどです。
1980年代にはアート・ディレクターの仲條正義さんや平山景子編集長のもと、「ビジュアルエンターテイメント」を編集方針に掲げ、先鋭的なカルチャー誌としてグラフィカルな誌面づくりが行われます。その後、2012年に企業文化誌として一度原点に帰り、資生堂らしさも表現できるようにリニューアル。2016年には月刊誌から季刊誌となり、Webもスタートし、現在に至ります。
本社 銀座オフィスに並ぶ『花椿』のバックナンバーの合本
―時代や表現方法が移り変わる中で、読者層に変化はあったのでしょうか?
塚田 70年代は資生堂のお客さまがメインでしたが、80年代後半からグラフィックデザイン性が強くなることで、広くアートやカルチャー、ファッション好きの感度の高い方に注目されるようになります。それにあわせて配布場所も拡大し、書店やセレクトショップなどに置かれるようになりました。2016年のリニューアルから2023年までは20代~30代の若い世代をメインターゲットにしていますが、長年『花椿』を愛してくださっている読者の皆さまに、年齢や性別を問わず、幅広く手に取っていただいています。
―特集の決め方や誌面のつくり方はどのように変化していきましたか?
塚田 創刊当初は、例えばその季節のメイク特集だったりファッション写真の中にメイクの情報を入れたりと、美容にまつわる企画や記事が中心でした。1980年以降の仲條正義さんがアート・ディレクターをしていた約30年間は、美容、ビューティーを根底におきつつも、ビジュアル表現の優先順位が高くなっていき、仲條さんのインスピレーションを基に、それを具現化していくような誌面づくりが行われていきます。2012年以降は、編集長がテーマを決め、みんなで企画を出しあってつくるスタイルに変わりました。私もその方法を受け継ぎ、アート・ディレクターの意見も取り入れながら一緒にテーマを考え、メンバーと共に企画を検討しながら進めています。
時代にあわせたアプローチで「美」を大切に表現してきた『花椿』
歴史を継承し、新たなステージへ。『花椿』が目指す「新しい美」
―今回のリニューアルのきっかけを教えてください
塚田 今の時代、さまざまな情報があふれていて、物質的にも豊かになりました。だからこそ「本当に大切なもの、美しいものとは何か」という本質的な部分に立ち戻る必要があると感じるようになったのです。『花椿』のバックナンバーを見ていると、特に60・70年代のものをあらためて読むと、美やエレガンスというものを真摯に追求し、表現しているように思います。ビジュアルはもちろんのこと、文章や小さなコラムに至るまで、資生堂の美意識や哲学が息づいています。そこで、今こそこうした豊かさの原点に立ち返ることが時代的にも求められているのではないかと考えるようになりました。この時代に立ち返りつつ、現代的なアップデートも加えながら1冊を編んでいきたいと思い、今回のリニューアルを進めていきました。
―『花椿』は創刊以来、「美」をテーマにしていますが、今回のリニューアルで挑戦していくのは「新しい美の開拓」ですね。その意図を伺えますか
塚田 今回のリニューアルでは「エステティカル ビジョナリー(Aesthetical Visionary)」、すなわち「新しい美の開拓」をビジョンに掲げています。『花椿』は今、創刊当初の「啓発」の時代、その後の「共感」の時代を経て、新たなフェーズを迎えています。それは、私たち一人ひとりが新しい美を発見し、楽しむ時代です。創刊から変わらない姿勢である「心豊かで美しいライフスタイルを提案する」ことは誌面全体で貫きながら、新しい美を発見できる誌面になるよう意識しています。
―今回のクリエイティブ・ディレクターを海外メゾンのクリエイティブ・コンサルティングをメインにお仕事されている、フランス出身のクラリス・ドゥモリさんにお願いした理由を教えてください。
塚田 『花椿』は100年という歴史の中で多くの資産を積み重ねてきた一方、その歴史の長さゆえにアウトプットの仕方が画一的になっているとも感じていました。そこで、カルチャーの異なる海外の方を起用することで、新たな視点や解釈、編集方法が生まれ、資生堂が培ってきたものをより効果的に社会に発信できるのではないかと考えるようになりました。
そこで、クラリスさんに相談をした際、彼女がバックナンバーを見て「アール・ド・ヴィーヴル (art de vivre)」を感じると言ってくれました。美しく豊かな生活、暮らしの芸術といった意味のフランス語ですが、実は資生堂の2000年のコーポレートメッセージの一部にもあった言葉なんです。彼女はそれまで『花椿』を見たことがなかったですし、日本に来たことさえなかった。それでも、その言葉で『花椿』を表現してくれたことに驚き、深く感動して、この人となら一緒に新しい『花椿』をつくっていけると確信したんです。
ボーダーレスな美と時代を超えて読み継がれる誌面づくり
―リニューアル第1号のテーマは「ケア」ですが、どうやって決めていきましたか
塚田 クラリスさんとオンライン会議やメールでやり取りを重ねていく中、フランスの哲学者で精神分析学者でもあるシンチア・フルーリー氏の「ケアなしには社会は存在しない」という言葉が今の時代には非常に重要なことだと教えてくれました。この言葉は、資生堂や『花椿』に通じる考え方だと感じたのです。資生堂はセルフケアや他者へのケアの啓発に加え、長年アートハウスやギャラリーを運営し、アート作品やヘリテージに対するケアを行ってきました。「ケア」が資生堂にとって重要な要素だと改めて気づき、これをテーマに決め、多角的にとらえながら各特集に落とし込んでいきました。
―ビジュアル面では、アートブックスタイルに進化し見せ方が大幅に変わっています
塚田 『花椿』においてグラフィックデザインはとても重要な要素ですが、今回のリニューアルでは、本質に帰るという点からも、エレガントであることをより優先したデザインにしています。写真1枚1枚はまるで家に飾れるようなクオリティで、ずっと手元に置きたくなるような誌面づくりを意識しました。紙質は企画にあわせて変えているので、触れることで感化され、五感を刺激するような体験ができると思います。内容も単なる情報誌にとどまらず、時代を超えて読み継がれるような内容を掲載することにこだわっています。
―今回のリニューアルにあたり、誌面とWebの役割について、意識的に変えている点や工夫している点を教えてください。
塚田 誌面がメインでWebはそれを補完する役割にしています。2021年までは紙とWebでターゲットも変え、Webオリジナルのコンテンツも制作していました。今回のリニューアル後は、本誌から厳選したコンテンツをWebに掲載し、誌面を手に取る機会がない方にも『花椿』のコンテンツに触れていただき、資生堂の美意識を感じていただくことを目指しています。
―リニューアルをしていく中でも『花椿』が大切にし続けていることや、変わらない部分を教えてください
塚田 読者にとっては「美しき贈り物」であり続けることです。また、編集部やクリエイターにとっては、新しい美や多様な美についてオリジナリティを持ってつくっていける場所であることです。歴代の編集長と話していても、資生堂の精神を持ち、そのうえで自由で新しい表現方法に挑戦できる土壌が大切に育まれていると感じます。また、『花椿』はアート・ディレクターやクリエイティブ・ディレクターの存在が大きな冊子です。その点も他のメディアと異なる部分で、美意識へのこだわりが脈々と受け継がれていると思います。
『花椿』2024年号(No.832)の表紙と裏表紙
―社内に編集室があるということの価値にもつながりますね
塚田 この点は、資生堂の独自性であり、ユニークな部分だと思います。資生堂の思想や考え方を深く理解した社員が編集者として美を表現したり、同様に、「資生堂ギャラリー」(東京都中央区銀座)でもインハウスのキュレーターがキュレーションを担ったりすることが、当社の文化活動において重要な点だと考えています。
―各企業や団体がオウンドメディアを発信している時代です。『花椿』が存在し続けている理由はどこにあると思いますか
塚田 私たちはアート&ヘリテージマネジメント部という部署で「資生堂ギャラリー」、「資生堂企業資料館」・「資生堂アートハウス」(ともに静岡県掛川市)なども運営しています。資生堂がこれまで培ってきた文化を資産として考え、大切に守り続けてきました。
『花椿』も、資生堂の文化活動の1つとしてその中に含まれるんです。文化を守り、発信する活動が、会社の中にしっかりと根付いている。これが、他との大きな違いだと思います。『花椿』のことを分かりやすく説明するためにオウンドメディアと表現することもありますが、実際は現在の一般的なオウンドメディアとは役割が大きく異なり、資生堂にとっては必要不可欠な存在だと思っています。
―塚田さんご自身にとって『花椿』とはどのようなものなのでしょうか。また、リニューアルした『花椿』を手に取られての感想も伺えますか
塚田 いつ、どんなとき、どんな時代に読んでも、心を動かす何かを持っている。それが『花椿』だと思います。私で15代目編集長になりますが、これまでの歴史を大切に守りながらも、同時に新しい歴史を編んでいき、バトンをしっかりつないでいくこともミッションだと考えています。今後も、時代の空気感を取り入れて、新しいことにトライし続けていきたいです。『花椿』を愛している先輩方に、リニューアルした誌面を見ていただくことは正直プレッシャーですが、賛否両論があって良いと思っています。むしろ、さまざまな感想をいただけるような、そんな1冊になれたらと思います。
―今後はどんな特集や誌面展開を考えていますか
塚田 来年はまた別のクリエイティブ・ディレクターの方とタッグを組む予定です。今後もさまざまな方と協力し、自由な発想で『花椿』を遊ばせることで、いろいろな表現に挑戦していきたいと考えています。テーマについては、美にまつわることを軸にしながら会社の目指す方向性や社会の動きなどを見てつくっていきたいと思っています。
―最後にメッセージをお願いします
塚田 この1冊には、資生堂と『花椿』が大切にしてきた宝物が詰まっています。ぜひ手に取っていただいて、その魅力を体感していただきたいと思います。そして、これをきっかけに資生堂や『花椿』が伝え続けてきた思いや積み重ねた歴史にも興味を持っていただけたら嬉しいです。今号の『花椿』をどのように解釈し、発展させていくのか、読者の皆さんと一緒に考えていけたらいいなと思っています。
―クラリス・ドゥモリ(『花椿』No.832 クリエイティブ・ディレクター)からのコメント
私の中で資生堂は、日本を象徴する存在として、洗練とテクノロジーが融合し、伝統を大切にしながらも常に革新を追求するイメージがありました。そして日本は、私にとって今もなお探求しがいのある夢の地です。『花椿』のバックナンバーをすべて読んだとき、この雑誌にすっかり魅了され、夜通しページをめくる手が止まらず、まるで誰かに恋をしたときのように、そのことばかり考えてしまいました。また、この雑誌が日本の歴史的なモニュメントのような存在で、時代と共に進化し続け、日本の人々にとって非常に意味のあるものだということも理解しました。
私は「美しさこそが世界で最も大切なものだ」と信じています。美しさは愛をもたらし、愛こそが生命そのものだからです。とはいえ、美しさにはさまざまな形があり、特に健康や自然、健やかさと結びついている美しさが好きです。人々にインスピレーションを与えるのは、まさにそういう美しさであってほしいと願っています。ぜひ、リニューアルした『花椿』を手に取っていただけたらと思います。
『花椿』Webサイト: