神話と歴史が交差する古代日本。当センター研究員である金澤正由樹は、その謎に科学の力で迫る一冊、『
本書は、最新の英語論文とゲノム(DNA)解析などのハイテクを駆使し、従来の常識を覆す新たな視点で、神武東征や日本建国神話の謎に光を当てています。壮大な歴史のピースが、ひとつのストーリーとして組み上がる驚きと興奮を味わえる内容です。
前作『
』は、読者からの熱い支持を受けて4刷を達成。本書はその続編として、鮮やかなカラー図解をふんだんに取り入れながら、日本神話が単なる物語ではなく、歴史的事実の可能性を秘めていることを示します。さらに、卑弥呼や邪馬台国、巨大古墳の謎にも大胆に切り込み、既に重版が視野に入ってきています。
文献資料が極めて限られ、「神秘のベール」に包まれてきた日本建国の歴史。金澤は、最新ハイテクと徹底的な資料分析をもとに、そのベールを丹念に一枚ずつ剥がしていきます。日本古代史を知る手がかりが、次々と明らかにされていくプロセスは、まるで推理小説を読むようなスリルを感じさせます。
知識欲を刺激し、新しい歴史の見方を提示する一冊。『古代史サイエンス2』を通じて、未知の古代史の世界に踏み出してみませんか?
(ヒューマンサイエンスABOセンター 理事長 市川千枝子)
■資料が極めて乏しい日本神話。しかし、現在ではサイエンスが事実を明らかにしつつある
ヒューマンサイエンスABOセンター研究員の金澤正由樹です。
2年前に出版した『古代史サイエンス』を読んでいただいた方々、大変ありがとうございました。この本をきっかけに、古代日本の歴史に興味を持った方がいらっしゃれば、著者として最大の喜びです。
その後の研究を通じて新たな発見や視点が次々と明らかになり、これを皆さんと共有したいという思いから、続編となる『古代史サイエンス2』を出版することにしました。
今回のメインとなるテーマは、いまだに謎の多い日本神話。天照大神や神武東征に象徴される日本建国神話を、最新の科学的アプローチで再検証しました。資料が少なく、これまで「ただの神話」と片付けられていた部分に、実は隠されたストーリーがあるのかもしれないのです。
実は、この研究で私自身も驚いた発見がありました。それは、神武東征や日本建国、卑弥呼、邪馬台国、そして巨大古墳建造に至るまでが、ある一貫したストーリーとして説明できそうだということ。この仮説が見えてきたとき、まるでパズルのピースが一気にはまるような興奮を覚えました。
その鍵を握るのが、X(旧Twitter)で話題になった「かぬそぬ氏」の考古学GIS(デジタル地図)です(図1)。この地図では、古墳時代や弥生時代の銅鏡の分布がビジュアル化されており、北部九州と近畿地方に銅鏡が集中していることが一目瞭然。この銅鏡、当時は富と権力の象徴です。分布は、邪馬台国の位置や日本建国のプロセスを解き明かす重要な手がかりになると感じました。
私自身が持った「もしかして、これは事実かもしれない」という直感。それをどう検証したのか、そしてどんな結論に至ったのか――ぜひ『古代史サイエンス2』を通じて、この旅にご一緒いただければと思います。
■神武東征は事実だったのか?――歴史と神話の境界に挑む
『日本書紀』によれば、日本建国の経緯は次のとおりとなっています。
)
神武天皇は、日向(宮崎県)の美々津(みみつ)を出航して大和に到着。先住民の長髄彦(ながすねひこ)との最後の決戦で、邇藝速日命(にぎはやひのみこと)の助けを得て勝利することが最初のステップです。
その後、神武天皇は畝傍(うねび)山のふもと橿原(かしはら)に都を定め、即位の礼を執り行なって初代天皇になった……確かに壮大なストーリーです。
八本足のカラス「八咫烏」(やたがらす)が道案内をしたり、金鵄(金色のとび)が弓に止まって敵を眩ませたりといったエピソードは、ファンタジックで魅力的です。
しかし、令和の現在、日本建国は一字一句このとおりだった、と信じている人はいないでしょう。
また、「日向の美々津を出航」も疑っている人も多いと思います。そもそも、大和朝廷の始祖が、なぜ九州からはるばる大和まで遠征する必要があるのか……まったく意味が理解できません。もちろん、私もそうでした。
しかし、最新の考古学的知見やイネのDNA解析などを使って検証すると、この物語には科学的な裏付けが存在しているかもしれないのです。
そんなバカな!という疑問はあまりにも当然です。詳しく説明すると長くなるので、ここではイネのDNAに絞ってシンプルに説明します。
実は、イネの広がりはまさに神武東征のルートと一致しているのです。この「作り話っぽい」神話が、実は農業や集団移動の実態を反映しているとしたら、どう思いますか?
■神話はDNAが語る真実?――イネが紡ぐ神武東征の物語
によれば、日本の古代のイネのDNA(RM1)には大きく分けて「a」「b」、そして珍しい「c」というタイプがあるそうです。この「c」、実は日本ではほとんど見られません。でも、神武東征の出発地とされる日向(宮崎県)では、この珍しい「c」のイネが見つかるのです。
さらに興味深いのは、『日本書紀』に出てくるエピソード。神武天皇が寄港した吉備(岡山県)の高島宮では、なぜか3年間も滞在し、食料を確保しながら軍備を整えたとされています。この「3年間の滞在」がただの偶然ではないと考えたらどうでしょう?
図3 神武東征の寄港地
実際、吉備で見つかったイネのDNAも、日向と同じ「c」なのです。これは特筆すべき事実でしょう。なぜなら、この「c」というタイプのイネは、日本国内では他の地域ではほとんど見られないからです。つまり、日向から吉備へ、神武東征のルートに沿ってイネが運ばれ、栽培された可能性があるわけです。
(黄色の丸で追記)
「神話の中の農業技術者」――そんなイメージが浮かびませんか? 日向から吉備へ、単に戦うためだけでなく、農業の最新技術や籾を運び、新しい土地で耕し、作物を育てる。それこそが神武東征のもうひとつの側面だったのかもしれません。
こうしたイネのDNAが語る事実は、神話がただの「作り話」ではなく、歴史の断片を映し出している可能性を示しています。
また、当時の西日本の水田稲作で大いに使われたのは「遠賀川式土器」です。神武東征の途中では、なぜか大和とは逆方向の西に進路を変更し、わざわざ筑紫・岡田宮に寄港しています。この遠賀川河口の積出港で土器を大量に調達して、「c」の籾とセットで吉備に持ち込んだということでしょうか……。
前著『古代史サイエンス』でも触れた内容ですが、改めて考えると、邪馬台国と神武東征にはもっと深い繋がりがあるのではないか、と感じています。
もし
としたら……。その時、日向は邪馬台国にとって最大級の植民市だった可能性が高いのです。植民市とは、単に人が移り住む場所ではなく、経済的、農業的、そして技術的にも重要な拠点となる地域のこと。
そして、神武東征が日向を出発地に選んだ理由のひとつは、ここに隠されているかもしれません。新天地である大和に向かう際、すでに日向で培われたスタッフや技術、ノウハウをそのまま活用できたと考えると、物語に説得力が増してきませんか?
つまり、神武東征は単なる遠征ではなく、邪馬台国の植民市同士を繋ぎ、新たな拠点を築くための計画的な移動だった可能性があるのです。これが本当なら、歴史の見方が大きく変わりますよね。
『古代史サイエンス2』では、この仮説をさらに掘り下げ、神武東征と邪馬台国の関係性について詳しく考察しています。神話が語る「冒険譚」の背後にある、リアルな歴史の動きとは何だったのか。
私たちが知っている「古代日本」の姿が、少しずつ色を変え、立体的に浮かび上がってくる感覚を、ぜひ味わってみてください。
■デジタル地図が語る邪馬台国の真実――銅鏡が指し示す歴史の足跡
実は、前出の「かぬそぬ氏」のデジタル地図からは、少し意外なことも読み取れます。特に、九州地方の拡大図を見ると、興味深いポイントが浮かび上がってきます(図6)。
まず、朝鮮半島に近い玄界灘沿いの福岡市(奴国)周辺に銅鏡が集中しているのは予想どおりの結果です(A)。しかし、意外なことに、もうひとつの集中地点が現れました。それが、瀬戸内海に面する行橋市付近(B)です。この地域は、日向や大和へとつながる海上ルートの中継地点であり、港湾としての役割を果たしていた可能性が高いと思われます。
さらに、このルートは陸路で九州山地を越え、朝倉市付近(C)まで伸びています。この動線を素直に解釈すると、邪馬台国の首都機能は朝倉市(夜須)周辺にあったと考えられます。そして、「邪馬台国」の「やまと」という読みが、近隣の「山門(やまと)」に由来している可能性も見えてきました(図7)。
図7 銅鏡の分布から推測される主要な物流ルート(陸路)
もちろん、この結論にたどり着くには課題もありました。かぬそぬ氏の地図は、弥生時代と古墳時代のデータが混在していたため、まずは弥生時代限定の地図を作る必要がありました。そこで、銅鏡の出土データをまとめた『
(1:500,000デジタル標高地形図九州 技術資料D1-No.1053)を使って独自の地図を作成しました(図8と図9)。
図8 弥生時代に北部九州で銅鏡が出土した遺跡(赤点)
結果は明らかです。弥生時代において、北部九州の銅鏡の分布は近畿地方を大きく上回っています。その実数差はほぼ2桁であり、これだけの証拠が揃えば、邪馬台国が北部九州に存在していたと考えるのが自然でしょう。
図9 弥生時代に近畿地方で銅鏡が出土した遺跡(赤点)
このように、最新のデジタル地図から銅鏡が語る歴史の足跡をたどると、古代日本と邪馬台国の姿が少しずつ浮かび上がってくるようです。
■デジタル地図が語る神武東征の真実――青銅器が描く古代のパワーゲーム
現代では、考古学の膨大なデータがデジタル化され、目で見て直感的に理解できるようになりました。そこで、デジタル地図の視点から「神武東征」を新しい形で読み解いてみたいと思います。
ここでは、弥生時代を象徴する青銅器に注目してみましょう。近畿地方では「銅鐸」が広く分布していました。この分布をデジタル地図で見ると、その集中度合いや地域性が一目瞭然です(図10)。
一方で、北部九州を代表する青銅器は「銅剣」「銅戈」「銅矛」。これもまた、デジタル地図を使うとその広がりが鮮明にわかります(図11)。この違いが何を意味しているのか――ここに古代日本の勢力図を解き明かすカギが隠されているのです。
注目すべきは、『日本書紀』における「剣」の重要性です。「草薙の剣」をはじめとする剣の伝統は、三種の神器にまで組み込まれ、大和朝廷の象徴となっています。この剣文化のルーツは北部九州の「銅剣」にあると考えられます。つまり、北部九州の文化や勢力が、大和朝廷の成立に直接影響を与えた可能性が非常に高いのです。
一方で、近畿地方で大いに使われていた「銅鐸」についてはどうでしょうか? 驚くべきことに、『日本書紀』には「銅鐸」に関する記述が一切ありません。さらに、現在でもその用途は解明されていませんし、大和朝廷の伝統にも受け継がれていません。この事実が何を意味するのか、考えずにはいられませんよね。
これらの青銅器の分布が示唆するのは、弥生時代の末期に北部九州の勢力が近畿地方へ遠征し、地元勢を打ち破って大和朝廷を築いたという壮大な歴史の流れです。デジタル地図を通して、この「文化の移動」や「勢力の交替」が、これまで以上にリアルに感じられませんか。
【注】これらのかぬそぬ氏のデジタル地図は、公開時期などの理由により、『古代史サイエンス2』には未収録となっています。
■『古代史サイエンス2』がアゴラで人気記事に!――無料公開で広がる議論の輪
『古代史サイエンス2』の一部内容を、言論プラットフォーム「
」で無料公開しているのをご存じですか?
「アゴラ」は、知的好奇心にあふれる読者が集まり、活発な議論が繰り広げられる場として知られています。この空間なら、本書が提供するテーマ――古代史の新しい視点――がぴったり合うだろうと考え、出版元である
の協力を得て一部を公開することにしました。
驚いたことに、公開直後から多くの方に読んでいただき、数ある記事の中で――瞬間的ではありますが――トップ人気の記事となることができました。これほど多くの方が興味を持っていただいたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
公開したのはほんの一部ですが、この内容をきっかけに、「神話と歴史の境界を探る」という本書のテーマについて、さらに多くの人と議論を深められれば嬉しいです。
《参考リンク》
■ヒューマンサイエンスABOセンターのご紹介と新刊の予定
では、「血液型と性格」の関連性を含む人間科学の研究を進めていますが、私自身は『古代史サイエンス』シリーズに加え、現代史版として『
2025年となる来年は、昭和100年、そして終戦80周年を迎えるため、『古代史サイエンス』や『「空気の研究」の研究』の執筆を通じて蓄積された古代史・現代史の知見をベースに、来夏、新刊『(仮題)神風特攻隊のサイエンス データが語る過小評価とその理由』をリリース予定です。
神風特攻隊については、名著や労作が数多いのですが、この新刊では、従来はほとんど研究が着手されていなかった、数多くの国際データの比較と分析をもとに、神風特攻隊の事実と評価を行う予定です。
神風特攻隊で何があったのかという「事実」の研究は数多く、そのデータや手法も極めて精緻で、到底私が及ぶところではありません。対して、何がなかったのか、言い換えれば何が「抑止」されたのか、という研究は、なぜかほとんど見かけません。
研究はまだ道半ばですが、驚くべき事実が明らかになってきました。神風特攻隊の直接的な成果よりも、抑止の効果の方が遙かに大きいようなのです。
本書では、『古代史サイエンス』シリーズの手法を現代史に応用し、この未解明の謎に迫っていくつもりです。
》
DNAと最新英語論文で日本建国、邪馬台国滅亡、巨大古墳、渡来人の謎に迫る
【価格】
1,500円+税
【発行日】
2024年9月12日
【出版社】
鳥影社