この記事をまとめると
■フィアット・パンダの次世代モデルとなるグランデパンダが公開された
■パンダは1980年にジョルジェット・ジウジアーロによって初代が設計されてその歴史が始まった
■小型大衆車としての本質が極まったほぼ唯一無二な存在が初代フィアット・パンダだった
1980〜90年代のイタリア大衆車といえばパンダ
イタリア本国ではグランデパンダという次世代モデルの存在がアナウンスされて、絶妙に出来のいいこれまでのパンダは少なくとも2027年までは生産と販売が続けられるが、いずれ終了となる運命にある。そしてグランデパンダの発表とほぼ同じくして現行パンダのラインアップの最上級に加わったモデルの名前が“パンディーナ”。つまりは“小さなパンダ”、である。
小さなパンダ、か。全長3655mmに全幅1645mm。確かに現代のクルマとしては、3代目パンダは気もちよくコンパクトな部類だ。でも、やっぱり初代と較べるとずいぶん大きいな、と感じる。原理主義者じゃないからどんなクルマでも初代ばかりを賞賛するつもりはないけれど、現在の軽自動車よりも小さい初代のサイズは──デメリットもないわけじゃないものの──尊いとすら感じられる。
それにパンダに関していうなら──2代目も3代目も好きだけど──初代はすでに歴史的名車の領域に片足が入ってると思う。ここ数年では少しずつ入手が難しくなりつつあることもあって、ユーズドカーの相場も上がってきてたりもする。とりわけイタフラ系のクルマ好きの間ではもっとも欲しいクルマ”とまではいかないかも知れないけど、欲しいクルマの1台に数えられることが多い。かくいう僕もそのなかのひとりで、先日、ここ30年ほど心の片隅でそう思い続けてたことに気づかされる出来事があって、愕然としたところだった。
いったい全体、初代パンダの何がそんなにいいのか。なにゆえ歴史的名車と認められつつあるのか。
初代パンダは、イタリアの人たちに自由に移動できる喜びや家族と荷物を一気に運べる便利さなどなど、さまざまな幸福をもたらした稀代の名車、2代目フィアット500の事実上の後継ぎとなったクルマだった。実際には126という後継モデルが1972年に誕生したのだが、乱暴な表現をすればカタチが違うだけでメカニズムも実用性も走りも何もかもが2代目フィアット500のままという126に、イタリアの人たちは満足できなかったのだ。
ところがパンダは、1980年にデビューすると増殖を開始し、イタリアの街角でまわりを見渡すと必ず2〜3台は目に入るような、驚くほどポピュラーな存在になった。
それはなぜだったか。クルマの価格が庶民でもそう無理せず手に入れられるリーズナブルな範疇にあって、その価格よりも得られるバリューのほうがはるかに優っていたからだ。
時代とともに趣味のクルマとしての色合いが濃くなり、生産が終了して20年以上が経過したいまでは“ヤングタイマー”と呼ばれるカテゴリーにおける人気車種にもなってるのだが、デビュー当時はあくまでも日常生活のための実用車だったわけだから、低価格であることと乗用車としての使い勝手がいいことは何よりも重要だった。初代パンダは、そこがしっかり満たされていたのだ。
まるでジムニーのようにイタリア人に愛されていたパンダ
クルマの設計をフィアットから任されたのは、誰もがデザイナーとして知っているジョルジェット・ジウジアーロ。彼はスタイリングのみならずパッケージングにおいても天才的な能力を発揮できる稀有な人物だった。
フィアットからの要望は、安価なクルマとして販売できること、構造が簡単であること、十分な室内空間をもつこと。モノの本によれば、ジウジアーロに相談したフィアット側の役員が“フランス車のようなクルマ”という言葉を使い、ジウジアーロはシトロエン2CVを思い浮かべたらしい。設計思想に共通する部分を強く感じるのは、だからなのだろう。
ボディは直線と平面による構成で、ほとんど四角四面。ウインドウは前も横も後ろも、すべて真っ平な板ガラス。余分な加工コストを要さない、もっとも安価ですませられる手段だからだ。それでいて姿カタチがつまらないモノにはまったくなってないあたり、さすがとしかいいようがない。
インテリアも同じで、たとえば普通のクルマなら樹脂製のダッシュボードになってる部分は鉄パイプと布地で横長のポケットを作り、グローブボックス代わりの小物入れとして活用できるようになっている。さらにシートもパイプフレームに布地を張ったハンモック構造で、簡単に取り外せて車外でチェアとして使うこともできた。
1982年から上級グレードが、1986年からはすべてのモデルが厚手のクッションをもつ一般的なシートを備えることになったが、初期モデルのハンモックシートは意外や座り心地もホールド性もなかなかよく、何より楽しさに満ちていた。
また、そういうシンプルさを旨とするデザインだからして、余計な出っ張りもおせっかいな備えもなく、おかげで室内スペースは数値的には狭いのだけど窮屈さのようなものはまったく感じない。チープであることを微塵も恥じておらず、変に高級ぶって見せようと足掻いてもおらず、潔いほどにシンプル。その自然体な雰囲気にも心惹かれる。
さらに、走らせてもけっこう楽しい。いや、誤解しないでほしいのだけど、かなり速いというわけでもなければスポーティな仕立てになってるわけでもない。何せ実用車なのだ。本国では126譲り──ということは2代目チンクエチェント譲りともいえる──の直列2気筒652ccエンジンからスタートしているが、日本にもたらされたパンダのほとんどが4気筒、それも大半が999ccか1108ccのFIREエンジンだ。それぞれ45馬力、52馬力と馬力は乏しいのだが、ガンガンぶちまわしてやると意外なくらい元気に走ってくれるし、眠たいようなところはないし、かなり楽しい気分になれる。
コーナーでも大きめのロールを披露するけど、だらしなさなんて少しも感じさせずに柔軟な腰をグッと粘らせながら曲がっていく。何やらクルマ全体がエネルギッシュな感じがして、走らせてるだけでワクワクしたような気分にさせてくれるのだ。典型的なイタリアン、である。
しかも、だ。バリエーションのなかには4×4というシュタイアプフと共同開発したパートタイム4WD機構をもつモデルもあり、その走破性の高さはかなりの好評価で、イタリアでは森林地帯や山岳地帯などでの働くクルマとしては重宝された。転じて、カスタマイズを施して道なき道のような大地の走破を楽しむ好き者の格好の相棒にもなっている。母国ではジムニーのように愛されてきたのだ。
そうした魅力の数々が、全長3.4m足らず、全幅1.5m足らずの小さな車体にパンパンに詰まってる。日本でいうなら、軽自動車よりも微妙に小さいサイズで、そのありがたみは日本のドライバーだったら誰もが理解してるはずだ。
そんなクルマ、世界のどこを探してもほかには見当たらない。小型大衆車としての本質、ここに極まれり、である。初代パンダはほとんど唯一無二といっていい存在であり、じつはなかなか凄いクルマだったのだ。