鑑賞後、そっと胸に想いが残る――『私たちが光と想うすべて』

2025.07.17 07:00
慌ただしい日常から一瞬で別世界へと誘ってくれる映画。毎月たくさんの作品が世に送り出される中で、BRUDERの読者にぜひ観てほしい良作を映画ライターの圷 滋夫(あくつしげお)さんに選んでいただきました。『私たちが光と想うすべて』/7月25日公開
昨年のカンヌ国際映画祭では、審査員長のグレタ・ガーウィグや審査員の是枝裕和らの絶賛を受け、グランプリ(第二席)を受賞。その他、多くの映画祭で100部門以上ノミネート、25部門以上の受賞を果たし、世界を席巻しているインド映画です。長編劇映画1作目となる女性監督パヤル・カパーリヤーによる、詩的で繊細なアートハウス系作品で、歌って踊るアクション大作のインド映画とは一線を画しています。
共同生活を送るプラバとアヌは、同じ病院で働く看護師同士。真面目で厳しいけれど慈愛に満ちた先輩プラバには、親が決めた結婚の後、ドイツで働きながら長らく音沙汰がない夫がいます。自由奔放で明るく今を楽しみたい後輩アヌには、内緒で付き合うイスラム教徒の恋人がいます。年齢も性格もまったく異なる二人の間には距離がありましたが、ある出来事を機に少しずつ縮まっていきます。そんな時、病院の食堂で働くプラバの親友が、高層ビル建設に伴う理不尽な立ち退きを迫られることに。二人は故郷に帰る彼女の引越しを手伝うため、海辺の村まで一緒に旅をすることにしますが…。
物語の前半は、インド最大の都市ムンバイが舞台です。二人は漠然とした不安と葛藤を抱え、自由に生きることを願いながら必死に日常生活を送っています。ムンバイには地方から多くの人々がそれぞれの理由で集まっていますが、本作は焦燥感と不条理に抗いながら暮らす人々の心象風景を、手持ちカメラの美しい映像で詩情豊かに描写します。様々な光に彩られ、時折激しい雨に包まれる都会の夜の風景は、急速な変化を遂げる街そのものが主人公のように妖しい魅力を放ち、台湾の巨匠エドワード・ヤン監督が台北の街にとどろく孤独な心を美しく切り撮った諸作を思わせます。そして街が魅力を放てば放つほど、二人の孤独は深まります。
後半は、舞台を森に囲まれた海辺の村に移し、3人の女性の緩やかな連帯と友情が描かれます。プラバとアヌには、それぞれ未来を予見するような不思議な出来事が起こり、二人の心は彼女たちを縛る様々な制約から少しずつ解放され、浄化されていきます。
ドキュメンタリー映画出身のカパーリヤー監督は、社会を見据える的確な視点を劇映画のロマンティシズムへと昇華させ、それにより面白さと奥深さを融合する本作のアプローチを見事に成立させています。ムンバイでは現代インドの都市生活者のリアルなメランコリーを、SNSのテキストや写真をセンスよく映像に取り入れながら活写し、雄大な自然の中ではマジックリアリズム的な幻想譚を描き、その幅広い映像表現に魅了されるでしょう。音楽面でも同様に、都会の生活音の喧騒や田舎の自然が放つ密度の濃い環境音にスコアを巧みにミックスして、ドキュメンタリーとフィクションを共存させています。さらに挿入曲として、エチオピアの作曲家/ピアニストのエマフォイ・ツェゲ=マリアム・ゲブルの軽やかに転がるようなピアノの曲が、アヌの心情に寄り添うように流れ、深い余韻を残します。
本作は一般的なインド映画のイメージを軽く飛び越え、ゆったりとした時間の中で女性たちの内面を描いた静かな人間ドラマです。ムンバイであれ東京であれ、大都市に生きる人々に共通する普遍的な感情が描かれています。彼女たちは様々な出来事を経験し、少しずつ感情を動かされ、その想いが観ている私たちの心にもゆっくりと染み渡ります。映画を観て受け取った想いを何度も思い出してじっくり考えてほしい、そんな作品です。
なお、本作の公開に合わせて、カパーリヤー監督の前作で初長編ドキュメンタリー『何も知らない夜』(2021)が8月8日(金)より限定公開されます。カンヌ国際映画祭監督週間のベストドキュメンタリー賞や山形国際ドキュメンタリー映画祭の大賞など多くの賞に輝き、本作とも地続きの現代インドの若者の姿を描いた傑作です。

『私たちが光と想うすべて』https://watahika.com/


圷 滋夫(あくつ・しげお)/映画・音楽ライター
映画配給会社に20年以上勤務して宣伝を担当。その後フリーランスになり主に映画と音楽のライターとして活動。鑑賞マニアで映画とライブの他に、演劇や落語、現代美術、コンテンポラリーダンス、サッカーなどにも通じている。
Edit : Yu Sakamoto

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