この記事をまとめると
■トゥールビヨンで注目される16気筒エンジンを搭載するのはブガッティだけではない
■戦前には16気筒エンジン搭載車がいくつかあって当時としては高い出力を誇った
■好景気に沸いた1990年代にもいくつか生まれ消えていった
16気筒エンジンの歴史を紐解く
ブガッティの最新作、トゥールビヨンは超ド級なメカニズムとパフォーマンスで注目されました。なかでも、コスワースが作ったというV16エンジンは、90度/クロスプレーンクランク/9000rpmオーバーとのことで、エンジンマニアならずとも感嘆のため息をもらしたことでしょう。
が、16気筒エンジンというだけなら、なにもトゥールビヨンが最初ではありません。すでに戦前には世界初の16気筒エンジンを搭載したキャデラックが誕生していますし、これを追うようにアウトウニオンはレースカーに16気筒エンジンを載せています。とはいえ、ご想像のとおりイロモノ的なクルマが多いので、ご紹介してみましょう。
ド根性の戦前16気筒
いずれもカタログ値なので実際のところは不明ですが、キャデラックの452型V16(45度)は7.4リッターから185馬力を発揮したといわれ、のちの7リッター135度のV16にしても165馬力と、当時としては破格のパワー。これで、キャデラックはラグジュアリーカーのトップに躍り出たこと間違いありません。
また、アウトウニオンはみんな大好きポルシェ博士が設計したグランプリカー、Pヴァーゲンですが、当初は6リッターのV16となる予定でしたが、実際は4.4リッターに縮小されて搭載されました。さらに、スーパーチャージャーによる過給で295馬力を発揮し、最終モデルとなったタイプCに至っては当初の6リッターへと戻り、520馬力まで強化されています。
ちなみに、このマシンは1939年に完成したばかりのアウトバーンで速度記録に挑戦し406km/hをマーク! トゥールビヨンがスピードキーで最高速(445km/h)を解放すれば追いつけませんが、通常時の最高速380km/hならばやすやすと追い抜くスピードです。しかも85年前のクルマですから、驚異としかいいようがありません。
バイクレーサーならではのW16気筒
1995年におそらくは1台だけ作られたヒメネス・ノビアW16は、その名の通りW型16気筒エンジンを搭載した夢のようなマシンでした。
作ったのはフランスでバイクのレースに出場していたラモン・ヒメネスで、当時のルマンGT1クラスへの出場を目指していたそうです。で、バイクに乗っていたというのがミソで、W16エンジンのベースはヤマハFZR1000というバイクの並列4気筒エンジンなのです。
1リッターの4気筒エンジンを4基、4列のシリンダーが並ぶことになり、元が5バルブなので合計80バルブになったというややこしさ(笑)。ただし、フォルクスワーゲン製W16とは異なり、ふたつのクランクシャフトを使用しており、一部の専門家は「4列のシリンダーがふたつのVに配置されたレイアウトは、他のWエンジンのレイアウトに適合しない」とされ、真のWエンジンとは認められていない模様。
それでも、完成したW16は567馬力/10000rpm、432Nmのトルクを発生し、60mph (97km/h) まで3.1秒で加速し、1000mのスプリントを19秒でこなしたとされています。
これだけのパフォーマンスだったにもかかわらず、ノビアがル・マンにエントリーできなかったのは、フランス政府に対して衝突試験のデータを提出できなかったからだそう。つまり、実験用の1台を作る手立てがなかったという悔しい結果です。
なお、ヒメネスはノビアの開発に10年の歳月を費やし、かかった費用は85万ドルを越えるものだったとのこと。ですが、ノビアの発売価格は30万ドルと設定されていたようで、なかなかのバーゲンセールかと(笑)。それにしても、ひとりのバイクマニアにしてはすごいものを作ったと、16気筒エンジンよりも驚いてしまいます。
昭和世代の16気筒は迷わずチゼタ!
16気筒と聞くと、脊髄反射的に「チゼタ!」と喜色を浮かべるのは昭和40年代生まれのデフォ(笑)。それだけ1991年のチゼタV16Tのデビューは印象深いものだったのです。
クラウディオ・ザンポッリというイタリア人オーナーと、イタロ・ディスコでお馴染みのジョルジオ・モロダーの出資によって生まれたプロジェクトなので、チゼタ・モロダーV16Tというのが正式名。最後のTは横置きされたエンジンと、垂直に搭載されたクラッチ/ミッション/デフがT字となることから付けられたもの。
90度のV16エンジンは6リッター、DOHC 64バルブで最高出力は550馬力、最大トルクは55.0Nmであり、最高速は328km/h、0-100km/h加速:4.2秒とスーパーカーらしいパフォーマンスを発揮してくれます。このエンジン、当時は開発にランボルギーニのスタッフが多かったことからジャルパなどで使ったV8をつなげたのではないかと、まことしやかな噂が流れたものです。
また、スタイリングを担ったのがマルチェロ・ガンディーニで、当時のランボルギーニを所有していた「クライスラーからダメ出しされたディアブロ向けスケッチを元にした」とのコメントも。
つまり、ザンポッリはランボルギーニのスピンオフテクノロジーや、ガンディーニのボツデザインをちゃっかりいただいたというか、巧みに利用したと考えられるわけで、クライスラーがオーナーでなかったら、ランボルギーニから「V16横置きミッドシップのミウラEVO」なんてモデルとして登場していた可能性だってなきにしもあらず。というか、筆者がザンポッリなら「本当はミウラの名でランボから売られるはずだったんですけどね」みたいなセールストークかましますけどね。
その証拠になるかわかりませんが、当時のチゼタV16Tは20台そこそこ作って倒産しているものの(モロダーが抜けて資金難に)、ザンポッリはファミリービジネスとしていまもカリフォルニアでV16Tのオーダーを受付けているのです。そう聞いて、トゥールビヨンよりワクワクしてきた方は、筆者を含め昭和40年代生まれに違いないでしょう(笑)。