#創業ストーリー #飲食店 #グローバル #10周年
東京で5店舗を展開するフレッシュメイドのタコス&ブリトー専門店「タコリッコ」は、2025年4月でオープン10周年。日本人には馴染みがないメキシカンを、ライバルひしめく東京でどのように広げてきたのか、その軌跡をご紹介します。
<はじめに>
みなさん、こんにちは。タコリッコのオーナー、北島昇(のぼる)です。タコリッコの話に入る前に、簡単に自己紹介をさせてください。
私は仙台で育ち、建設会社・不動産会社で働いたのち、一念発起してアメリカに留学。その後、歌いながらアイスを作ることで有名な「コールドストーンクリーマリージャパン」の立ち上げや経営に携わりました。しかし、自分でブランドを立ち上げたいという想いのもと、45歳の時に独立。2015年4月にタコリッコ1号店を赤坂のアークヒルズに立ち上げました。その後、コロナによる苦境はありましたが、お店は順調に拡大。愛宕グリーンヒルズ店、東京ミッドタウン店、麻布十番店、大手町ビル店と、都心を中心に多くのお客様においしいタコスとブリトーを届け続けています。
こう書くと順風満帆な人生のように見えますが、実はそんなことはありません。何度もくじけそうになったのですが、その度に尊敬する先輩や仲間たちに助けられて、挑戦を続けることができています。今回はそんな私のストーリーをお伝えすることで、何かに挑戦している人に少しでも勇気をお届けできたらと思います。
<師匠からの厳しい言葉>
「今のあなたがリーダーになったら、部下はみんな不幸になる!」
コールドストーンの立ち上げリーダーに就任したての頃、調子にのっていた私にぴしゃりと釘をさしてくれたのは、澤田貴司さんでした。
澤田さんはファーストリテーリングの副社長、ファミリーマートの社長などを歴任されている日本を代表する経営者です。実は、コールドストーンを日本に持ってきたのも澤田さんでした。私は、ふとしたご縁から澤田さんに拾っていただき、コールドストーンの立ち上げリーダーに抜擢していただきました。
それから、ことあるごとに澤田さんに熱いご指導いただく日々となりました。なぜ、澤田さんが私にそんな厳しい言葉を投げかけたのか。それは、当時の私が「俺が、俺が」という我が強い人間だったからです。「自分は正しいのに、周りが分かってくれない」という考えに陥っていました。
そんな私に澤田さんは、商売をするなら相手が主役だよ、と教えてくれたのです。商売の極意は、お客様や従業員に愛されて、必要とされること。この澤田さんの教えは、現在のタコリッコが順調に成長している大きな理由の一つです。さて、澤田さんの言葉にハッとした私は、考え方が180度変わり、部下や関係者から愛されて必要とされるべく、必死に努力をしました。
その甲斐あって、コールドストーンの社内の雰囲気は良くなり、働きがいのある会社日本一に選ばれるほど良い組織を作ることができました。その後、私自身も次のステップに進む必要性を感じるようになりました。心の中で、いつかは自分で会社を作りたいと思っていたのです。コールドストーンでの経験も活かして、感動を提供するブランドを立ち上げたい。何を扱うお店にしようか…と考えていた時に頭に浮かんだのが、アメリカ留学時代に出会った、あるタコス屋さんのことでした。
<タコスとの衝撃的な出会い>
アメリカ留学、というとカッコよく聞こえますが、実際のところは日本からの逃避だったのかもしれません。31歳にもなったいい大人が、会社を辞めて、自分探しを始めました。建設会社は、楽しかったのですが、もっと自分の人生をかけてやりたいものを探したいと思い、まずはサンフランシスコに語学留学に行くことにしました。
当時はお金もなかったので、住んだのは家賃が高くない郊外のエリア。たまたま、中南米の方々が暮らし、スペイン語が飛び交うような場所でした。しかし、もともとラテン系な気質がある私はその土地に水が合い、自分らしくのびのびとした気持ちになり、今でも交友を深める親友ができたりもしました。
ある日、かわいがってくれていたプエルトリコ人の大家さんが、「ビル(のぼるという名前は発音しにくいので、ビルというニックネームを使っていました)、この街で一番のタコス屋に連れて行ってやるぞ」と声をかけてくれました。その時はまだメキシカンに特に興味はなかったのですが、そこまでい言ってくれるなら行ってみようと訪れたのが、今はなき、伝説のタコス屋「Menudo(メヌード)」です。
そのお店は、これまでの人生で訪れたどの店とも違っていました。お店の扉を開けた瞬間に、おいしそうなエスニックな香りが鼻に飛び込んできます。お肉がジュージューと焼ける音。手際よくタコスを作る店員さんのキビキビした動作。五感を刺激されて、もうお腹ペコペコに。
そして、目の前にタコスがやってきます。コーントルティーヤの上に、焼きたての肉、刻んだオニオン、パクチー、そして緑色のソースがたっぷりかけられています。一口食べると、ワオ!感動のおいしさでした。あまりのおいしさに、そこから1年間、ほぼ毎日通い続けて、私にとってのソウルフードになりました。
コールドストーンの次のステップを考えていた時に思いついたのが、このタコス屋でした。そうだ、あの時の感動体験を、日本の人たちに伝えよう。きっとみんな、タコスが、そしてメキシカンが好きになる。私の次なる挑戦が決まった瞬間でした。
<ようやく辿り着いたタコスの味>
タコス屋をやる。そう決めた私は、商品開発に取り組み始めました。妻と一緒に、サンフランシスコやメキシコにタコスの旅に出ました。留学時代の親友も応援してくれて、サンフランシスコにあるタコス屋を一緒に回ってくれました。
合わせて30軒以上のタコス屋を巡りましたが、やっぱり一番はサンフランシスコの「Menudo(メヌード)」。どうしてもこの味を伝えたいと思った私達は、たまたまお店にいたオーナー風の店員さんに「実は私は、日本でタコス屋をオープンすることにしました。このお店のサルサが本当においしいから、レシピを教えてくれますか?」とお願いしました。当然断られるかと思いましたが、なんと快くキッチンに招いてくれて、秘伝のレシピを教えてくれたのです。これが、今でもタコリッコの決め手の一つ、サルサベルデ(緑のソース)のレシピの基になっています。
サルサのレシピができても、他にもたくさんのレシピを開発しなければなりません。 日本に帰国後、トルティーヤ(皮)の粉を選んだり、唐辛子を食べ比べしたり、日本にない野菜は家のベランダで育ててみたり、これまで料理をほぼしたことがない私にとっては、数えきれないほどの試行錯誤を繰り返す日々でした。
なんとか試作品ができてきたら、次は自宅で試食会を何度も開きました。日本人だけでなく、メキシコ人やアメリカ人にも食べてもらって、意見を基に改善を繰り返すことで、誰もが「おいしい!」といってくれるタコスが完成しました。実は、その試食会にコールドストーン時代にお世話になった森ビルの方も来てくれて、そのご縁がのちの奇跡の始まりになりました。
<思い描いた最高の立地>
飲食店で最も重要なのは、立地です。どんなにおいしいレストランでも、立地次第で成功にも失敗にもなり得ます。それくらい、重要な立地ですが、当然、まだ誰も知らないタコス屋が、良い立地を獲得できるはずがありませんし、そもそも理想の立地を描くことすら難しい。
そこで私は、まず、一番喜ばせたいお客様は誰か、を考えることにしました。当時、メキシカンは日本人には馴染みがありません。タコスのおいしさを知っているのは、私のような留学経験者や、海外から日本に駐在している人なのではないか。そう考えた私は、一号店は、外資系企業や大使館が多い、赤坂のアークヒルズのような場所に出せたらいいなと思うようになりました。試食会のない時は、ほぼ毎日、街を歩いたり自転車で周ったりしましたが、良い立地は見当たらず、だんだんと焦りが大きくなってきました。
そんなある日、試食会に来てくれた森ビルの方から電話が。アークヒルズに空きが出るから見に来てください、というご連絡でした。あのアークヒルズ!偶然空きが出た2階の角にある絶好の場所を見たときは、感動というか興奮しました。私はすぐに出店を願い出て、契約させていただきました。タコリッコ1号店の誕生です。
オープン初日。これでお客様が一人も来なかったらどうしよう。ここまでの苦労が脳裏をよぎります。心の底から心配な気持ちでしたが、オープン前からお客様が並び始めて、お昼には30人以上の大行列。
正直、ほっとしました。しかし、安心したのも束の間、そこから激務の日々が続きます。ありがたいことに予想を上回るお客様に来ていただいて、毎日朝から晩まで、タコスやブリトーを作り続ける日々が始まったのです。しかし、がんばったのは私だけではありません。
実は、タコリッコがお客様に愛されている理由は、商品でも、店舗でもないのです。そう、お店で働く従業員こそが、「また行きたい」と思われる最大の理由なのです。
<お客様に愛される最高の仲間たち>
コールドストーン時代に澤田さんに叱られて以来、私の経営者としてのモットーは常に「相手が主役」。タコリッコという舞台の主役は私ではなく、常にそこで働く仲間たちだと思っています。
タコリッコは、お客様の目の前でタコスやブリトーを作っていくスタイル。「辛さはどうしますか?」「パクチーは大丈夫ですか?」など、会話を通じて世界で一つだけの商品をお客様と一緒に作っていきます。そんな、会話の多いお店だからこそ、お客様の中には「あの従業員にまた会いたい」と、お店に来てくださる方が少なくありません。
また、タコリッコには、日本人はもちろん、20か国・25人以上の外国人が在籍しており、日本語でも英語でも、お客様にタコスやブリトーを楽しんで頂いています。スタッフ同士も仲が良いのですが、お互いのバックグラウンドが違うからこそ、定期的に従業員同士のワークショップやパーティーを行い、一人一人が認め合える雰囲気を作っています。
ある時、アルバイトの子に「タコリッコの良いところって何?」と聞いてみたら、「自分らしくいられる所です」と言ってくれました。その子は何気なく言ってくれたのですが、私がサンフランシスコで感じた当時の感覚と重なり、その言葉にグッときてしまいました。
「自分らしくのびのびとした気持ち」をサンフランシスコで得た私が、今度は日本で、色々な国の人が自分らしくいられる職場を作っているんだ。私にとって、タコリッコにとって、おいしいタコスを提供する以上に大事な目標が生まれた瞬間でした。
「自分らしくいられる場所」をもっとたくさん作りたいと思いました。
<目指すのはメキシカンNO.1>
タコリッコ誕生から10年間。振り返ると、たくさんの出会いに助けられてきた10年でした。
これから先は、もっと多くの人に感動体験を届ける10年にしたいと考えています。具体的には、2030年までに25店舗を運営して、日本におけるメキシカンレストランチェーンのトップブランドを目指します。また、働きがいのある会社日本一になり、誰もがリスペクトと感謝にあふれ「自分らしくいられる」お店であることを目指します。
実は、タコリッコの運営会社であるハピタ株式会社の名前の由来は、「ハッピー体験」。これからも、私が感動した本場の味で、私が感動した仲間たちと一緒に、世の中にハッピー体験を次々と生み出していきたいと思います。
※編集協力:岡田 庄生