株式会社タートルミュージックは、2008年にCM音楽制作会社として創業し、中国・アジアを含め、国内外で多数のCM音楽を提供すると同時に全豪No.1バイオリニスト、石川綾子のマネジメントをスタート。数々の常識を覆すマーケティング戦略でトップアーティストへ成長させました。
また代表、望月衛の多彩な経歴、人脈を通じた一流アーティストを企業のプレミアムイベントにキャスティングするサービス「
」を主宰。
数々の企業と一流アーティストを繋げることで新しいブランディング価値を創造しています。
本ストーリーでは、祖業であるCM音楽制作と低価格オンラインナレーション&音楽制作サービス「
異色のキャリア。電通×音楽家・望月衛が独立を決めた瞬間と中国進出の道
– もともと電通にお勤めだったんですよね?
はい。93年に入社して、PRプランナーとして13年、キヤノン担当営業として2年。2008年に辞めるまで15年間勤めました。ですが、僕の感覚としては副業でして。(笑)
僕のビジネスキャリアは大学在籍中、19歳でフュージョン系ピアニストとしてデビューして、同時期にちびまる子ちゃんの主題歌となった「おどるポンポコリン」を歌うB.B.クイーンズに参加して、レコード大賞受賞や紅白歌合戦にも出場しました。
その後、ソロ活動(アルバム12枚リリース)、作曲家としてZARDや郷ひろみさんなど数多くのアーティストに楽曲提供もしています。
ですので、就職も迷いましたが、”日本を良くしたい”っていう根拠ない目標のために、(社会的合意形成を担う)PRという考え方にとても共感して、企業の力をつかって日本を良くできるんじゃないかって思って、電通を選びました。
株式会社タートルミュージック代表取締役 望月衛
– では二足の草鞋だった?
もうバリバリの。(笑)
当時の電通は上場前だったので、とても個性的な方々が多々在籍していました。
芥川賞作家で「千の風になって」作曲の新井満さん、同じく直木賞作家の藤原伊織さんなんかもいらっしゃいましたが、まあ破茶滅茶な先輩も多くて。
僕の同期もテクノアーティストのケンイシイ、クラブDJのキャプテンファンクこと大江達也、メディアアーティストのGil Kunoなど音楽系だけでも、僕を入れて4人プロでした。そういう活動を自由にさせてくれる懐の深い会社でしたね。電通では多くの一流クリエイターや一流企業と仕事ができたのでとても充実していました。
– 何をきっかけに2008年に独立することになったのですか?
独立は毎日のように考えていたのですが、刺激的な体験ができる電通の居心地の良さに甘えていたのだと思います。独立を目指す直接のきっかけは営業に出されたことです。営業というのは、チームの全責任を負う立場でクライアントと対峙します。それまでは自分の公演など、自分都合で仕事ができていたのですが、営業になるとそうは行きません。そのときに独立することを真剣に考え始めました。
– 独立してアーティストをしようと?
当時のアーティストとしての収入は電通には及ばなかったので、起業しようと考えました。自分ができるのは曲づくりなので、手っ取り早くCM音楽なら作れると。
僕は電通も部署的にはクリエイティブではなかったので、広告クリエイティブの人脈は少なかったのですが、電通はCMをたくさん作っているし、なんとかなるだろうと。(発注してもらえる)クライアントも全くもっていない状況だったので、いま考えるととても浅はかで甘い考えだったなと思います。
電通時代の経験が活かせず苦戦。独立後のCM業界とのギャップ
– 順調の滑り出しでしたか?
全く。(笑)
僕は電通に15年もいたにも関わらずCMというのがどういう仕組みで作られているか、全く理解していませんでした。当時は特にクリエイティブ部門はとても閉鎖的で簡単にいうとクリエイティブ村に入らないとそもそも仕事を発注してもらえない。それに、CMにおける音楽というポジションがとても低い位置にあったんですね。つまり、コピーとクリエイティブアイデアがクライアントの一番の関心ごとで、音楽というのは映像表現の付け足しのようなもの。電通のクリエイティブがコントロールするというより、映像ディレクターが決めるということが圧倒的に多かったです。鼻っからレイヤーが違うというか、僕が電通にいたメリットがダイレクトに生きる案件というのはほとんどなかったです。
– うまくいくきっかけがあったのですか?
それどころか、2008年の7月に創業するのですが、その秋にリーマンショックが起きまして。。広告業界が一気に冷え込むことになりました。そうなってくると、僕のような新参者には仕事を回そうという隙間が一切なくて、まったく仕事がつくれない状況がほぼ1年つづきました。
それでも腐らず、クリエイティブ村に認知されようと、毎日のように電通のクリエイティブ局に入り浸ったり、いろんなパーティに顔出したり、プロダクション各社にプレゼンして回ったり地道に営業活動を続けていました。
そんな中、弊社のファウンダーの一人である、PR会社ベクトル創業者の西江くんが2011年に中国・上海に進出して、ミーティングのたびに「上海むっちゃおもろいで。もっちーもいこうよ」と誘ってくれました。
日本から中国へ。仕事ゼロからの再出発でCM音楽市場を開拓し、チャンスを掴む
– それで上海に?
はい。実際いってみたら、ものすごい好景気で、中国人だけでなく、海外からたくさんのビジネスマンが新しいビジネスを立ち上げようとどこもかしこも熱気に満ちていました。
その頃に弊社もコーポレートスローガンを変更しています。
もともと、タートル(海亀)のように優雅にのんびりしているけど、仕事は早いという意味を込めて「RELAX AND FAST」というスローガンだったのですが、それを「AROUND THE PACIFIC」に改めました。
ハワイが好きなので、いずれハワイを本社にしよう。そして、太平洋を海亀が回遊するようにアジア中で仕事しよう。そういう希望が込められています。まだハワイ本社は実現していませんが。。笑
– 上海で仕事を始めることができましたか?
とにかく日本にいても仕事はないので、中国に全振りしました。もちろん、クリエイティブの人脈はひとつもなかったので、古巣の電通上海支社を頼って、最初は日本クライアントの中国仕事をしようと思っていました。ところが、実際行ってみると日本のクライアントはTVCMをつくっていませんでした。中国というのはメディアコストが高く、日本企業も車メーカーぐらいしかTVCMキャンペーンをすることができない状態でした。
だったら、外資のグローバルクライアントのCMをやるしかないと、現地のローカルプロダクションをあらゆるツテを頼って訪問して、プレゼンしまくりました。
– 中国語が出来たのですか?
いいえ。英語です。というのも、クライアントは外資のグローバルクライアント相手にしているプロダクションたちだったので、プロデューサーはみんな英語ができました。それに当時のCM映像ディレクターは全員外国人でした。というのも当時まだ、中国人のディレクターはレベルが低く、香港、台湾、オーストラリア、ヨーロッパといった海外のディレクターを起用して作るのが通例でしたので、英語でコミュニケーションができました。
また、彼らには当たり前ですがクリエイティブ村という概念がありません。いいものはいい。純粋にクオリティーだけで採用してくれたのです。
– どんなクライアントCMを手掛けたのですか?
最終的には50クライアントくらいやりました。車メーカーもGMをはじめ、TOYOTA、HONDA、シトロエンなどの外資系から、ローカル有力メーカーまで。ゲータレードや現地のトップ乳業メーカー、サントリーといった飲料、ダイヤモンドクルーズといった旅行商材まで、とにかくグローバルブランドのありとあらゆるCM音楽を手掛けました。
その頃の中国のCMはまだブランディングを重視する時代でした。昔の日本が「いつかクラウン」とやっていた頃の感覚ですね。ですから、映像における音楽の重要度が高く、こちらも作りがいがありました。映像(特に色)も欧米の外国の作品のようでカッコよくて、作ることが楽しかったですね。
中国案件で培ったスピーディーな制作ノウハウを活かし、日本のCM音楽の在り方を見直す
– ずっと中国のCMをやり続けていたのですか?
いいえ。中国案件を2年くらいやっていたら、日本の仕事も増えてきました。そのころアーティストマネジメントを手掛けるようになったので、会社の方針としては、アーティストマネジメントに軸足を置くようになっていったのですが、CM音楽制作は祖業でもあるので、僕一人で回していました。ところが、だんだんCM音楽の制作の仕方が非効率に思えてきたんですね。
– というのは?
中国での制作はとてもスピーディーでした。というのも、Aコピー(オフライン編集)、Bコピー(本編集)があってMA、納品になるのですが、音楽発注があるのが、Bコピーが出来上がってから。なぜなら、外資ってボスの力が絶大で、オフライン段階だと、平気でガラッと編集が変更になってしまって、無駄になってしまうことが日常だったんです。なのでBコピーができて、そこから作業スタートしてMAまで3日〜5日で仕上げるといったスケジュールが普通でした。
しかも僕は日本にいるので、メールとSkypeでやりとりして作ります。スタジオを使った生音のレコーディングはほとんどなくて、今では日本でも当たり前ですけど、打ち込み(MIDI)でリアルに制作するという技術が必要でした。
日本の場合はまず、代理店やプロダクションに呼び出されて、企画の説明をうけて、絵コンテ(ビデオコンテ)を見せてもらって、そこから音楽のイメージつくって、デモを何曲かあげて、絞り込みながら、オフラインにあてて。。と平気で1ヶ月以上時間をかけます。確かに日本のCM音楽は単価も高かったですが、この工程って無駄じゃない!?って思うようになりました。
– もっと効率的につくりたかったと?
はい。コロナを経て、今でこそオンラインは当たり前の時代でしたが、僕は10年以上まえからそれをやっていました。あと、日本独特のCM音楽のしきたりがあって、クライアントがお金を出すにも関わらず、その原盤権は制作プロダクションが持つのが通例です。たとえば1年使用で契約して、2年目も使いたいとなると延長使用料が発生します。(※すべてのCMがそうではありません。)我々プロダクションにとってみれば有利な契約ですが、クライアントからすると余分な出費に見えてしまいます。僕はアーティスト出身なので、とても不思議に思えました。(アーティストの場合はお金を出す=原盤権を持つ)
中国ではもちろん、そういうことはありません。CMもTVCMという概念ではなく、5分尺をつくってそれを3分、1分、30秒、15秒、5秒バージョンとさまざまな尺をつくります。それはオンラインに展開するためです。中国は日本より5年はネット環境が進んでいるので、有機的に制作する必要があったのです。日本でもいずれそうなると思って、期間、地域、媒体に左右されず、スピーディーに制作できるサービスがあったら需要があるだろうなと考えていました。
アマナ社との共同事業で前身サービス「otopro」(オトプロ)を提供。さらに進化させた独自システムへ。
– それで「シンクロ」が誕生したと?
いいえ。(笑)
さっきお話ししたように日本では独自の商習慣があって、その垣根を崩すことはいくら僕が直接電通に営業できるとはいえ、弱小プロダクションとしては難しいと考えて、パートナーを探しました。そこで組んだのがアマナさんです。アマナは広告制作ビジネスを多面的に展開していました。もともと写真スタジオがメインだったこともあって、グラフィックに強く、その延長でWEBの制作、映像制作などを広げていった企業です。簡単にいうと営業をアマナ、制作をタートルミュージックということで、共同事業として立ち上げました。
それがシンクロの前身となる「otopro」(オトプロ)です。2014年に誕生しました。基本的な考え方は中国でやっていた方式で、対面の打ち合わせなし、通常のCM音楽制作価格の1/3〜1/5で、5営業日で制作、使用期間・使用媒体無制限としました。
– 成功しましたか?
いいえ。(笑)
アマナさんとは約2年ご一緒しましたが、思ったより営業に苦戦して、会社の事業として続ける意味がないと判断されました。
その原因はいくつかあったかと思いますが、いま思うと色々横槍が入って採用されなかった側面とWEBCMが増えてきて、今度はストック音楽に需要を奪われたことが大きかったです。「otopro」は従来型のCM音楽制作とストック音楽のいいとこどりだったのですが、結果的に浸透させることは難しかったです。
映像に寄り添う音楽制作を追求し、「シンクロ」を立ち上げ。プロの技術を活かした低価格ナレーションサービスも展開
– シンクロはいつ?
アマナさんとは提携を解消したのですが、この制作方式には需要はあるはずだろうと思っていたので、名前を変えて弊社独自のシステムで立ち上げることにしました。それが「シンクロ」です。名前の由来ですが、映像と音楽を合わせることを英語でsynchronizeといっていました。あくまで映像に寄り添う音楽制作システムということでつけました。
– ナレーションのサービスもありますよね?
はい。CMを制作する過程で、Vコンテに仮ナレーションを入れることがあります。だいたい監督かプロダクションの若手がやっているのですが、棒読みでした。(笑)
この頃から、クライアントの競合プレゼンに精度の高いVコンテをつくることが多かったので、低価格でナレーションができたら、本番だけでなく、プレゼンにも需要があるかもしれないと思いました。ナレーターも機材が高品質で低価格になってきたので、自宅でレコーディングできる人が増えていました。これをマッチングさせれば、ビジネスになるかもと考えてナレーションサービスも始めることにしました。
– どんな人がナレーションをやっているのですか?
完全にプロです。(笑)多くのナレーターは事務所に所属しているのですが、そこだけで食べられる人はほんの一握りです。なので副業をしようと考えるプロがたくさんいて、そういう方々をスカウトしています。ですので、ハイクオリティで低価格なので無茶苦茶お得なんです。
– シンクロは TVCMでも対応できるのですか?
もちろんです。もともとTVCMをやるクオリティで制作していたシステムをそのまま使っているので、作品品質はトップレベルです。この品質は、僕がアーティストとして35年プロで活動しているネットワークがベースとなっているからです。日頃から若手の発掘も欠かしていません。実は作家のほうから月5件くらい応募があるんです。たまーにですが、才能のある作家がいます。
作品は国内外の数々のメジャーブランドのCMにも使っていただいています。制作本数としてはWEBCMのほうが多いですが、品質の差別化はしていません。
ナレーションも同様です。コロナ禍以降、企業のDX化が加速していて、DX関連の映像の発注が増えました。一度に100本単位でご発注いただくケースもあります。
– 料金体系はどのようになっていますか?
シンクロの場合は秒数で料金を決めています。
音楽は120秒で10万円(税別)。1分延長ごとに5万円(税別)追加となります。また、生演奏などオプショナルな設定にも対応しています。
ナレーションは60秒2万円(税別)1分延長ごとに1万円(税別)です。英語、中国語にも対応しています。
納品は音楽は5営業日、ナレーションは2営業日です。詳しくは
AIの進化とシンクロの未来。テクノロジーを活用し、新たな音楽制作の形へ
– 今後の展望はありますか?
どの分野もAIの台頭がすさまじいです。 実は音楽とAIの相性は非常にいいんです。なぜなら、音階は12個しかありません。パターン化がしやすく、AIともなれば、あらゆるジャンルを網羅しても、他の分野と比べると容易い領域といえます。
またナレーションも同様です。TikTokをみていれば、ほとんどのナレーションがもはやAIを使っていて、ほぼ違和感のないレベルになっています。
これから、AIだけで作られた音楽がヒットチャートに上がってくることが常態化することも否定できないでしょう。シンクロのサービスは人間がディレクションしたほうが、いいパートとAIに任せてもいいパートがはっきりしています。AIに抗うのではなく、うまく使いこなして、より使いやすいサービスにしていきたいです。
– 本日はありがとうございました。
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