大分県の玖珠郡九重町から竹田市北部にかけて広がる「くじゅう連山」。九州本土最高峰の中岳(標高1,791m)をはじめ、標高約1,700m級の山々が連なっており、“九州の屋根”とも呼ばれています。今回は「山に心が救われた」という、元バドミントン日本代表の小椋久美子さんとともに「くじゅう連山」を縦走。現役引退後はバドミントン教室の開催や試合の解説、テレビのコメンテーターなど幅広く活動している小椋さんに、山登りにハマったきっかけや魅力について聞きました。
山には包容力のようなものがあり、懐深く自分を受け入れてくれる
──山登りをはじめたきっかけは?
初めて登った山は、10年くらい前に登った富士山です。山頂から眺める景色に感動することもありましたし、それから年に数回ほど山に行っていましたが、そこまでハマったわけではありませんでした。振り返ってみると、山登りをはじめたころは山が好きで登るというよりは、達成感を得るために登っていたんです。
本格的に山登りが好きになったきっかけは2020年ころのことでした。コロナ禍の緊急事態宣言が出る前に「山に呼ばれてる」と山をみた時にふと思ったんです。それからいくつか登った山の中でも特に自分を変えてくれた山が、鳥海山です。なんて素敵な景色なんだろうと、その瞬間に心を奪われ、それからは本当に時間があればすぐにでも行きたいと思うほど、山が好きになりました。
──東北の鳥海山をきっかけに、山登りにハマっていったんですね。達成感だけでなく、違った魅力も感じられるようになったと。
はい。山登りをしていると、苦しくて辛い場面もたくさんあります。頂上に辿り着いた時に、自分自身に対して「よくやった」って言い聞かせていたんです。アスリート時代の感覚にすごく似ていて、頑張れば結果が出る。無我夢中で登っていたので、途中で景色を眺めるということをほとんどしていなくて、どこかで「山を登る意味って何だろう」という疑問を抱きはじめていました。山が好きで、山登りを純粋に楽しむという感覚ではなく、達成感を得ることでまた次の一歩を踏み出していく。そのために山に登っていた気がします。
それが鳥海山をきっかけに、毎回のように景色に心を奪われるようになりました。山頂からの景色だけでなく、山頂を目指す途中でも立ち止まり、後ろを振り返ったときに広がる景色も綺麗で素敵だと感じとれるようになったんです。
それからは山へ行けば行くほど、感性が変わっていき、自分の人生観と照らし合わせながら登るようになりました。山は、自分を受け入れてくれる場所。自然がつくり上げた造形美を目の当たりにすると、その包容力や懐の深さに気づかされます。
──現役を引退後、さまざまな活動をする中で悩みを抱えることもあったと伺いました。山登りをするようになってから、小椋さんの仕事感にどのような変化が生まれたんでしょうか。
例えば太陽が昇っていると、本当に綺麗な景色を映し出してくれます。それもすごく素敵なことなんですけど、もし太陽が登ったままだとすると、その魅力を感じ続けることは難しいんじゃないか?と思うんです。
太陽が沈むにつれてだんだん影が濃くなり、真っ暗になる。その過程には明るい部分と暗い部分があって、そのコントラストが美しい。そう考えると、影になることも決して悪いことではなくて、太陽が照らしている部分をより魅力的に惹き立ててくれます。
山登りを通じて、美しさを表現するためには対比がとても重要だということに気がつきました。仕事でちょっと悩んでいた時期にも、山からの景色を見て、目に見えてるものがすべてじゃない。それを映し出してくれているものこそ、魅力的だったりすることもあるのでは?と思えてきたんです。
これまでの私の仕事感は、与えられたものをその通りにやる。少し機械っぽい側面がありました。だから失敗もしないし、否定もそんなにされることはない。ただ、その分予定調和というか、おもしろみがなくて、自分という体で、自分じゃないことをやってるというような違和感がありました。
加えて、自分のことを輝かせられないという悩みも抱いていましたが、必ずしも背伸びをしたり、前に出ていく必要はないし、自分が輝く人にならなくても輝かせる人になればいい。それも1つの個性で、一人の人として立派な役割としてあるんじゃないのかなって思えたことは結構大きな変化でした。
あるとき、山から「ありのままの自分でいいんだよ」って言ってもらえたように感じたんです。それからは自分の内面をしっかりと磨いたり、自分のことを好きになってあげる方がいいなって思えるようになり、ちゃんと自分の軸を持ちつつ、等身大で自分が思っていることを素直に伝えることができるようになってきました。
山登りでは自分の足で歩くことが大前提にあって、天候にも左右されやすい。どんなに苦労して登ったとしても、例えば想定よりも紅葉が進んでいなかったり、お目当ての高山植物に出合えなかったりする。でもだからこそ、また今度挑戦しようと思うようになる。そういったことを体感するようになってから、手間だと思えるようなことも含めて楽しめるようになりました。自然の恵みに触れることで、日常の当たり前を、当たり前じゃないと思えるようになったんです。
──今回登った「くじゅう連山」の魅力は?
今回は「久住山(1,786.5m)」、九州本土最高点の「中岳(1,971m)」そして「天狗ヶ城(1,780m)」の三座を縦走しました。自分が立つ位置で、全く違う表情を見せてくれたり、凛々しい鋭い山もあれば、丸みのある山もあり、色合いや質もさまざまで、とにかくバラエティに富んでいる山でした。
標高1,230mのところに坊ガツルという湿原があり、季節柄、ススキが一面に広がっていたのが印象的でした。やっぱり自分の足で踏み入れなければ辿り着けない場所。山の中心というか中にあるような、秘境のような感じがすごくする山だなと思って。めちゃめちゃ良かったです。
いろんな山に行くたびに、「もうこれ以上の感動を覚える山は、日本にはないだろうなぁ」と思います。もちろん同じ山でも、1回目と2回目とでは全然違う雰囲気を持っているので、山の魅力を比べるのは難しいんですけど、毎回自分の中の感動を超えるんです。
「くじゅう連山」では、途中で立ち止まって見た阿蘇山の方面に、何重にも山が連なっているかのような景色が広がっていたり、空の色の変化、地平線に広がる青色のグラデーションがとても綺麗でした。もう2度と同じ景色を見られることはないかもしれない。その瞬間をすごく大事にしたいなと思って、急登が続いて辛い時にパッと振り返ってみる。そうすると自分を励ましてくれるような、心を救ってくれるような、そんな景色が広がっていました。
──グループで登るときと一人で登るときの違いやそれぞれの魅力と、今後についてお聞かせください。
グループ登山の魅力は、人の優しさに触れられる点だと思います。生死に関わるアウトドアアクティビティということもあり、みんなで声をかけあったり、違いに気遣ったりする。山の中ではフラットに、だれが上とか下とか、そういった上下関係がなくなるのも山仲間と一緒に登ることの良さだと思います。
一人で山に登るときは、自分との対話になります。頭の中をめぐっている仕事上の悩みや日常のモヤモヤが整理される。ちょっとした気づきも生まれてきます。積雪の影響で一部の枝が折れ曲がっていても凛々しく立っている木があれば、木のようにたくましく、しなやかに生きたいなぁと、今の自分と自然を照らし合わせながら、自分のペースで登れるという良さがあります。
自然の中にも、たくさんの個性が溢れている。先ほども少し触れましたが、もしも木がすべて同じ色だとすると、必ずしもそれが綺麗かというと、多分そうじゃない。それぞれに違いがあるからこそ、魅力を感じるんだと思います。
これからは、一人で登るにしても仲間と一緒に登るにしても、特に高い山を目指していくというよりも、その山にしかない魅力を感じとっていきたいです。里山も含め、地域ならではの地形や歴史を見たり、調べたりしながら一座ずつ登っていく。そこで得られる新しい発見に出合っていきたいです。
PROFILE
元バドミントン日本代表 / 小椋 久美子
三重県出身。1983年7月5日生まれ。8歳の時、地元のスポーツ少年団でバドミントンを始める。2002年には全日本総合バドミントン選手権シングルスで優勝。その後、ダブルスプレーヤーに転向し、北京オリンピックで5位入賞、全日本総合バドミントン選手権では5連覇を達成。2010年1月に現役を引退。現在は解説や講演、子どもたちへの指導を中心にバドミントンを通じてスポーツの楽しさを伝える活動をしている。三重の国観光大使。YONEX アドバイザリースタッフ。日本バドミントン協会広報部、日本エアバドミントン連盟会長を務める。
Text:Nobuo Yoshioka
Photos:Matthew Jones