この記事をまとめると
■スーパーGTでは前年度優勝者が「1」を背負えるがゼッケンは原則固定だ
■メーカー名の語呂合わせというチームもあれば深い意味もなく決まった番号もある
■チーム代表に縁のある数字を選んでいるチームも存在する
数字に込められたストーリーが面白い!
日本で最大級の観客動員数を誇る人気レース、スーパーGTにはGT500クラスに15台、GT300クラスに27台がエントリー。各クラスで激しいポジション争いが展開されているが、各マシンのカーナンバーは固定になっていることをご存じだろうか?
GT500クラスの昨年のチャンピオンマシンはカーナンバー「1」をつける場合もあるが(GT300クラスの場合は「0」)、それ以外のマシンは通年で同じカーナンバーを使用している。しかも、その数字は単年ではなく、複数年に渡って固定となっているが、各チームはどのような理由でカーナンバーを選んでいるのだろうか?
まず、もっともメジャーなカーナンバーといえば、NISMOの「23」がクローズアップされることだろう。文字どおり、NISMOの母体である日産の「に」と「さん」に由来する数字で、1969年の日本グランプリで日産R382に使用されるなど、「23」は長年に渡って日産のワークスナンバーとして定着してきた。
また、同じく日産系の有力チームであるTEAM IMPULは、カーナンバー「12」が定着しているが、意外なことに“そこしか空いてなかった”というのが由来だといわれれている。
さらに同じく日産系の有力チームであるKONDO RACINGは「24」をカーナンバーとして使用しているが、これはチーム代表の近藤真彦氏がドライバーの現役時代にNISMOに在籍していたことが影響しているようで、NISMOに追いつきたい……という理由から、NISMOの「23」に続く番号として「24」を採用したようだ。
噂の域を出ない謎の数字も
一方、トヨタ系のチームとしてはTOM’Sの「36」と「37」がおなじみだが、かつてTOM’Sのエースとして「36」をつけていた小河 等選手が36歳で亡くなったことから、エースナンバーとして「36」が定着。それに続く番号として、「37」もTOM’Sの2台目のマシンに採用されることになったといわれているが、CERUMOの「38」とSARDの「39」に関しては、その由来がはっきりとしていない。
一説にはスーパーGTの前進となるJGTC(全日本GT選手権)と同時にスタートしたJTCC(全日本ツーリングカー選手権)にCERUMOがトヨタワークスの一角として2台のトヨタ・コロナを投入。そのときのカーナンバーが「38」と「39」で、のちにそのナンバーをCERUMOが「38」、SARDが「39」とわけ合った……といわれている。
これと同様にWedsSports BANDOHの「19」もカーナンバーの由来がはっきりしていない。同チームは1987年にJTC(全日本ツーリングカー選手権)のディビジョン3に参戦していたが、WedsSportsのカラーリングでJTCに参戦していた浅野レーシングが「18」を使用していたことから、その続きで「19」を選んだといわれているが、その一方で、当時「19」を使用していたTEAM IMPULからカーナンバーを譲り受けた……という説もある。
ちなみにROOKIE Racingの「14」は、スーパー耐久やMORIZOがTGRラリーチャレンジに参戦していたときに使用していた「104」が由来で、トヨタのト=10とヨ=4を組み合わせた数字となっている。
そのほか、ホンダ系チームに目を向ければ、ARTAの「8」は、若い数字から探していった際に当時空いていた数字……というのが由来となっているようで、「16」はもともとTEAM MUGENが使用していたカーナンバーだ。このTEAM MUGENの「16」の由来に関してもはっきりしていないが、一説によれば当時、プロ野球で活躍していた選手の背番号を使用したらしい。
REAL RACINGの「17」に関しては、ホンダの創業者、本田宗一郎氏の誕生日(11月17日)が由来となっているよう。Nakajima Racingの「64」はチーム代表の中島 悟氏が1989年のオーストラリアGPで、自身初のファステストラップを記録した64周目にちなんでいる。
さらにTEAM KUNIMITSUの「100」も、チーム代表だった高橋国光氏の活躍にちなんでいるようで、高橋氏が二輪のロードレースの世界選手権・西ドイツGPで初優勝を獲得したときのナンバーが100だったことが由来となるなど、各チームでカーナンバーの選択理由はじつにさまざまとなっているのである。