この記事をまとめると
■日産のワークス部門「NISMO」は2024年で創立40周年を迎える
■NISMO創立40周年を記念したイベントが開催された
■レーシングドライバーたちがNISMOへの想いなどを語った
名門ブランドが生誕40周年
日産ファンのみならず、クルマ好きであれば誰もが「NISMO」の名を聞いたことがあるはずだ。現在では、GT-R NISMOをはじめ、ノートオーラNISMOや電気自動車のアリアNISMOなど、日産のハイパフォーマンスモデルを多く手がけていることでお馴染み。
「NISMO」の名を冠したグッズなども多数販売されており、クルマ好きのそばに常に存在するブランドだ。また、主戦場であるレース現場においても数々の輝かしい実績を残しており、まさに「NISMOあるところに日本のモータースポーツあり」といっても過言ではないだろう。
そんな「NISMO」は、1960年〜70年代に日産社内に存在したワークスチームである、「大森ワークス」がその前身。ここでいう大森は、活動拠点の最寄りが京急電鉄の大森海岸駅だったことに由来するといわれている。その大森ワークスが「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)」と名前を改めたのが、40年前の1984年9月17日。つまり、2024年は歴史あるNISMOの創立40周年ということになるわけだ。
そこで日産は今回、9月17日のNISMO創立日に合わせて、同ブランドに関わりのある関係者一同を招待した創立40周年を祝う記念式典を開催した。
ステージには腰を抜かすほどのレジェンド揃い。左から長谷見昌弘氏、星野一義氏、近藤真彦氏、現役日産ドライバーの千代勝正選手と高星明誠選手、日産フォーミュラEチームの西川直志チーフパワートレインエンジニアと並ぶ。モータースポーツファンからしたらあまりにも豪華なゲストが集結した。また、会場内にはNISMOに所縁のあるドライバーたちが詰めかけており、その空間はまさにオールスター大集合といった様子だ。
さらにこの日、なんとトヨタ自動車の会長……ではなく、スーパー耐久未来機構(STMO)理事長という立場で、モリゾウこと豊田章男氏も来場。日産グローバル本社に足を踏み入れたのは、ビルの建設記念式典以来、2回目だとのこと。ステージには日産自動車代表執行役社長の内田 誠氏も登壇し、日本を代表する自動車メーカーの代表2名が並ぶという豪華な光景も。
豊田氏は、「現在のスーパー耐久は、N1耐久と呼ばれていたころから、日産とNISMOが支えてきたといっても過言ではないです。現在、各社に存在するワークスブランドの先駆けがNISMOだと思ってます。また、日産とNISMOは『プライベーターにクルマを供給し、サポートも行う』という伝統を参加型レースで作ってきた。そんな参加型レースの先駆者として、これからもモータースポーツ界の未来を引っ張っていってもらいたいですね。40周年おめでとうございます!」と、NISMOへ祝福のメッセージを送った。
豪華ゲストがNISMOを語る
ステージに登壇した豪華ゲストたちが、NISMOについて語るトークショーも開催された。
長谷見氏からは、「NISMOはクルマが大好きな人たちが純粋にクルマを楽しんでいたね。そんな雰囲気に溢れていたからこそここまで来れたんだと思うよ」と、当時を懐かしむ声が聞こえた。
日本一速い男でお馴染みの星野氏からは、「1985年にWECにNISMOとして参戦したとき、当時の社長の難波さんから、土砂降りだったのにもかかわらず、かなりの無茶振りをされたのはよく覚えてるねぇ。けど、当時の契約金は凄かったから、それに答える形で走りきったよね(笑)」という思い出話を語る場面も。
マッチの愛称でお馴染みの近藤真彦氏は、「NISMOとのかかわりは、当時、ル・マンに参戦している日産の応援団という立ち位置でレース現場に出向いてたのがきっかけです。そのときは、借り物だったNISMOワークスのジャンパーを着て、写真などを撮ってました。その後は、マーチでレースをさせてもらったりしたのちに、難波社長がル・マン参戦のドライバーとして、NISMOのメンバーに迎え入れてくれました。そのとき初めて、本物の日産ワークスのジャンパーに袖を通すことができたんですね。あの瞬間は感動したなぁ」と当時を回想。
司会から長谷見氏や星野氏に対して、「今後のNISMOを担うであろう若手ドライバーの千代選手と高星選手に何か伝えたいことはありますか?」という問いかけに対して長谷見氏は、「とにかく1台でも前に出るという意思を持ってレースを走ってほしいね」とひと言。
星野氏からは、「レースでの失敗を恐れる必要はない。限界を越えるのがプロの仕事。俺はトップ以外認めないくらいの心意気でレースに挑戦しているので、今後の日産を背負っていく気もちをもって本物のプロに成長してくれ」とエールを送った。
千代選手からは、「2024年シーズンからは23号車を背負うことになったのでプレッシャーがありますが、『いつでも全開で行く』という信念のもと、失敗してもチャンスをくれるNISMOのためにも頑張りたいと思います」と熱い想いを我々に語った。
高星選手は、「NISMOはカートで走っていたころからサポートをしていただきました。それがなかったらいまごろレースを続けていられなかったと思います。なので、いまの僕がいるのはNISMOにかかわる多くの方のおかげです。本当に感謝の言葉しかないです。引き続き頑張ります!」と熱い想いを我々に述べた。
それと、日産といえば電気。電気といえば2024年の春に東京で開催され、大きな話題になったフォーミュラEの存在も欠かせない。そんなフォーミュラEを支える西川直志氏は、「日産ファンの応援は凄まじく、その迫力にはいつも驚きます。そんなフォーミュラEの技術は、市販車にも数多くフィードバックしています。今後もNISMOの名の下に、ワクワクできることをどんどん増やして、もっと日産とNISMOを好きになってもらえるように頑張ります」と意気込みを語った。
数多くのレジェンドたちが支えてきたNISMOブランドについて、内田社長は「多くのファンとパートナーがいたからこそ、NISMOは40周年を迎えることができました。NISMOやモータースポーツ活動を通じて、笑顔の輪を広げたいと思います」と、我々に向けてコメントした。
また、現在、神奈川県横浜市にある日産グローバル本社ギャラリーでは、「NISMO 40周年記念」の展示実施中だ。R33スカイラインGT-Rをベースとした伝説のコンプリートカー「400R」や、S14シルビアをベースとした「270R」、グループAで大活躍したR32スカイラインGT-Rや、ル・マン24時間レースで活躍したR390GT1などなど、貴重なクルマを10月15日まで展示中だ。
なお、12月1日(日)には富士スピードウェイにて毎年恒例のNISMOフェスティバルを開催予定。40周年の記念すべき年ということもあり、今年はさまざまな催し物が企画されているとの噂も耳にしているので、こちらも要チェックだ。