1936(昭和11)年に竣工し、京都・祇園の美しい景観を形成する建物の一つとして親しまれてきた国登録有形文化財「弥栄会館(やさかかいかん)」。耐震性の不足が確認されたことからどう継承するかが検討され「躯体一部保存+外壁2面保存・増改築」によるホテルへの再生が決まった。
解体、保存、新築が並行する現場ではこれまでにない試みがいくつも採用され、2025年10月の竣工、2026年春の開業に向けて工事が進む。日本一厳しいともいわれる京都の景観条例をクリアし、プロジェクト完遂へ。実現のポイントはどこにあるのか。
帝国ホテルブランドの京都初進出ホテルに生まれ変わる(本棟南西面保存部分の完成予想図)
工事は最終コーナー。経験と知恵を発揮してやり遂げる
「来てくれてありがとう」工事事務所を訪れると、そんな言葉を記した立て看板が目に入る。所長 松本の考案だ。以前担当したお客様から「大林組は私たちにできないことをやってくれる、夢をかなえてくれる存在」と言われたことに感動し、現場に来てくれる職人さんたちにも感謝の言葉を伝えたいと現場スローガンに掲げた。「皆さんがいないと建物はできない、一人ひとりに感謝、安全で誠実な仕事をしてほしいという思いを込めています」と所長の松本は話す。
「過去に経験したことがない」と松本が言うように、立地をはじめ異例づくめだ。観光客が行き交う祇園で、工事ができるのか着工前に不安に襲われた。周囲は京都らしい情緒にあふれた茶屋街、時間とともに人出は増え続ける。そのため通行可能な道路を限定し、車両は4t車以下との取り決めが交わされた。
解体に用いる重機、山留めの芯材鉄骨に限り、人通りが少ない早朝に祇園のメインストリート・花見小路から搬出入した。「多い時は100台の車が通行する日もあります。不安の声があれば足を運んで丁寧に説明し、徐行運転を徹底することで工事へのご理解を頂けるよう努めました。
その結果、最盛期は生コン車に限り10t車の通行許可が頂けました。顔を合わせてお話しするのが一番です」との松本の言葉通り、少しずつ地域との信頼関係は深まっていった。
芸妓・舞妓の群舞「都をどり」の会場である祇園甲部歌舞練場。その隣に興行を行う劇場として建てられたのが弥栄会館だ。重層的な屋根や塔屋状の正面部など和の意匠を巧みに取り入れた建物で、設計は劇場建築の名手と言われる大林組の木村得三郎、施工も大林組が担当した。
歴史的価値の高い外観を守りつつ現行の建築基準法にのっとった構造で、ホテルに生まれ変わらせるため、有識者が参加する保存活用検討委員会などで何年もかけて議論が重ねられた。
そのメンバーの一人で、意匠設計担当の伊藤は「ランドマークとして残る建物ですから、一つひとつにしっかりとした根拠をもって取り組みたいと考えました。さまざまな立場の方が徹底的に意見を出し合う場にいられたのは、とても勉強になりました」と振り返る。
点群データを3Dモデルに変換して元の意匠・形態を検証。解体前の内観もホテルへの転用の検討の参考とした
とりわけネックになったのは「高さ」だ。弥栄会館がある地区は、新たに建物を建てる場合「12m以下」という制約がある。従来の高さ31.5mを維持したまま「優れた形態および意匠を有し」「景観の向上に資するもの」という特例条件を適用して高さの最高限度を超える、京都市にとって初めてのプロジェクトになった。
何度も景観協議、審査会が重ねられ、南面、西面の外壁および構造体を残し、加えて北面、東面を含めて弥栄会館のシルエットを守ることで景観を継承し、祇園の伝統的な町並みと調和するデザインとすることで京都市の許可が下りた。
次々と難題にぶつかりながらも、過去・現在・未来をつなぐ一大プロジェクトであるというやりがいが関係者を支える。伊藤は「設計部の大先輩である木村得三郎と図面上で対話している感覚になることがありました。本工事で生まれ変わった建物が竣工してさらに長い年月を経た後にまた、当社の誰かが関わっているかもしれないと想像すると、感慨深いです」と話す。
BIMを用いて立案した解体計画ステップ図。複雑な仮設補強と躯体解体の手順をBIMによって可視化。既存建物の崩壊を防ぐため、仮設補強鉄骨を採用し、解体ステップごとに鉄骨を補強しながら解体を進めた
「35年以上構造設計に携わって、最も難しい仕事かもしれません」と言うのは、構造設計担当の藤井だ。資料は豊富に残っていたが、古い建物のため解体を進める中で図面とは異なる部分が確認された。
例えば、柱の躯体が太い、配筋の位置が異なることがあった。疑義事項があればその都度、現場と設計が密に連携して施工方法を考えた。「解体工事着工後に全柱の主筋位置の試験斫(はつ)り調査を行い、それを踏まえて設計をやり直し、確認申請の取り直しを実施しました。
前例のない複雑な補強配筋の実現など現場の皆さんの頑張りには頭が下がります。ですから、現場が止まらないように現場からの相談にはできるだけ早く回答しました」と藤井は話す。
大きな地震が起きると倒壊の恐れがあり、一気に解体を進めて保存する2面の壁と一部構造体だけの状態にすることはできない。そのため、施工中の仮設計画も構造設計が主体となって検討するなど、一般的な同規模の建物解体、新築と比較すると倍以上の期間、労力を費やしている。
既存躯体保存補強では、既存躯体の鉄筋貫通配置図を作図し、現地で墨出し、レーダー探査を行い、既存鉄筋を避けて現地調整。その後、コア貫通、鉄筋貫通、フレア溶接、貫通部グラウトの充てんを行う
意匠や当時の空気感を後世に受け継ぐうえで、外装タイルや粘土を焼成して作られたレリーフのテラコッタの再利用は極めて重要な要素だ。
例えばタイルは「生け捕り(いけどり)」で10%の再利用が設計で決められていたが、損傷や劣化が激しく、大きく下回ってしまう可能性もあったという。生け捕りに最適な工法を検証するため、解体と並行してさまざまな試験施工を実施した。
斫り工がカッターを入れる位置、斫る角度などを試しながらめくっていくアプローチを一枚ずつ繰り返し、最終的に10.6%、1万6,387枚の生け捕りを達成。工事長の芝田は「触れると崩れてしまうようなもろいものもある中で、職人さんたちのプライドを懸けた仕事の成果です」と語る。
また、テラコッタについても何種類もの試験施工を通じ、より良い保存方法を探るとともに、3Dスキャナーを用いた点群データ化での復元も図った。
建具、内装材などもできる限り残し、耐風圧試験、再塗装を実施。事前に何をどう残すかを決めることは難しく、現場では常に的確な状況判断とフレキシブルな対応が求められました。設計施工ならではの社内の機動力が、保存という難題をクリアするために必要不可欠でした」と芝田は話す。
テラコッタの壁は状態に応じて保存方法を決定。状態の良い壁は、アンカーピンを打ち付けて慎重に固定・保存する
大林組の財産になる工事
大林組は2024年3月、伝統建築・ヘリテージプロジェクト・チームを設置した。歴史ある貴重な建物を保存・再生するニーズに欠かせないのは、経験値と確かな技術だ。主任の村岡は日々困難な工事に立ち向かいながらも、経験した特殊な工事や工法について丁寧に記録を取って資料を作成している。「類似物件の参考になるとともに、本工事がベースになって当社の工法として標準化されていけばと思っています」と説明する。
1年数ヵ月後には完成を迎え、祇園を見守るシンボルが再び姿を現す。「いよいよ最終コーナーです。皆で挑戦して乗り越えてきた経験と知恵を発揮してやり遂げたい」とゴールを見据える松本。ホテルの扉を開けた瞬間に、ゲストに感動を与え、喜んでもらえる、そう確信して現場は今日も進んでいく。
大林組-プロジェクト最前線
「京都・祇園の文化財がホテルとしてよみがえる」