短編映画「余命士」の3作目です。「どう生きるかを問う」というこの作品のテーマはそのままに、愛媛県宇和島市を舞台に同地に所縁のある人たちとともに映画を作るという、過去2作にはない試みにも挑戦します。「映画製作を通して関わる人たちの想いをひとつにし、故郷を思い出す余命士」を世に送り出したいと思います。
「娘さんの余命は18年です」
「もう、がんばっても意味ないやん。どうせうちはもう...」
映画「余命士」は、人の余命が分かる「余命士」によって、生まれた日に自身の余命を告げられた高校生とその両親の物語です。屈託なく育っていく娘の成長を素直には喜べない両親の葛藤。16歳の夜に突然自分の余命を知ってしまった主人公・華の困惑。ダンスが大好きで、この先もダンスとともに生きていきたいと願っていた華は、自身の余命を知って何を思うのか。
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余命⼠は余命が⾒える人物です。もちろん実在はしない物語の中の存在ですが、この40分の短編映画は、「余命士によって自分の余命が分かったら、自分はどう生きるのか?」という問いを、観ているみなさんに投げかける作品です。命や時間について振り返って考えるきっかけにきっとなるはずです。
私(監督である加藤直人)は、もともと企業に勤めて経理や税務に携わる仕事をしていました。相続に関する仕事にも携わったことから終活に出会い、一般社団法人終活カウンセラー協会の民間資格である「終活カウンセラー」を取得しました。
終活の本質は、「自分や大切な人の死を意識することで、今をどう生きるのか」という前向きなものです。自分自身の終活を意識した時、今の仕事をずっと続ける気持ちにはなれない、自分にしかできない仕事をやりたいし、そこに限りある命の時間を使いたいと思うようになりました。
では、私は何をしたいのか?終活を若者向けに伝え、自身の終焉を意識することを通して今をどう生きるかを問いかけたいと思いました。
それには、エンターテインメントから伝えることが良いと考えました。小説を書き、それを漫画にし、物語がより伝わるように映画にしました。私は自分のことを、映画監督になりたくて映画監督をしているのではなく、余命士という物語を伝える映画監督だと思っています。
実現したいことは3つあります。
1. 地域おこし(地域が主役)
2. 文化芸術の発展(芸術の力)
3. 命の教育(向き合う機会)
これまでに「余命士」という短編映画を2作品作ってきました。今回は第3弾で、撮影地となる愛媛県宇和島市の人々と一緒に映画を作ることを大切に考えています。自分が住んでいる場所の良さは自分では気づけないことが多いです。私たち撮影チームが外から入っていって気づく地域のいいところと、地域に暮らす人たちが感じるいいところを、伝え合って物語の中に織り込むことで、完成した作品を観た人がそれぞれの中にある「帰る場所(故郷)」をイメージし、宇和島をいっそう大切に思うきっかけにしてもらいたいのです。
一般論として、地方に住んでいると、文化芸術に触れる機会は少ないものです。宇和島に今住んでいる方々や宇和島にゆかりのある方々に撮影に携わってもらい、地域の風景や人々が登場する映画を一緒に作ることで、文化芸術に触れる機会を提供できるのは面白いのではないかと思います。
余命士という物語の本質は、命について考え、「どう生きていくか」を問うものです。地域の人たちと一緒につくることで地域に根差した「余命士」が完成し、地域の人たちに大事にしてもらう作品になるはずです。地域の風景や事情を織り込んだ、命と向き合う物語を、教育の現場にも届けられるようにしたいと思います。
このように今回の作品は、作品そのものだけでなく、作品を製作する過程自体にも重要な意味があります。そして完成した作品を教育の現場に届けて使ってもらうことを考えると、作品の完成がプロジェクトの終わりではなく、むしろ通過点であり新たな章の始まりと言えます。今回のプロジェクトでこれらを実現したいと考えています。
命について考えるという正解のない問いは、すべての教育の基礎となる大切な問いです。エンタメが持つ若者への影響力は大変大きいことから、映画を通して若者世代に伝えるため、学校教育の現場に届けることを想定し、40分程度の短編映画として編集しています。
余命宣告された主⼈公とそのお⽗さん・お⺟さん、それぞれの⽴場で命の捉え⽅は異なると思います。 残された時間がわかったとき、⼤切な家族の余命を知ったとき、それを知りたいと思うでしょうか? 家族は本⼈に伝えないかもしれません。本⼈は伝えてほしいかもしれません。 後悔しない選択を⼀つ⼀つしていくことを40分という短い時間の中に濃縮して伝えているのが、この余命⼠という映画の醍醐味でもあります。
1作⽬はまさに、限りある命と向き合う物語。命とは時間。限られた時間だからこそ、1秒も無駄にできない⼤切なものだと理解できます。自分の余命を誰かに与えられる(与えたら死ぬ)という映画ならではの設定も⼤切な要素です。それは⾃分の⼤切な時間を誰に使うのかという問いにも繋がります。⾃分が誰のために、何のために時間を使うのかを意識するものです。
2作⽬は、『声』の余命(⼀般上映は2024年8⽉3⽇)。声に限りがあるとしたら。声がなくなり、⾃分の声を通して思いを伝えられなくなるとしたら。原因は⾃分⾃⾝が『⼼の声』を無視して殺してきたことです。⼩さな⼼の声も⼤切にしてほしい。⾃分の声は⾃分しか聞くことができない⼤切なものだから。相⼿に伝わっていないとしたら、それは⾃分の声を失っている合図なのかもしれない。 そんなことを描いている作品です。
こうした取り組みを経て、今回、「余命士」という作品の本質はそのままに、宇和島市の風景や魅力を織り込んだオリジナル脚本による第3弾作品を製作します。
今回のプロジェクトは、作品そのものだけでなく、映画製作に携わってくれる方々が製作の過程に参加し様々な体験をすること自体にも価値を見出したいと考えています。文化芸術の作品には人の想いを繋ぐ力があります。宇和島に住んでいる人やゆかりのある人を起用して宇和島で撮影することで、宇和島の想いを繋ぐきっかけにしたいのです。
この過程を経ることで、今作が宇和島の文化や歴史と歩む映画作品となり、見た人それぞれが宇和島をいっそう大切に思う映画作品になると信じています。どうやって地元を大切にするのか?大きなことをしなくても、年に何回か宇和島に帰る、故郷のモノを買う、そういったことでもいいのです。それぞれが故郷に意識を向けることが、地元を大切にすることにつながります。私は、地域おこしや地方創生といった言葉をそのように捉えています。
そして宇和島版余命士が完成すれば、宇和島の言葉や文化も記録された映画となり、宇和島の地に根付いて人々の記憶に残る作品になると考えています。さらには、学校教育の場や防災イベント、お寺や病院などで、宇和島で生きることや、自分や大切な人の命を考える教育のきっかけとして使ってもらえることを期待しています。
「余命士」の物語は、一貫して「どう生きるかを問う」という軸を持ち続けています。その軸は引き続き大事にしつつ、今作が初めて挑戦するのが、撮影地・宇和島の魅力を脚本に織り込み、宇和島の人々と一緒に映画を作るということです。これこそが今作の最大の特徴であり、過去2作との違いであり(過去2作は物語自体に主眼を置いていました)、初めての試みとなります。
宇和島と同じように魅力やその地域ならではのものを持ち、その地域を愛し暮らしている人がいる場所は、日本中にあります。今回作の製作が成功すれば、今後他の地域でも、その地域の魅力を脚本に織り込み、地域の人々と一緒に映画を作ることができるようになるでしょう。それは、その地域の地域おこし、文化芸術の発展、命の教育にも大きく影響するものになっていくはずです。
今回の作品は今後の展開を左右する貴重なきっかけにもなるはずです。「地域おこし」や「文化芸術の発展」といった言葉に関心のある方々にもぜひこのプロジェクトをご支援いただきたいです。
2024年4月に初めて、宇和島市に足を踏み入れました。私の地元である愛知県西尾市(旧幡豆郡吉良町)と景色や時間の流れがとても似ていて、ホームに帰ってきた感覚がありました。宇和島の魅力は、海も山もあり、自然が豊かで食べるものも美味しいということです。また、方言も素敵で、聴いていて心が和みます。
他方で、主要都市からの移動手段が限られていることや時間がかかること、そして若者人口を維持といった課題を抱えていると感じます。若者の多くは宇和島から出ます。出ていった若者たちが宇和島愛を持ち続け、次の世代に還元する仕組み作りが必要ではないかと感じています。
宇和島市長&教育長からの応援コメント
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<ご支援いただいた支援金の使途(予定)>
●映画映像制作費(撮影、編集) 80万円
●音楽制作費 120万円
●人件費 40万円
●広報費 9万円
●クラファン手数料 51万円
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。