J-WAVE(81.3FM)の人気モーニングワイド「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」内で
様々な企業や個人が取り組んでいる「働き方」から、これからの変化や未来を考える「RECRUIT THE WORK SHIFT」。1日のスタートに「新しい働き方」のヒントをシェアしています。
10月28日・月曜日から10月31日・木曜日の放送では、NPO法人「農家のこせがれネットワーク」の代表、そして、家業の次の担い手が集うコミュニティ「家業イノベーション・ラボ」を立ち上げた宮治勇輔さんの、“農業”・“家業”を変える働き方をご紹介しました。
今も神奈川県の湘南で養豚業を営んでいる宮治さん。
一度は東京の大手企業に就職したものの、背広を脱いで、実家の養豚業を継ぎ、
2006年に株式会社みやじ豚を設立。みやじ豚は2年で神奈川県のトップブランドとなり、
2008年には農林水産大臣賞を受賞。宮治さんの活動は農業・畜産業界から注目を集めるようになりました。
そんな宮治さん、当初は家業の養豚業を継ぐ気持ちはさらさらなく、自分で起業するつもりだったとか。しかし、起業するための勉強の中で、自分にしかできない“家業”の存在に気付いたそうです。とはいえ単純にお父様の跡を継いで農家になるのは嫌だった宮治さんは、自分の頭の中にある“農業の定義”を変えてみようと思いたちます。通常は生産して終わる農家の仕事ですが、生産からお客様の口に届くまでを農家が一貫してプロデュースすることを“農業”と定義してみたら一気に世界が広がったそうです。
宮治さんは実家に帰り、名もなき豚だったみやじ豚をブランド化。流通経路を変え、さらにその美味しさを体験してもらうための場である”みやじ豚バーベキュー”をスタート。口コミで美味しさが広がっていきました。
農家の魅力と可能性を実感した宮路さんは、自分と同じような立場の人たちにも、農業の魅力と可能性を伝えたいと思うようになり、「NPO法人農家のこせがれネットワーク」を立ち上げました。そして、働き方の中での“農業”という選択をより良いものにするために、宮治さんが掲げたのが『農業新3K』という考え方でした。
「きつい」「汚い」「危険」、過酷な労働環境を意味する「3K」というイメージもあった農業ですが、そんなイメージを変えたい!1次産業を「かっこよくて」「感動があって」「稼げる」、新しい3Kの仕事にしたいと考えた宮治さんは、自らの仕事はもちろん、同業者ともつながり、“アイデア”を共有していくようになります。メディアなどでも紹介され、多くの人が参加。農業を応援したいという人、食関係の人ともつながっていきました。
しかし、5年ほど活動を続けると、SNSも普及して、地方でも同じような活動をする人たちも出てくるようになりました。自分たちの活動が“ひと段落した”という手ごたえを感じた宮治さんに見えてきた次の課題は“事業承継”でした。
親の代からの家業の“経営”を引き継いでいく事業承継、これが上手くいかない、なんとなく引き継いで、しぼんでいってしまうケースをいくつも目にして立ち上げたのが「家業イノベーション・ラボ」でした。学校では教えてくれない、家業の継ぎ方ですが、「家業イノベーション・ラボ」では家業の魅力と可能性を伝えるとともに、古参社員との付き合い方、次のイノベーションを起こすヒントなどを、先輩である“家業イノベータ―”を中心に情報交換や相談を行いました。
そんな活動の原動力となったのは、家族経営・ファミリービジネスへの認識を変えたいという想いでした。経営がどんぶり勘定、外部の人が報われない、などデメリットをよく言われるファミリービジネスですが、家業先進国ともいえるヨーロッパでは評価が高く、手厚いサポート、家族的な雰囲気、長期的な視野など、ファミリービジネスならではの良さも沢山あると宮治さんは語ります。
大企業をやめ、家業を継いで、「みやじ豚」をトップブランドにして、「NPO法人農家のこせがれネットワーク」、「家業イノベーション・ラボ」と活動の場を広げるとともに、周りの人の仕事への意識、働き方を変えてきた宮治さん。2足、3足のわらじを履いて10年。今、変化の激しい時代に直面して思うことを伺ってみると・・・「美味しいバーベキューというだけで人が来る時代は終わったと思います。様々なコラボレーション、自分たちだけではなく、他の生産者のことも知ってもらう試みだったり、サーキュラーエコノミー、循環型経済の考え方をとり入れる変化が必要ですね。そして複数の仕事を持つことが当たり前になって、プロボノとかもっと増えると思います。複数の仕事を持ちながら“1本の線”につながる働き方やライフスタイルになっていくんじゃないですかね」と仰っていました。
4日間に渡ってご紹介した宮治勇輔さんの働き方と取り組みから番組が導き出した「WORK SHIFT」のヒントは『自分の中の定義を変えてみる!』でした。農業ってこんなもの、家業ってこんなもの、1次産業ってこんなもの、そんな自分の中の定義を広げ、変えてきた宮治さん。その先には“魅力的な仕事”がありました。