新潟県・佐渡島。ドイツ製法のソーセージ・サラミ工房「へんじんもっこ」の店名は、佐渡弁で「頑固者」を意味します。1980年代、大型スーパーの進出に危機感を抱いた精肉店の2代目がソーセージづくりを始めました。現代表は3代目の渡邊省吾。18歳で単身ドイツへ渡り、食肉加工の国家資格「ゲゼレ」を取得。2005年にはドイツ・シュトゥットガルトの食肉加工コンテストSUFFAで国際部門総合優勝。2025年にはIFFAで出品10品中9品が金賞と、世界的に評価されています。
しかし、これらの評価は、ドイツらしい商品に対するもので、佐渡島らしさが評価されたものではありません。
渡邊はいま、「佐渡から世界へ」を合言葉に、島の酒蔵の酒粕で熟成した生ハム、佐渡ミカンの皮を使ったジャーキーなど、島の素材と人を巻き込んだ商品づくりに挑戦しています。世界で評価された職人は、なぜいま佐渡にこだわるのか。
渡邊に、ドイツ修行の原体験から世界大会での受賞、佐渡の人とともに進める商品づくり、そしてこれからの挑戦について語ってもらいました。
「僕、大きくなったらドイツに行く」。はじまりは子どもの頃
―― まず、佐渡の精肉店がソーセージ工房になった経緯と、ドイツへ渡ることになったきっかけを教えてください。
渡邊省吾(以下、渡邊):祖父の代は鶏の肉屋、父の代で牛や豚も扱う精肉店になりました。父がソーセージを作り始めたのは、佐渡に大型スーパーが建った頃です。肉を売るだけでは生き残れないと考えたんですね。そんなとき、ドイツでは町の精肉店が自分でハムやソーセージを作ると知って、うちもやろうと。
自営業の家庭では、仕事と生活が結びついています。小学4年生のとき、「僕、大きくなったらドイツに行く」と何気なく口にしました。子どもの夢なんて漠然としていますが、言葉が力になることがある。佐渡農業高校を卒業した年、18歳で本当にドイツへ渡りました。ソーセージを作って父に褒められたのがちょうどそのとき。嬉しさが後押しになったのかもしれません。
言葉も通じないドイツに、社会の厳しさを知らない高校生が飛び込んだ形です。なんとか職業学校で学びながら、ミュンヘン近郊のルッツ食肉店で累計4年、住み込みで働かせてもらえました。そのうち3年かけてゲゼレの資格を取って、佐渡に戻ったのが22歳のときです。
帰国後、納得できる商品ができなかった。それでも出品を続け、2005年に世界一
―― 帰国後は、すぐに満足いく商品をつくれたのでしょうか。
渡邊:つくれませんでした。2002年に父と一緒に働き始めて、早く自分の色を出したくていろいろな加工品に取り組みました。ですが納得できる味にならない。それでも毎日作り続けて、ドイツのコンクールに出品し続けました。
転機は2005年。シュトゥットガルトのSUFFAで国際部門の総合優勝と、ソーセージ・パテ・ハム部門の賞をいただきました。1999年から3年連続でカップをもらっていたトレードコンテストもありましたが、本場の総合優勝は別格でした。
ただ、当時の私は「良いものが作れた」という喜びで満足していました。今思えば、職人としてはよくても経営者としては未熟だったと思います。受賞しても、大して告知もしなかった。良いものを作ればお客様に届くと思っていたんですね。
同じレシピでも、佐渡の自然がヨーロッパにない味をつくる
―― 看板商品の「たまとろサラミ」をはじめ、へんじんもっこの味は佐渡でしか作れないと聞きます。
渡邊:たまとろサラミは生サラミです。普通のサラミは菌を抑えるために1カ月以上乾燥させて固くしますが、うちは10日から14日。水分を残したまま、菌の原因になる自由水だけを下げる技術で作っています。口の中でほどける食感で、お客様には「ネギトロみたい」「生ハムをミンチにしたみたい」と言われます。材料は豚肉、香辛料、塩、乳酸菌だけです。
生ハムは、製法はドイツで学んだ通り、発祥地ごとの作り方を忠実に守っています。でも、同じレシピで作っても、ヨーロッパと同じ味にはならない。向こうは乾燥しているので固めに仕上がる。佐渡は湿度があるので、しっとり仕上がる。熟成庫の温度湿度は機械で設定しますが、周りの気候にゆるやかに影響されるんです。
ドイツの技術と、佐渡の風土。二つが重なって、ここでしかできない味になっている。だから「佐渡の」と胸を張って言えます。
島の酒蔵、島のミカン。「佐渡の素材、人、文化」で商品をつくる
―― 最近は、佐渡の事業者と一緒に作る商品が増えていますね。
渡邊:はい。佐渡に戻って今年で25年になります。それにつれ、もっと佐渡らしい商品をつくりたいと考えるようになりました。
ひとつが酒粕生ハムです。佐渡には酒蔵が5つあって、全ての蔵から酒粕をいただいて生ハムを熟成しています。最初は逸見酒造さんが酒粕を分けてくださって、島の居酒屋で試作品を出してもらっていた。お客様に安定して注文いただけるようになり、2026年2月から商品として販売を始めました。蔵によって酒粕の味が違うので、どの蔵の酒粕かが分かる商品にしていくつもりです。
ほかにも、佐渡ミカンの皮を使ったビーフジャーキー。それから、佐渡金山の世界遺産登録を祝って作ったゴールドソーセージ。塩は佐渡の深海塩を使っています。
鍵になるのは「循環」です。酒蔵と組めば、蔵のファンがうちを知ってくれる。うちのファンが蔵を知ってくれる。佐渡の価値が、単品ではなく、つながって循環する。私が作りたい、島らしい繋がりから生まれる商品です。
世界で9品金賞。2025年から「伝える」ことに向き合った
―― 2025年10月のIFFAでは、出品10品のうち9品が金賞、1品が銀賞でした。以前と何が変わったのでしょうか。
渡邊:賞の重みは同じです。変わったのは、その後です。
コロナの時期に、経営が本当に苦しくなった経験があります。作っていれば届く、という考えでやってきましたが、良いものを作っているだけでは会社は続かないと、身にしみて分かりました。
ですので2025年は、受賞をきちんと発信しました。要は広報したんです。すると地元のテレビ局が取り上げてくれて、新聞にも載って、講演の依頼が来るようになった。ロータリークラブ、食品衛生協会、地元の小学校のキャリア教育、経営者の会、金融機関、小学校の先生の勉強会。出会った方の紹介で、新しい取引も始まりました。
以前は「良いものが作れたとき」に一番の喜びを感じていました。いまは、商品が実際に相手に届いたときの方が大きい。どれだけ良い商品を作っても、知ってもらい、手に取ってもらわなければなりません。だから伝え方を試行錯誤しながら見直しています。
―― 最後に、これからの挑戦について教えてください。
渡邊:いま佐渡市の「島の推しごとグランプリ」にエントリーしています。市内の中高生がインタビューに来てくれました。伝えたかったのは、「佐渡でも、世界を目指して仕事ができる」ということです。私は18歳で島を出て、22歳で戻りました。一度出たからこそ、佐渡の価値に気づけた。島を出ることと、佐渡に戻って挑戦することは、対立するものではなく、つながっている。中高生には、可能性を狭めなくていいと伝えたいんです。 故郷に自信をもってもらいたい。
佐渡ではたらく魅力は、周りに応援してもらいやすいことです。地方だからできない、ではなく、佐渡の環境を強みととらえる。うちのスタッフは平均勤続15年、9割が未経験からのスタートです。弟がやっているイタリアンレストラン de Vinco(デビンコ)は昨年10周年を迎えました。島の人に支えてもらい、続いています。
再び海外にも商品を届けたい。ただし今度は、「佐渡の」へんじんもっことして。ドイツで学んだ技術を佐渡に持ち帰り、佐渡の素材と人と文化と一緒に、佐渡の価値を世界に届ける。それを続けた先で、島の人に「へんじんもっこが佐渡にあってよかった」と言ってもらえたら嬉しいです。
今日も朝から工房で、一本一本、丁寧に作っています。
プロフィール
有限会社へんじんもっこ 代表取締役 渡邊 省吾
1978年、新潟県佐渡市生まれ。佐渡農業高校卒業後、18歳で単身ドイツへ。職業学校とミュンヘン近郊の食肉店で4年間学び、ドイツ公認の食肉加工資格「ゲゼレ」を取得。2002年に家業のへんじんもっこへ入社、2012年に代表就任。2005年SUFFA(ドイツ)国際部門総合優勝、2023年DLGコンテスト金賞、2025年IFFA出品10品中9品金賞。
商品・サービス情報
へんじんもっこ ブランドサイト/オンラインストア
佐渡島の工房から、ドイツ製法のソーセージ・サラミ・ハムをお届けしています。
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