売る人を、責めなかった。売らずに済む場所を、つくることにした。

2026.10.01 14:00
一人で保険50枚、証券10枚。「多すぎます」と言えなかった16年。
はじめに
私は2010年から16年、保険の世界にいました。この記事は、売れなかった人間の話ではありません。売れるようになった人間が、売れるようになったからこそ気づいてしまったことについての話です。
そして、その答えが「売る人を責めること」でも「売るのをやめること」でもなかった、という話です。
第1章 保険50枚、証券10枚
あるお客様の家計を整理したとき、手元に集まった契約は、保険が50枚、証券が10枚ありました。銀行の窓口で、JAで、いくつもの保険会社で、証券会社で。それぞれの窓口で、それぞれの担当者が勧めたものです。
一つひとつに悪意があったとは思いません。ただ、全体を見ている人が、一人もいなかった。
「多すぎます」。その一言を、私は言えませんでした。言えばお客様は嫌な気持ちになる。嫌な気持ちにさせれば、私の話そのものを聞いてもらえなくなる。そして私にも、提案したい商品があった。
あのとき、60枚を勧めた担当者たちを責める気には、なれませんでした。私も、同じ側にいたからです。
第2章 2011年、ゼロから
2010年9月、住宅販売の仕事から生命保険の世界に移りました。半年後、東日本大震災が起きました。
沿岸部で予定していたアポイントは、直前で取り消しになっていました。築きかけていた販売の基盤は、ほとんどが消えました。
ゼロからやり直すしかありませんでした。私は一人ずつ会いに行くことにしました。紹介でしか会わない。紹介してもらえるだけの仕事をする。それを6年間続け、実績が前年を下回った年は一度もありませんでした。
2014年4月。紹介だけで、一人ずつ会い続けていた頃。
一件ずつ、手帳に書き込んできた。色分けされた予定の一つひとつが、誰かの家計の話だった。
第3章 「潰れますよ、うち」
7年目、私は法人のマーケットに軸足を移しました。個人の家計の向こうに、会社の制度や経営の判断があることが見えてきたからです。MDRTに登録し、2018年度にはCOTの基準に達し、MDRTの東北ブロック長も務めました。
初めて参加したMDRT年次総会。カナダ・バンクーバーにて。


2020年5月、約10年在籍した生命保険会社を離れ、独立しました。翌2021年、自分の会社で保険代理店の仕事を再開しました。今度は会社員ではなく、社員の生活を預かる経営者としてです。
数字を見れば、矛盾ははっきりしていました。お客様にとって最善の提案と、手数料の大きい提案が、一致しないことがある。私が前者を選び続けていると、社員の一人からこう言われました。
「潰れますよ、うち」
その社員を責める気にはなれませんでした。言っていることは正しかったからです。代理店は手数料で成り立っています。その構造の中で「顧客の最善」を貫くことは、経営者の信念だけでは続かない。社員の生活まで賭けることになる。私が向き合うべきだったのは、人ではなく、構造でした。
第4章 売れるようになって、分かったこと
売れない人間が「利益相反はよくない」と言っても、負け惜しみに聞こえます。売れるようになったからこそ、確信を持って言えるようになりました。


自分に利害がある場面では、言えないことがある。


これは誠実さの問題ではありません。どれほど誠実な人でも、目の前に自分の収入が懸かっていれば、言葉の選び方が変わる。私自身がそうでした。


2015年から、実務者向けの勉強会「結城塾」を開いてきました。延べ1,000名が参加してくれました。まだ私が保険を売っていた時期です。関心は、商品よりも、この仕事をどう続けるかという職業のほうにありました。
結城塾。2015年から続く実務者向けの勉強会に、延べ1,000名が参加した。
結城塾は、いまも続いている。
第5章 売る人を、責めない
正直に書きます。最初に考えた答えは、自分が保険代理店をやめることでした。売らなければ、利害はなくなる。そうすれば、言いたいことが言える。
けれども、それでは何も解けませんでした。保険代理店には、お客様のために働きたいと思っている誠実な募集人がたくさんいます。私一人が看板を下ろしても、彼らの目の前にある構造は変わらない。そして、保険そのものが必要な人は、確かにいるのです。


問題は、売る人ではありませんでした。相談を受ける場所と、売る場所が、同じだったことです。


だから、売る人を責めるのをやめて、場所を分けることにしました。誠実な募集人が、相談の場では売らずに済む。数字を気にせず「多すぎます」と言える。そういう場所を、つくることにしたのです。
第6章 産業医という先例
健康については、この問題はすでに解かれていました。企業には産業医がいます。産業医は従業員の相談を受けますが、薬を売りません。治療が必要なら、医療機関につなぎます。


産業FPは、同じ構造をお金の分野に置くものです。

企業と顧問契約を結び、制度を運営するのは、金融商品販売の登録を持たない会社 (株式会社Dragon connect)相談の場では、売らない。商品名も口にしない保険の提案ができるのは、相談の翌日以降に、相談者本人から書面で依頼があったときだけ提案したら記録を出し、比率を監査され、違反すれば認定を取り消される相談の中身は、会社にも伝えない


「翌日以降」という一日の空白が、この制度の要です。その場の空気で決まった依頼ではなく、一晩考えたうえでの本人の意思であることを、手続として確かめるための一日です。
この仕組みは、グループの保険代理店が取引する保険会社のコンプライアンス部門にも、事前に説明し、確認を受けています。売る側の業界と対立するための制度ではないからです。
第7章 最初に監査を受けるのは、自分たち
私が代表を務めるグループには、保険代理店があります。隠すつもりはありません。
最初の認定事業者は、その代理店です。他の事業者とまったく同じ審査を受け、同じ規約に従い、同じ監査を受けます。ロイヤリティの料率も同じです。制度を作った側が例外扱いを受けるなら、その制度は最初から機能しないからです。詳細は本日、同社から発表しました。
認定講座は、ゼロから作ったものではありません。結城塾の11年間で蓄積してきた内容を、制度として整えました。私が16年かけて回り道した道を、もう一度誰かに歩かせる必要はありません。
コネクトグループの歩み(2020〜2025年)。産業FPは、この積み重ねの上に生まれた。
エピローグ 社会のために仕事をしなさい
初めて新聞に載った日、紙面を指さす祖母の姿を見て、「社会のために仕事をしなさい」と言われた気がしました。
よくやったね、ではなく。載ったことを褒められたのではなく、これから何をするのかを問われた気がしたのです。
初めて新聞に載った日。紙面を指さす祖母に、社会のために仕事をしなさい、と言われた気がした。(イラスト)


保険を売って成績を上げていた時期も、その問いはずっと引っかかっていました。私は社会のために仕事をしているのか。自分の数字のために仕事をしているのか。
売る人を責めることは、簡単です。でもそれでは、誰も救われない。売る場所と、話を聞く場所を分けた。誠実に売りたい人が、誠実でいられる場所をつくった。ようやく祖母に、これが社会のための仕事だと言える気がしています。
結城 天志/株式会社Dragon connect 代表取締役社長


プロフィール
結城 天志(ゆうき たかし) 株式会社Dragon connect 代表取締役社長。2010年に住宅販売業界から生命保険業界へ転職。東日本大震災を経て6年間紹介営業を続け、法人マーケットへ転換。2020年5月まで同社に在籍し、2021年に保険代理店業務を再開。MDRT登録、2018年度COT、MDRT東北ブロック長。2015年から実務者向け勉強会「結城塾」を主宰し延べ1,000名が参加。コネクトグループCEO。著書に『神様の連邦経営』。
【学歴】2023年、英国ウェールズ大学トリニティ・セント・デイビッド校(UWTSD)経営大学院 Postgraduate Diploma修了。現在、ポーランドUITM 経営学博士(DBA)課程に在籍。


【保有資格】事業承継士、事業承継マスター、2級ファイナンシャル・プランニング技能士、TLC(生命保険協会認定FP)ほか

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