増えていくブツブツの身体…指定難病の1つ、レックリングハウゼン病を知っていますか?患者の私が病と向き合い、人生を諦めずに挑戦していく姿や、その中で得た想いを綴った書籍を出版します!貴方の“一歩踏み出す勇気のキッカケ”に!病の認知度向上、そして“ハンディは欠点ではなく個性”だと全国へ届けていきたい!!
愛知県を拠点に活動しているガラス作家 大河内 愛美(おおこうち まなみ)です。
目標の1つに掲げていた書籍出版に向け、ようやく動き始める事が出来ました!
書籍は私の実体験を元にしたエッセイと作品集を1冊に集約した内容になっており、30歳を迎える10/24にKindleにて電子書籍とペーパーバックを出版します!
普段制作しているのは、グラス・小鉢・お皿・花器・オブジェ等で、泡模様を施した色鮮やかな作品が多いです。
百貨店出展やマルシェ出展等の対面販売の催事で購入出来ます。
作家活動も今後展示や催事の機会を増やし、活動の幅をより一層広げていきたい!と奮闘中です。
しかし…実は生まれつきレックリングハウゼン病を患っていて、2018年に“ある事”をキッカケに病の認知度を上げたい!と思い立ち、ブログを中心に病の発信活動を始めるまでは作品の雰囲気とは真逆のような暗い人生を過ごしていました…。そんな発信活動も今年で8年目を迎え、病と向き合い想いを発信するガラス作家として今は活動しています。"レックリングハウゼン病×ガラス作家"
この掛け合わせで日本で活動してるのは私1人だけだと思っています!
●レックリングハウゼン病(神経線維腫症Ⅰ型)は難病の中でも指定難病に認定されており、日本では出生時に3000人に1人が発症。
現在日本に約4万人もの患者がいるとされてます。
直接有効的な治療法は無く、病状への対象処置しかありません。
また両親のどちらかがこの病の場合、生まれてくる子供に遺伝する確率は50%ですが、私は両親からの遺伝ではなく突然変異で発症しました。
代表的な病状としては、【カフェオレ斑】と呼ばれるミルクコーヒー色のシミのようなモノが身体中の様々な所に大小問わず数多くできたり、【神経線維腫】と呼ばれる神経の上に出来る腫瘍(ほとんど良性/稀に悪性)が身体の体内外に出来ます。
見た目はイボみたいな感じでプニプニした感触で、患者の間ではプクと呼んでいる人が多いです。
プクは徐々に増えてくるし大きくなっていきます。
私は2020年頃から何度も手術を受け、身体の様々な所に出来ているプクを取るようになりました。今まで取ったプクは1000個を超えます。背部は400個弱取りました。
それでもまだ取れていないモノは数え切れない程あるし、取りたくても小さすぎて取れなかったりもします。
少しづつ大きくなってきているし、『あれ?ここにあったっけ?』って増えてきてる感じもします。
プクは体内外で無限に増え続けていく為、キリがなくてイタチごっこしてます。
カフェオレ斑はレーザー治療等で消せるのですが、そこだけ色素薄くなるから逆に目立つと医師から聞いた事があり、私は今より目立つなら…と治療せずそのままにしています。
私の身体は全身、レックリングハウゼン病による数え切れない程たくさんの病状やたくさんの手術跡で傷だらけです。
なんとか強く生きられるようになってきた今、オシャレも昔に比べれば少しずつ楽しめるようになってきましたが、周囲の視線も怖いしなるべく服で隠していたいと心の奥底では思ってしまいます。
叶わないって分かってても憧れちゃうので、どんなに努力したって手に入らないまっさらで綺麗な肌は来世に期待してます。
手術跡は頑張ってる勲章だと思うようにしています。
レックリングハウゼン病は見た目に特徴があり悩む事がとても多いです。
しかし、黙っていれば『難病患者』だなんて夢にも思われないでしょう。
人によって病状が様々なので、カフェオレ斑やプクが比較的に少なく、見た目の病状が多くなければ自分がこの病だと自覚すらしてない人もいるのです。
そして、見た目以外にも骨病変や眼病変など見えない部分にも影響が出てくる事もあります。
レックリングハウゼン病は様々な合併症のリスクがあり、中には命に関わってくる事があります。
今回、クラウドファンディングをする事にしたのは、発信力と影響力を強めて今までSNSだけでは届けられていなかったより多くの人達へも想いを届けていきたい!活動を知って欲しい!病を知ってほしい!という想いと、この出版を通して病を自覚してない方への気付きにも繋げていきたいからです。
私は小中学生の頃、ずっといじめに遭っていました。
生きるのが辛い、けど死ぬのはもっと怖いしそんな度胸はない。
出口の見えない長い暗闇のトンネルの中に一人ぼっちでいるような感覚でした。
特に男の子からひどい言葉や態度を沢山取られ、一言で言えば人間扱いされていませんでした。
【居場所】なんてどこにもなくて周りの目ばっかり気にして生きていました。
そんな中で【ガラス工芸】に出逢えてからは夢を見つけてなんとか踏ん張れていました。
今思い返せば、不登校にならなかったのはガラスを学ぶ為には芸大に行かなければ!と、なんとか自分を保っていただけなんだと思います。
実は自分が指定難病だと知ったのも高校1年生でした。
初めて携帯を持って、心の奥底でずっとコンプレックスにしている病状をキーワード検索したら、指定難病というワードが目に飛び込んできました。
身体にある出来物は病気が要因で…なんて夢にも思ってなかったです。
それをキッカケに病院へ行き、診断もちゃんともらいました。
その時、ショックを受けつつも色んな事が腑に落ちてきて悟りを開いていた気もしています。
治らない病気…私将来どうなるのかなって未来を明るく考えられなくなったし、誰にも話せませんでした。
隠していたかったし"知られるのが怖かった"
念願の芸大に入学しても心のどこかでは『私は難病だしな』と一歩引いていたので、振り返ってみると全力で学生生活を楽しめてはいなかったと思います。
同級生から『これ何?』とプクを指摘された時にも『実は生まれた時から難病で…』って言ったら空気が重くなるし、言われた方もビックリしちゃうし反応に困るだろうなと思って『生まれつきなんだ』としか言えなかった。
"病気"とまでは言わなくても、『風邪引いたかも』くらいの軽い感じで生まれつきの病状の事だけを伝えると、態度変わる人が結構多かったので、病気だと知られたら、より距離を取られるって思って怖くて仕方なかった。
けれど本当は知って欲しかったし、機会はたくさんあったのに打ち明ける勇気がこれっぽっちもなかった。
当時、打ち明ける勇気があれば何か変わっていたのかな?
そんな私が病と向き合い、思い切って発信を始めるようになったのは"発信で夢は叶う"と今でも夢のようで奇跡の出来事を体験したからです。
23歳の時に中学3年生の頃からずっと応援している俳優の大東駿介さんにSNSと自分のガラス作品を通じて逢えたんです!!
『1番好きな芸能人の方に逢える』と言う信じられない奇跡が起こった事で、発信の力を知って『私はこんな病気を持っています』って発信してみたら世界は変わるかな…?たくさんの方に病を知って欲しいなと段々と考えるようになり、ブログを開設して自分の病状の写真と共に自分が生まれつき難病を抱えている事を発信しました。
病を含めて私を丸ごと受け入れてくれる人も見つけられるかもしれない!と淡い期待をしながら…
私はその時に初めてずっと目を逸らし続けていた【自分自身の病】と向き合わなければ!と変わる事が出来ました。
その出来事がなければきっと今でも私は"自分が難病を抱えていること"を隠し続けていたと思います。
発信を始めた当初、周りの反応は自分がしていた想像の斜め上でした。
けれど、耳を疑いたくなるような悲しい事も山程言われてしまいました。
振り返ればつらい事のが圧倒的に多いのですが、あの時に発信を始めてなかったら
"今こうして生きていなかった"かもしれません。
それはなぜか……
MPNST(別名:悪性末梢神経鞘腫瘍)を合併してしまっていたからです。
なんと希少がんの一種で、運良く早期発見の段階ではありました。
長時間に及ぶ大手術を受け、背骨にボルト7本入れる事になったけど、無事成功しました。
その後、背骨をくっつけて安定させる為にコルセット生活へ…
コルセットは24時間ずっとつけてました。
一瞬外せたのはシャワーの時くらいで寝る時も付けていました。
なんだかんだでその生活を1年半送っていました。
当時の療養生活は退屈なほど長かったし、退院後も放射線治療で3ヶ月ほど通院してました。
MPNSTは転移再発のリスクもとても高く、生命予後も悪いので早期発見に備え今も尚、定期的にMRIとCT検査で通院してます。
私はMPNSTを合併した事により、レックリングハウゼン病をもっと知ってもらいたい!認知度を上げていかないと!と意欲が高まり、より活発に発信していくようになりました。
レックリングハウゼン病は視覚から伝えるのが1番伝わりやすいだろう…と思って、一肌脱ぐ事にしました。
(※今は手術で腫瘍取ってるからこの時よりは綺麗になってます)
ブログで患部の一部を載せる勇気とは少し違う勇気を持って出展しました。
そして行動していった結果、歴史的快挙では?と思える事も起きました。
ようやく自分の活動が社会に認められ始めた気がしました。私はSNSやブログで発信していても、周りの人には誰にも直接打ち明けた事がなく、ずっと隠して生きてきたので、この時に私が"指定難病を抱えている"と初めて知った人達がほとんどだと思います。SNSとか見てて勝手に知ってくれてたらいいな…ってずっと思っていました。
ネットで『私は指定難病を抱えています』って発信する勇気と、特定の相手に『私実は指定難病抱えてるんだ』って直接伝える勇気って、同じようで全然違うんです。
本当に知って欲しい人にほど知られるのが怖くて隠していたかった。
けれど、ちゃんと伝えないと知って貰えないことに気付きました。
個人的に病を直接伝える事は今でも尚、怖いけれど受け入れてくれる人もいると知ったので、なんとか前を見る事が出来ています。
だからこそ今回、クラウドファンディングに挑戦して書籍出版する事にしました。
発信力と影響力を強め、今までSNSだけでは届けられていなかった多くの人達にも想いを届け、私の活動を知って病を知って欲しいです!
10/24にkindleから電子書籍とペーパーバックを出版します。
約100ページになる見込みです。(構成により変更の可能性があります)
一般的にイメージする本にカバーや帯が付いていない状態がイメージしやすいと思います。
(例)大学の赤本やコンビニコミック
けれど、私はカバーも付けたいです!このプロジェクトの目標金額30万円を達成し、50万円超えたらカバーを作成し、カバー付きで贈ります!通常のKindleのペーパーバック購入ではカバーが付かないので、達成したらここでしか手に入らない本を作ることが出来ます!
応援ありがとうございます!頂いた資金は大切に使わせて頂きます。
ここまで読んで私の想いを受け取って頂き有難うございます!
発信活動を始めてから失ったモノもたくさんありました。
距離が出来てしまった人達、離れていった人達も大勢います。
諦めてきた事は沢山あるし、諦めるしか選択肢がなかった事も沢山ある。
『どうしてこれ以上傷付かないといけないの?』
と涙を堪えて歯を食いしばって過ごした日も多くあります。
私は難病で生まれて来なければ、また違った人生を送れていたのかな?
と正解のない問いに考え込んでしまう事もあります。
けれど "難病で生まれてきたからこそ"得た気付きや出逢えた人達がいるのも確かです。病気は大切な事を私に教えてくれた
私にとって"ガラス工芸と大東駿介さんとの出逢い"
これは暗闇にいた私の心を照らしてくれた光です。
私も誰かの心や人生を照らす光になりたい!と強く思っています。生命予後が悪いと言われている自分の限られた人生で届けられる事を最大限したいし、発信で夢は叶うと教えてくれた大東駿介さんからのバトンを繋いでいきたい!この書籍が多くの人の手と心に届き"ありのままの自分"で自分の人生を切り拓いていく人が増えたら嬉しいです。
変わりたい!と思っても勇気が必要なのでキッカケがなければ中々最初の一歩は踏み出せません。
私も高層ビルから飛び降りる位の覚悟で始めました。
だからこそ、指定難病で生まれたけど幸せって胸を張って言えるような人生を送りたいし、私の活動を知った人達の"一歩踏み出す勇気のキッカケ"になりたい!
そう思いながら日々を生きています。
このプロジェクト成功に向けて、応援よろしくお願い致します!
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
目標金額に満たない場合も、計画を実行し、
リターンをお届けします。
※大東駿介さまの所属事務所の承諾を得て実名を出させて頂いています。
●TV東京『生きるを伝える』2022年1月8日 放送アーカイブ
●街録ch 現在19万再生突破!
●《やる気スイッチ》のCMでお馴染み!やる気ラボインタビュー記事
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