昭和は国民が日本車の性能に熱狂! ニッポンを元気にさせた偉大な国産車5選

2023.01.12 11:40
この記事をまとめると
■昭和を盛り上げた日本車を紹介
■世界的映画にも日本車が使われたり、レースの世界でも大活躍していた
■若者のデートにクルマが必須という時代も訪れ、デートカーが大流行した
日本車の活躍で昭和は沸きまくった
  2020年代の今からは信じられないかもしれないが、昭和の青春はクルマとともにあった。若者だけなく、社会の中核となっている世代においても日本車の進化や評価を、日本の発展に重ね合わせて認識している人たちが多かったのが、昭和という時代だったといえるかもしれない。そんな昭和時代に日本国民を元気にしてくれたモデル5選を紹介しよう。
  戦後、日本の復興がわかりやすいカタチとなったのが1964年に開催された東京オリンピックだろう。合わせて高速道路の建設も進むなど、モータリゼーションの発展にも寄与した一大イベントだった。そんな1964年、すなわち昭和39年に生まれた伝説が「スカイラインがポルシェを抜いた」というものだ。現実的には、レース展開の中で一度だけスカイラインがポルシェ904の前を走ったというだけで、レース自体はポルシェが勝利したというのはよく知られているが、それでも歴史ある欧州のスポーツカーを、日本のファミリーカーであるスカイラインが従えるというシーンが生んだインパクトは大きかった。
  この時期のスカイラインは、のちに日産自動車に吸収されることになるプリンスが作っていた。日本グランプリに参戦したのは、1.5リッターリッター4気筒エンジンだったスタンダードモデルのノーズを無理やり伸ばして2リッター6気筒エンジンを積んだ“スカイラインGT”だった。その後、日産スカイラインとなってから誕生した初代スカイラインGT-R(1969年:昭和44年)のルーツといえるモデルであった。
  同時代に、世界に誇れる日本車として認識されたのがトヨタ2000GTだろう。1967年(昭和42年)にローンチされた2000GTは、そのプロモーションとして世界的な大ヒット映画シリーズに登場することになる。それが、ご存じジェームス・ボンドが主人公となる「007は二度死ぬ」だった。
  ご存じなように、劇中車として登場した2000GTは特注のオープン仕様で、ワイヤーホイールを履いているなど量産車と異なる部分はある。さらに、劇中ではジェームス・ボンドが運転したわけではなく、あくまで助手席に座っただけなので、厳密にはボンドカーとはいえないかもしれない。それでも、日本車がボンドカーのようになったという認識は日本を元気にしてくれた。
  映画の舞台が日本だったとはいえ、世界に配給される大人気アクション映画に、日本車が登場するというのは、この当時の日本人に強い希望を与えてくれたことは間違いない。
日本車の活躍にみんなが熱狂!
  そして、本当に日本車が世界で戦える実力を身につけたと感じさせたのが、1971年(昭和46年)のサファリラリー。アフリカ・ケニアで競われる過酷なラリーは、「世界三大ラリー」のひとつに数えられる、それ自体で独立した存在感を放つ伝統的なイベントだ。そんなサファリラリーをブランディングの一環として重視していたのが1960年代の日産で、日本でヒットした映画「栄光への5000キロ(石原裕次郎・主演)」は、昭和40年代にサファリラリーでクラス優勝を果たした日産とコラボレーションしたものだった。
  その成果として総合優勝を果たしたのが1971年に参戦したフェアレディ240Z(HS30型)で、北米マーケットで売れている国産スポーツカーが、パフォーマンス面でも世界をリードするものであることが証明されたと日本人の自信につながった。なお、サファリラリーにおける日産の総合優勝は、前年1970年にブルーバード1600SSSで成し遂げているが、インパクトが大きかったのは1973年にも総合優勝を果たしたフェアレディZのほうだろう。
  昭和が終わるのは1989年(昭和64年)だが、昭和末期の頃に生まれた伝説の軽ホットハッチが、スズキ・アルトワークスだ。そのデビューは1987年(昭和62年)。当時、550ccの排気量という規格で作られる軽自動車において実用一辺倒のエンジンが主流だったが、アルト・シリーズに追加されたワークスのエンジンは、DOHC(当時はツインカムと表現するのが主流)ヘッドにインタークーラーターボを組み合わせるという究極的なエンジンとなっていた。その最高出力は64馬力、まさに初代アルトワークスは2020年代まで続く軽自動車の自主規制のルーツといえる。
  外観にしても2トーン仕様で、派手な造形の前後バンパー、目にも鮮やかなピンクを配したキャビン、レッド地のメーターパネルなど、これでもか! とばかりにスポーツ性をアピール。軽自動車を趣味の乗りものとして再認識させるには十分以上のインパクトがあり、昭和の若者が軽チューンに目覚めるきっかけともなった。
  とはいえ、昭和の終わりといえば日本経済のピークといえるバブル期。若者、とくに男性はカッコいいクルマに乗っていることが、モテの条件という時代でもあった。そうしたニーズに特化したといえるモデルがホンダ・プレリュードで、「デートカー」というカテゴリーを生んだほどだ。
  そうしたデートカーのニューカマーとして、日産が1988年(昭和63年)に投入したのがシルビア(S13型)だ。ヘッドライトとつながるアクリルのグリル、ヘッドレスト一体のなめらかな形状のシートなどは、まさにデートカーとしてのスタイリッシュさを狙ったものだった。
  ただし、シルビアが評価されたのはデートカーとしてのスタイリングだけではない。前述したプレリュードがFFだったのに対して、シルビアは古典的なFRプラットフォームに基づいていたことで、スポーツドライビングにおける素性の良さを評価されることになる。初期型が積んだ1.8リッター4気筒ターボの最高出力は175馬力と、いまから見ればけっしてパワフルとはいえなかったが、チューニングすることのハードルが下がっていくなかで、適度にパワフルで扱いやすいサイズのスポーツクーペとしての地位を確立していく。
  そして、このシルビアが昭和の最後に生まれたことが、後のドリフトムーブメントにつながっていった。

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