前向きに挑戦し続けるための合言葉「Be Safe, Have Fun, Go Fast」

2019.06.07 22:30
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。6月7日の放送は、パラトライアスロン選手の谷真海さんが登場。大学時代に骨肉腫で右脚を切断。義足アスリートとして走り幅跳びで3大会連続パラリンピックに出場。結婚、出産を機に、過酷な競技と言われるトライアスロンに転向。現在は育児をしながら練習に励み、東京パラリンピック出場を目指す、谷さんの思いに迫った。
■東京パラリンピック出場への思い
谷さんは大学2年生のときに骨肉腫を発症し、翌年、右足膝下を切断。義足生活が始まった。「闘病生活の10ヵ月間はゴールが見えず、本当に未来があるのか不安な気持ちで過ごしていました。そんな中、母からもらった“乗り越えられない試練は与えられない”という言葉を、日々自分に言い聞かせ、信じることで救われました」と振り返る。
初めて出場した時、自分よりも大きな障害のある人が、それを感じさせず堂々としていたことに驚いたという。「人生をエンジョイしている姿にすごく力をもらいました。そして、自分自身にないものを嘆いてもしょうがないから、自分にあるものを最大限出しきって生きよう。私ももっと頑張れると感じました。そういう力をくれるのが、パラスポーツだと思います」。
退院後、大学に復学したが「この先の人生をどうするか」という悩みは当然あった。そんな中、「スポーツが一番“自分らしく”いられるもの」と気付き、走り幅跳びを選んだ。「速さを競う種目より、自分の記録を1cm、2cmと伸ばして成長を実感できる種目だったので、義足という第二の人生を歩むスタートに相応しいと思い、挑戦しました」と挑戦した理由を語る。そして谷さんは、走り幅跳びの選手として、2004年のアテネ、2008年の北京、2012年のロンドンと、3大会連続でパラリンピック出場を果たす。
2014年に結婚し、翌年に男児を出産。その頃から、瞬発力が必要な競技は40〜50歳代まで続けられないと感じ、トライアスロンに転向。初出場した2017年ITU世界パラトライアスロン選手権では見事優勝を果たし、東京パラリンピック出場への期待が高まった。しかし、谷さんがエントリーしていた運動機能障害クラスが、東京大会では除外されることが決定。谷さんは諦めず、1つ障害の軽いクラスで出場を目指すことになったが、4月に開催された大会では結果を残せなかった。それでも「本当にたくさんの方が応援に来てくれて、素晴らしい大会を作ってくださった」と振り返り、「東京パラリンピックはホーム開催なので、さらにたくさんの声援があり、それを自分の力に変えてレースに臨める。これからも、ブレずに東京パラリンピック出場を目標にしたい」と力強く語った。
■原動力は“自分を信じる”こと
練習、遠征、合宿。アスリートとして多忙な日々を過ごす谷さんは、4歳の息子の母親でもある。現在、たくさん運動をさせる方針の幼稚園に通わせているそうで、「スポーツを通じて集中力と体力を鍛えたり、ルールや協調性を育んだり、人間形成において大切な要素を数多く学び、感じて欲しい」と語る。また、日課にしている就寝前の絵本読み聞かせは、谷さんにとって心が穏やかになる時間だ。「親子は同調するので、私が怒れば息子も機嫌が悪くなるし、笑っているとニコニコする。だから母として、いつも笑っていたいです」。
谷さんがトライアスロンを始める時に約束し、決めた“家族の合言葉”は「Be Safe Have Fun Go Fast」。意味は“安全第一、やるからには楽しく、1秒でも速く”。大ケガをするリスクもありながら、常に前向きに挑戦し続けるために、家族で共有している大切な価値観だ。それは、谷さんが美しく輝くための原動力が“自分を信じる”ことであり、家族が、そんな谷さんのことを信じているからこそ、培われてきたものだと言える。「自分の生きていく道を探しながら、競技に打ち込んだり、仕事に打ち込んだり。不安になっても、必ず光が見えてくる瞬間があったから、自分の進む道を信じることができました」と語る谷さん。これからも、その姿を見て、多くの人が勇気づけられることだろう。
次回6月14日の放送は、女子プロゴルフ選手の渡邉彩香さんが登場する。