俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、毎回1人のゲストの「美学」=信念、 強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。5月3日の放送は、元シンクロナイズドスイミング(現在の名称は「アーティスティックスイミング」)選手の奥野史子さんが登場。
1992年のバルセロナ五輪、シンクロのソロとデュエットで銅メダル獲得し、引退後はスポーツコメンテーターに転身したのも束の間、日本人初の「シルク・ドゥ・ソレイユ」パフォーマーとして活躍。現在は3人の子育てと仕事を両立する傍ら、新たな目標に向け始動する奥野さんの知られざる素顔に迫った。
■「人と同じことをやっても大成できない」母親が教えてくれた人生の教訓
奥野さんは、新しいものや美しいもの、芸術が好きな母親の影響で、小学生の時にシンクロを始めた。「母は“人と同じことをやっても大成できない。違うことをどんどんやっていきなさい”という人だった」。そのため、周囲とは異なる選択をしても、常に応援してくれた。奥野さんは「私が周囲から好奇の目で見られても恥ずかしいと思わなかったのは母のお陰」と感謝する。
「次の人生を始めるならできるだけ早い方が良い」と考えていた奥野さんは、1995年1月に引退、スポーツコメンテーターに転身。その後、1998年の夏期休暇中にラスベガスを訪問し、現地で鑑賞したシルク・ドゥ・ソレイユの水中ショー『O(オー)』の公演に感銘を受けた。「次に来る時は、私は向こう側の人になる!」と決意して翌年トライアウトに参加。難関とされるオーディションに見事合格し、日本人初のパフォーマーデビューを果たした。現地では物珍しがられたが、「人がやってないこと、違うことに自信を持つことを認め、楽しんで取り組めた」と話す。
そんな奥野さんが現在、目標に掲げているのは、ワールドマスターズゲームズ(4年ごとに開催される30歳以上のスポーツ愛好者であれば誰もが参加できる、生涯スポーツの国際総合競技大会)に、アーティスティックスイミングで出場することだ。
■「ぶれない人」に育てられた奥野さんのモットーは「ぶれない心」
3人の子育てと仕事を両立させている奥野さんだが、これまで何度も板挟みになることがあったという。「子どもが熱を出す。でも、仕事は絶対に行かないといけない。休めない。何度もあったが、その度に色々な人にヘルプを求めて、何とかなってきた」と振り返る。「多くの人が“人に迷惑をかけてはいけない”と思っているが、もっと甘えれば良い。迷惑をかけた分、違うことで何かを返そうとすれば、それでプラスマイナスゼロ、もしくはプラスマイナスプラスになるかもしれない」と持論を述べた。
奥野さんが「宇宙レベルで強い」と表現し、“コスモ”と親しみを込めて呼ぶ母親は、奥野さんにとって憧れの人であり、理想の女性。「井村先生(シンクロ時代のコーチ)もぶれないけれど、コスモもぶれない。私もぶれない女性でありたい」。
他の人とは違う道を躊躇なく進み、新しい挑戦を続け、子育てと仕事の両立も自分なりの哲学で乗り越えていく。母親やコーチに大きな影響を受けた奥野さんのモットーは、「ぶれない心」だ。「人間は迷うことがたくさんあるが、あちこち彷徨っていては目的地に辿り着けない。だから私は、ぶれない心で突き進みたい」と力強く語った。
次回、5月10日の放送は、20歳にして女子バレーボール界の未来を担うエース候補、黒後愛さんが登場する。