ジェーン・スーが語る「宇多田ヒカル、 最新ツアー・レポート」
[PR] メトロポリターナ
2019.1.10 10:00
おかえりヒッキー。 幕開けは『あなた』から
 2018年12月8日、幕張メッセ国際展示場はベストなタイミングで今年の運を使う人たちで溢れかえっていた。私もそのひとり。12年ぶりの全国ツアーに参加できるんだもの、昨日までどんなにツイていなかったとしても、3時間後には必ず「今年はいい年だった」と言える。
 会場はやや薄暗く、開演までのBGMはなし。ヒソヒソとザワザワの中間くらいの話し声だけが響く。まだ信じられない、どんな顔で迎えればいいかわからない、けれど必ず彼女を受け止めると心に決めた人々の顔にはわずかな緊張が滲む。落ち着き払っているようで、耳を澄ませば胸の高鳴りが聞こえてくるようだった。
 開演予定時刻をやや過ぎた19時8分。ステージのど真ん中がせり上がり、オレンジ色の光を浴びた宇多田ヒカルが現れた。背中が大きく開いたホルターネックの衣装はロングブラックドレス。かと思いきや、ワイドパンツのオールインワン! サイドを大胆に刈り上げたボブも似合っている。
 ステージに絶え間ない拍手の波が打ち寄せ、すっと引いた間を縫って力強い声が響く。1曲目は最新アルバムから『あなた』。

 おかえりヒッキー。みんな待ってたよ。

M C で は 、会 場 を 見 渡 し て「 全 校 集 会 み た い 」と 、 興奮する姿も
 1998年末、もしくは1999年の始め。ガラ空きの丸ノ内線で、私は恋人と別れたばかりの友達を慰めていた。
 「時間が経てばわかるってさ」。メソメソする友達の頭に、私はヘッドフォンをはめる。私の声は聞こえていなかったかもれない。けれど、デビューしたての宇多田ヒカルの言葉は届いていたはずだ。別れの意味を理解するまで、友達はずっと泣いていたから。
 慰めるフリをしながら「なんかすごい人が出てきちゃったんだよね」なんて、私は不謹慎にも興奮していた。これが宇多田ヒカルについての最初の記憶。あなたと宇多田ヒカルの馴れ初めは? 今日までいろんなことがあったと思う。時が経たなければわからなかったことが、たくさん。
 確かに、調子に乗っていた時もあったかも。2曲目『道』の歌詞を頭のなかでなぞりながら耽っていると、耳馴染みのある太い四つ打ちのリズムに甘酸っぱい気持ちが込み上げてきた。待って、もう『traveling』!? 「ヤッホー!」と手を挙げる宇多田にファンは歓声で応えた。そして瞬く間もなく『COLORS』へとなだれ込む。序盤から感情が引きずり回されっぱなしだ。
 MCに続き『Prisoner Of Love』、そして『Can You Keep A Secret?』フレーバーをブレンドした『Kiss & Cry』。『SAKURAドロップス』の終盤では宇多田がシンセサイザーを弾く姿も披露された。

 「いま、テレビで母の番組がやってるみたいで」。2度目のMCは予想外の言葉で始まった。「みんなも観たら感想教えてね」と続ける彼女の気遣いに、私は安堵した。もう5年だけれど、まだ5年でもある。
 次のパートは『光』から。不安と確信が真正面からぶつかり合う歌声はなぜこんなにも切なく、力強いのだろう。彼女はゆるやかに日常を取り戻しているのかもしれない。美味しいものを味わい、鼻歌混じりに食器を洗う日々を。そうだ、宇多田には「食べる」ことで平素を取り戻す歌がもう一曲あった気がする。なんだっけ?

 続いて『ともだち』。アメジストを顕微鏡で覗いたような映像がスクリーンいっぱいに映し出され、ダンサーがステージに現れた。白いオーガンジーの布をまとい、影法師の如く宇多田のあとをついて舞う。振付師/ダンサーの高瀬譜希子だ。最新作『初恋』収録の『Forevermore』のミュージックビデオで宇多田が披露した本格的なコンテンポラリーダンスは、高瀬がコリオグラフしたもの。それ以来の付き合いが続いているらしい。
 高瀬はステージに残り、XZT、Suboi、EKと3名のアジアン・ラッパーをフィーチャーしたリミックスが発表されたばかりの『Too Proud』でも舞った。控えめにリンクする二人の美しいことと言ったら! しかもラップパートは宇多田本人。ライブでしか見られない濃厚な瞬間が絶え間なく押し寄せ、溺れそうになる。すると、絶妙なタイミングで宇多田がステージから姿を消した。
進化し続ける20年と、 塗りかえられる "初恋"
 なるほど。噂のアレはコレか。スクリーンに映るは芸人の又吉直樹と宇多田ヒカルの対談映像、そして謎展開。予想外と予想通りの反復に笑いが止まらない。ツアータイトルが示す通り、絶望とユーモアはコインの裏と表なのだ。
 映像が終わりライブ後半。ここで宇多田は奇襲をかけた! まさかあんなところから出てくるとはね。ブラック&ホワイトのアシンメトリーなドレスに着替えた彼女は手綱を緩めず、『誓い』『真夏の通り雨』『花束を君に』と続けざまに歌う。まるで祈りを捧げるように。天井から降り注ぐライトが宇多田の周りに天使の梯子を描いた。
 正面のステージへ戻り『Forevermore』。揺るぎない愛を自身の内側に獲得したことが宇多田の全身から伝わってくる。彼女はデビュー当時を思い出しながら語った。「まさか20年後にこうしていられるとは思わなかった。ありがとう。私ひとりでここまで来たわけじゃない」。ここにいる誰もがそうだ。節目節目で宇多田の歌に支えられ、みんなこうして集まることができた。
ライブ終盤、感謝の気持ちを言葉にしながら涙ぐむ宇多田ヒカル
 続く『First Love』『初恋』はハンドマイクをスタンドマイクに変えて。タイトルは同じだが、指し示すものはまるで異なる。
 初恋がのちに塗り替えられることなど、16歳の少女には知る由もなかった。己の著しい進化を雄弁に語る2曲を続けて届けてくれるなんて、彼女はとても気前がいい。
 本編の最後を飾ったのは最新アルバムから『Play A Love Song』。ライブだとますますゴスペルソングにしか聴こえない。そうだ、『光』と同様、日常を取り戻すために「食べる」だけでなく、笑って寝ることまで勧めてくる曲はこれだった。やや内省に傾いていた会場にも明るい手拍子が戻る。歌詞を口ずさむ人々の顔にはもう、緊張の陰はない。心と体の主客が逆転しそうになると、ベーシックな人の営みに立ち戻るようそっと促してくれる、宇多田ヒカルはそういうアーティストだ。

幕切れにふさわしい一曲で、 旧友と再会したような安心感
 アンコールに応え、ステージに戻ってきた宇多田が紹介したバンドメンバーはジョディ・ミリナー(B)、アール・ハーヴィン(Dr)、ベン・パーカー(G)、ヴィンセント・タウレル(Piano・Key)、ヘンリー・バウアーズ=ブロードベント(Key・G・Percussion)。そしてストリングスは四家卯大ストリングス。彼らと彼女たちのタイトな演奏のおかげで集中力が切れることは一度もなかった。さあ、最後になにを聴かせてもらえるのだろう。
 果たして、アンコール1曲目は『俺の彼女』だった。前作『Fantôme』で異彩を放つ怪曲。なぜ「怪」か? それを言語化するのは評論家に任せよう。ライブで歌われる最新アルバム以外の曲には意味(≒メッセージ、または気分)があると聞いたことがある。『俺の彼女』で宇多田が伝えたかったことは? 心の水面に一滴だけ墨汁が垂らされた気分。
 2曲目は『Automatic』。会場は今日一番の歓声に包まれ、いまにも破裂しそうだ。リラックスした宇多田のムードに乗せられ、ファンも楽し気に体を揺らす。私のテンションも否応なしに上がるが、前曲のせいで0.01%の不安が消えない。いや、これは心が囚われた合図だろうか。
 正真正銘のラストは『Goodbye Happiness』。涼し気なイントロで熱気のこもった会場に一陣の風が抜きぬけた。無邪気なあの頃には戻れない。でも、それはそれでかまわない。それぞれの20年が宇多田にそっと肯定されたように感じた。
 ファンにとって宇多田ヒカルは旧友だ。互いに忙しく時間が作れなかった友は、目の前の椅子に深く座り「さ、今日は話を聞くよ。私の話も聞いて」と向き合うように歌ってくれた。宇多田はステージからお辞儀を繰り返し、約2時間半に渡るライブは彼女の柔らかい笑顔とともに幕を閉じた。バイバイ、ヒッキー。またね。1万4千人が彼女に手を振る。


 あれから何日経っても、宇多田ヒカルが頭から離れない。イヤフォンを耳に突っ込み彼女の歌を聴く。選曲する指先は、やがて『俺の彼女』をタップする。思い当たる節などないが、なにかを見透かされたような気がしてならない。
 3か月振りに投稿された宇多田のインスタグラムの写真は、メタリックシルバーに塗られた足の爪だった。「ツアーの個人的ハイライト」らしい。足先を見せる場面なんてなかったのに。私は彼女を少しだけ理解できた気になっていた自分を恥じた。
 彼女が本当に旧友だったら「考えすぎだよ」と笑うだろう。しかし、深読みを禁じ得ない多層的な厚みこそが、宇多田ヒカル作品の尽きぬ魅力なのかもしれない。
 終わったばかりなのに、私はもう彼女のライブが観たくてたまらない。
ジェーン・スー
東 京 生 ま れ 東 京 育 ち の 日 本 人 。ラ ジ オ パ ー ソ ナ リ テ ィ 、 コ ラ ム ニ ス ト 、 作 詞 家 。 T B S ラ ジ オ「 ジ ェーン・スー 生活は踊る(」月〜金 11:00〜)で は メ イ ン パ ー ソ ナ リ テ ィ を 務 め る ほ か 、『 A E R A 』 をはじめとした多くの媒体でコラムも連載する
[STAFF]photo:Teppei Kishida

“Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018”
セットリスト
※12月9日(日)公演セットリスト

M1 あなた
M2 道
M3 traveling
M4 COLORS
M5 Prisoner Of Love
M6 Kiss & Cry
M7 SAKURAドロップス
M8 光
M9 ともだち
M10 Too Proud
M11 誓い
M12 真夏の通り雨
M13 花束を君に
M14 Forevermore
M15 First Love
M16 初恋
M17 Play A Love Song
EN1 俺の彼女
EN2 Automatic
EN3 Goodbye Happiness

12年ぶりの宇多田ヒカル最新ツアーをBSスカパー!で放送
スカパー! では、1月より宇多田ヒカルの 最新ツアーから過去の名ライブまでを続々放送!
放送スケジュールはこちら!
<1月>
1月27日(日) 21:00~ BSスカパー! 宇多田ヒカル「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」
<2月>
2月3日(日) BSスカパー!
「Luv Live」

2月10日(日) BSスカパー!
「BOHEMIAN SUMMER 2000」

2月17日(日) BSスカパー!
「Utada Hikaru in BudoKan 2004 ヒカルの5」

2月24日(日) BSスカパー!
「UTADA UNITED 2006」
<3月>
3月2日(土) BSスカパー!
「WILD LIFE」

M-ON! LIVE 宇多田ヒカル
「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」
3月10日(日)20:00~
「Hikaru Utada Laughterin the Dark Tour 2018」の 全曲放送と裏側ドキュメンタリー
ニューシングルも発売!
22ndシングル『Face My Fears』
2019年1月18日(金)発売
通常盤(初回仕様) 1400円