今、なぜチャーチルなのか― 時代に求められるリーダー像がここにある。

2018.03.26 10:00
歴史を変える決断。その裏に秘められた知られざる苦悩
第二次世界大戦中に首相に就任、ナチス・ドイツの脅威が迫るイギリスを勝利に導いた〝伝説のリーダー〟ウィンストン・チャーチル。3月30日(金)公開の『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』は、首相就任からダンケルクの戦いまでの27日間のチャーチルの素顔を、実話をもとに描いた歴史エンターテインメント作品です。21世紀の今、なぜチャーチルなのか―。その理由を政治学者・姜尚中さんにお聞きしました。
従来のイメージと異なる 新しいチャーチル像
 正直、僕はこれまでチャーチルが嫌いだったんですよ(笑)。皮肉屋で、自信家で、演説が巧みな老練な政治家。保守の親玉みたいなイメージを持っていたから。ところが、この映画ではそんな従来のイメージを壊したかったのか、新しいチャーチル像が描かれていました。チャーチル嫌いをチャーチル好きにさせるくらい、コペルニクス的転換のある作品だと思います。
 首相就任時の彼はまさに四面楚歌状態。それでも選ばれたのは非常時だったからです。戦争がなかったら、チャーチルはチャーチルではなかったでしょう。首相になるとすぐにチャーチルは究極の選択を迫られます。和平条約を結びヒトラーに屈するか、多くの死者が出ることを承知の上で戦うか―。結局、徹底抗戦という選択をするわけですが、実はその決断の裏で彼自身が悩みの海に溺れかかっていたことをこの映画は教えてくれました。
 歴史を変えるほどの決断をするまでの日々の中、チャーチルの心は大きく揺れ動きます。長年連れ添った妻や新人秘書らとの会話からは、彼の子どもっぽい面やマチュアな面など多面性が見えてくる。そんな百変化するチャーチルをゲイリー・オールドマンは見事に演じています。目の動きやシワの動かし方、スコッチグラスや葉巻を持つ仕草までチャーチルの習慣を研究して演じたのでしょう。それをサポートしたのが辻一弘さんの特殊メイキャップです。アカデミー賞を受賞された二人の演技と技が融合したからこそ実現した、新しいチャーチル像だと思います。
人の声を聞く「耳」と 「言葉」を持つリーダー
映画を観る前、僕の中に「なぜ、今チャーチルなのか?」という疑問がありました。考えるにそれは無意識のうちに多くの人が、今の政治の指導者に対してある種の失望感、落胆を持っているからではないかと思います。今回の映画は、人間・チャーチルのこれまで知られてこなかった面に光を当てています。そこに「我々が求めるリーダーとはどういう存在なのか?」という問いに対する答えが、期せずして造形化されているような気がします。
 歴史的な決断をするために悩みに悩んだチャーチルは、最後に民衆の声を聞きに町へ出ます。この映画では独断専行ではなく、人の声に耳を傾けられる度量を持っている人物として描かれています。そして何よりチャーチルは言葉を持っている政治家でした。後にノーベル文学賞を受賞するほどですから。ラスト近くの演説シーンにはやはり引き込まれました。誰とは言いませんが(笑)、やっぱり政治家は言葉を持っていなければダメだと思いますね。
 この映画の原題は『DARKEST HOUR』。暗い時間、困難な時期をくぐり抜けたのはチャーチルというより国民であり、そのシンボルとしてチャーチルがいたのではないでしょうか。言葉を大切にした脚本、役者の方たちの見事な演技、陰影のある映像……。戦争や政治、指導者を描いてはいますが、誰もが勇気をもらえるエンターテインメント映画だと思います。 (談)
STORY & INTRODUCTION
1940年、ナチス・ドイツの勢力が拡大しイギリスに侵略の脅威が迫る中、首相に就任したのは“政界一の嫌われ者”ウィンストン・チャーチルだった。ヒトラーに屈するのか、あるいは戦うのか―。ダンケルクの戦いの裏で歴史的決断を迫られた孤高の政治家の知られざる日々を描いた歴史エンターテインメント。姿形や声、仕草までチャーチルになりきり本年度アカデミー賞主演男優賞を獲得したゲイリー・オールドマンの名演と、同じくアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を獲得した辻一弘氏の特殊メイクによる芸術的“変身”ぶりは必見。
東京大学名誉教授
熊本県立劇場館長兼理事長
姜尚中 さん
(カン・サンジュン)
PROFILE
1950年熊本県生まれ。東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授、聖学院大学学長などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビや新聞、雑誌などでも幅広く活躍。『オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判』『悩む力』など著書多数。最新刊は『逆境からの仕事学』。