ホテルがつなぐ、日本遺産への旅 日本茶800年の歴史散歩 ①

2026.09.04 12:00
日本遺産とは?その地域に受け継がれる歴史や文化を物語として紡ぎ、ストーリーとして多くの人に伝える、文化庁が認定する取り組みです。伝統行事や風景、建築物など、地域に根ざした多様な魅力が、新たな発見や感動を生み出しています(2026年5月現在・全国104件のストーリーを認定)。

※東急ホテルズ&リゾーツは、文化庁と「日本遺産オフィシャルパートナーシップ」を締結しています。
茶のはじまりと、その広がり山の斜面に沿って、茶畑の畝(うね)が天空に伸びていくように幾重にも重なる。京都の南、山城(やましろ)の地。宇治は、800年もの長きにわたって茶の文化を育んできた場所だ。抹茶、煎茶、玉露――日本茶は、この地を起点に生まれ、育まれてきた。はじまりは、鎌倉時代にさかのぼる。日本における臨済宗の宗祖栄西(えいさい)上人が中国からもたらした茶の栽培法。それを華厳宗の明恵(みょうえ)上人が宇治に広め、さらにその流れは、海住山寺の慈心(じしん)上人へと伝わったとされる。やがて宇治の茶は、時代の流れのなかでその価値を確かなものとしていく。室町時代。足利将軍家の庇護のもと、宇治茶は日本一の茶としての評価を確立した。将軍家が管理した「七茗園」では、選び抜かれた茶葉が育てられ、その品質は洗練されていく。安土桃山時代には、直射日光を遮ることで渋みを抑え、旨味を引き出す「覆下(おおいした)栽培」が始まり、鮮やかな濃緑色の「抹茶」を誕生させた。宇治の茶農家が、千利休など茶人の要望に応えたものだ。求められたのは、味の良さだけではない。茶そのものが、時代の美意識と結びつき、表現するための価値として扱われるようになっていく。海住山寺 和束の茶。はじまりはこの寺から
和束町での茶の生産は、この寺にいた高僧 ・ 慈心上人が、明恵上人から茶の種子を受け取り、栽培したのがはじまりとされている。国宝の五重塔をはじめ文化財多数。(木津川市)覆下栽培/本簀栽培 光を遮り、旨味を引き出す
茶園に覆いをかけ、直射日光を避ける覆下栽培は、茶の渋みを抑え、旨味を引き出す。本簀 (ほんず) 栽培は、ヨシズと藁で遮光する昔ながらの方法。(写真は宇治市)Travel Navigator
京都東急ホテル コンシェルジュ
ヴィタラナ アミンディ ウマンガ

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