この記事をまとめると
■フォードが「カプリ」をEVのファストバックSUVとして復活させた
■フォード・カプリがどんな名車であったかを振り返る
■旧式なアメ車から大活躍のスポーツカーを経て気軽なバルケッタとして人気を博していた
マスタングで味をしめたフォードが今度はカプリを電動SUV化
フォード・カプリの名前が再び復活しました。先ごろ開催されたグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの会場でデモランを見せた新型は、ティザーどおりのEVでした。しかも、オールドファンならビックリの4ドアのファストバックSUVというモデルだったのです。
どうやら、フォードはマスタングの復活で味わったウハウハを夢見たようで、今度はカプリという名に手を出した模様。レトロなネーミングながら、最新のハード(といってもハードはフォルクスワーゲンのID.4)を秘め、しかもSUVに仕立てるとはいかにもマーケティング戦略に長けた企業という感じ。
とはいえ、カプリの名にざわつく方は決して少なくないでしょう。なにしろ、1969年のデビューからわりと華麗&めちゃくちゃな生涯を送ったわけで、レースシーンでの活躍などを思い起こせば胸アツにもなろうというもの。ならば、カプリという名車たちを振り返ってみるのも悪くないでしょう。
1960年代の後半、英国フォードは新型スポーツモデルを意欲的に開発していました。当時の景気が絶好調だったことに加え、国内の自動車メーカーがこぞってスポーツカーにシフトしていたことも影響していたはず。ですが、初代カプリはフォード・コンサル・クラシックといういささか時代遅れなモデルをコスメティックチューンした「フォード・コンサル・カプリ」としてデビュー。テールフィンやらメッキモールなど、古き良きアメリカ車といったルックスですから、いくら景気がいいイギリスといえども鳴かず飛ばず。
で、アメリカで大ヒット中だったマスタングのイギリス版にしたらどうかと路線変更。同じアイディアをドイツ・フォードも温めていたようで、英独共同開発がスタートしたのでした。
そして、1969年、ロングノーズ、ショートデッキ、セミファストバックと、まんまマスタングのコンセプトをいただいた二代目カプリが登場。もっとも、馬蹄型のリヤクオーターウインドウや、切り落としたようなリヤフェンダーのカーブはカプリ独自のもので、ファイナルモデルのマークIIIまで貫きとおしたモチーフとなっています。
イギリスとドイツは開発こそ足並みを揃えましたが、搭載するエンジンは国ごとに別々となりました。税制や保険の関係によるのかもしれませんが、イギリスはコルチナ等に用いられた直列4気筒の「ケントユニット」で1300あるいは1600cc、ドイツはタウヌスから1300/1500/1700ccV4エンジンを流用。そして、1969年末にはイギリスで3リッターV6が、ドイツでは2.3リッターV6エンジン搭載モデルがこぞって発売され、カプリはそつなくスポーツクーペとしてのスタートを切ることができたのでした。
レースでも活躍していたカプリがロードスターをあと追い
また、当時のマーケティング手法としては一般的だったレース活動も、カプリは存分に活用しました。イギリス・フォードといえばSVO(Special Vehicle Operation)が超有名ですが、カプリは主にドイツ・フォードのワークスファクトリー(フォード・モータースポーツ・ケルンGMBH)がチューン&エントリー。グループ2仕様に仕立てられ、1971年にはスパ・フランコルシャンの24時間レースで総合優勝までかっさらっています。
なお、同年は10レース中8レースで表彰台に上がるという破竹の勢いでしたから、この当時を知るファンにとって、「EVの4ドアSUV」は確かに納得いかないかもしれません(笑)。
その甲斐あってか、1970年代初頭には日本にも正式輸入がなされ、イギリス版の1300GTや1600GTといったモデルが上陸。他の英国車を抑えて、カプリは最多販売モデルになったこともあったといいますから、レース・マーケティングは大成功だったというべきでしょう。
結局、二代目カプリはマークIIIまでモデルチェンジを重ねたものの、ほとんどマイナーチェンジに等しいもので、人気があったからなのか、フォードらしい手抜きだったのかはわかりません。
さて、本当はマークIIIがザクスピードによってグループ5に仕立てられたエピソードや、サーキットの狼についても語りたいのですが、そろそろ三代目カプリについて振りかえりましょう。これまた、シャシーやエンジンがマツダ製なことや、カロッツェリア・ギアがデザインしたバルケッタスタイルなど、忘れ去られてしまうにはもったいないモデルです。
いまはなきフォードの大衆車ブランド「マーキュリー」からリリースされたフォード(マーキュリー)・カプリは、マツダ・ファミリアのコンポーネントとエンジンを流用し、カロッツェリア・ギアがデザインしたオープンボディをまとったコンパクトモデル。
デビューは1989年で、マツダのMX-5ミアータと完全にバッティングしかけたのですが、カプリは生産開始直前にエアバッグの衝突試験が課されることになり、大幅な遅延が発生。しかも、北米生産が間に合わず、オーストラリアで作られ始めたことから北米での価格も上昇。ついには、フォード首脳陣が画策していた「MX-5より早く発売する」ことは叶わなかったのでした。
が、FFコンポーネントの完成度は高く、またギアがつくったバルケッタ風味のスタイルや、安価なわりに4人が乗れるということで評判はさほど悪くはなかった様子。とはいえ、ご承知のとおり全米を襲ったミアータタイフーンの威力は凄まじく、カプリは採算分岐点に届く前に生産終了。ミアータの親戚みたいな立場なのに、あんまりといえばあんまりな仕打ちです。
しかしながら、近年この三代目カプリをしっかりレストアするオーナー達も増加傾向だそうで、SNSのおかげなのか、各地でファンミーティングまで開催されているとのこと。カプリの名に恥じない晩年といって差しつかえないのではないでしょうか。
ざっくりとEVに至るまでのカプリ史を振り返ってみると、地味ながらもなかなか味わい深いものではないかと。旧式なアメ車から大活躍のスポーツカー、そして気軽なバルケッタを経ての電気SUVと、脈絡なく使いまわされているネーミングなのに不思議と愛着がわいてきませんか。やっぱり、フォードのマーケティング戦略は奥が深い(笑)。