苦難を乗り越え、経験を重ねて初めて感じる「ゆるやかな成長」

2020.03.13 22:30
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。3月13日の放送は、元マラソン選手の千葉真子さんが登場。栄光と失意の連続だった陸上人生を振り返りながら、“走る”ことによって芽生えた思いを語った。
■経験を重ねることで“ゆるやかな成長”を待つことができる
1996年のアトランタオリンピックでは女子10000mで5位に入賞。また、1997年のアテネ世界選手権の女子10000mと、2003年のパリ世界選手権の女子マラソンでは銅メダルを獲得。数々の輝かしい記録を持つ千葉さんだが、その栄光の裏には、いつも苦難の物語があった。
千葉さんが本格的に陸上競技を始めたのは、高校生のとき。全国高校駅伝の常連校でもある名門・立命館宇治高校に入学し、陸上競技部に入部した千葉さんは、練習初日に大きな衝撃を受ける。「練習にまったく付いていけなかったんです。“うわ~、とんでもないところに来てしまったな”と、当時は思いました」。
結局、補欠にもなれず、選手をサポートする付き添い役にも選ばれず、沿道でチームメイトを応援するところからスタート。部内では、駅伝のメンバーになるための激しいサバイバルが繰り広げられていた。当時の様子について千葉さんは「もうみんな毎日必死ですよ。女子部員は30人ほどいるんですけど、その中で上位5人に入らないと駅伝の選手にはなれませんから」と振り返る。
努力を重ね、千葉さんは5人の中の1人として、全国高校女子駅伝に出場。高校卒業後は、数多くの五輪メダリストを輩出している社会人の名門・旭化成に入社する。入社2年目でアトランタオリンピックに出場し、翌年は世界選手権でメダルを獲得。社会人で結果を出せたのは、高校時代の経験があったからだという。千葉さんは「精神的にも身体的にも、切磋琢磨した中で培ってきたものが、実業団で花開いたんだと思います」と分析する。
また、高校を卒業してから、自分の成長をじっくり待てるようになったのも大きかった。千葉さんは「最初は悔しかったり、嬉しかったり、その日の練習に一喜一憂しがちなんですね。でも、経験を重ねてくると、もっと自分の成長を冷静に見つめられるようになる。一気に伸びなくても、焦らなくなるんです。上ったり下がったりしながら、3か月後や半年後に、ゆるやかに成長を感じられたら、それでOK。そういう大人の考え方ができるようになりました」と打ち明けた。
■自分の人生は自分が主役だと理解すること
日本長距離界の新星として注目を集めていた千葉さんは、花形種目であるマラソンへの転向を決意。しかし、大きな期待を背負って初出場した1999年の東京国際女子マラソンは5位に終わってしまう。2000年のシドニーオリンピックへの切符も逃した千葉さんは、当時の状況を「真っ暗闇のトンネルの中を、下を向いてとぼとぼと歩いているような感じでした」と表現した。
そのトンネルから抜け出すために、千葉さんはある決断をする。2001年にマラソンの指導者である小出義雄監督率いる佐倉アスリート倶楽部へ移籍。千葉さんは「トンネルの中で顔を上げたら、その先に“夢”や“希望”といった光が見えたんです。やっぱりオリンピックに出たい、メダルを獲りたいと思ったときに、なにをすべきかと考えたら、それは世界的なメダリストや、その方たちを指導した監督と一緒にトレーニングすることが一番だと思ったんです」と当時の心境を明かした。
千葉さんは小出監督の指導を受け、2004年のアテネオリンピックへの出場権をかけたパリ世界選手権で銅メダルを獲得。しかし、1つ上の順位には野口みずきさんがおり、ラストチャンスだった選考レースも2位。アテネオリンピックは補欠代表に留まってしまう。千葉さんは「もう、自分の陸上人生を否定されたような気持ちになりました。1日50km、60kmと走っていたのはなんだったんだ、と……」と述懐。
再び失意のどん底に落ちた千葉さんだったが、しばらくして、あることに気づく。「重い気持ちを引きずりながら、ある日、やっとの思いでジョギングに出かけたんですね。そのときに思ったのが、オリンピックでは補欠になってしまったけれど、自分の人生は自分が主役だということなんです」。
千葉さんは「走るということは、体が前に向かって進んでいるわけで、きっと考えも前に向くと思うんです。走っている最中は考えが後ろ向きになることはない。だから、ジョギングをしているときに、そういう考えが浮かんできたんだと思います」と説明。「私は走ることに助けられたんです」。
2006年に引退した千葉さんは、解説者やコメンテーターとして活躍する一方で、2010年に市民ランナーを対象としたランニングクラブを設立。「現役時代は自分が輝くために競技をしていたんですけど、今はみなさんを輝かせるためのお手伝いがしたいんです」。楽しそうに話す千葉さんの目線は、もちろん今も、まっすぐ前を向いている。
次回、3月20日の放送は、元スピードスケート選手の大菅小百合さんが登場する。