人生のどん底で“嫌な思考の連鎖”を断ち切る方法

2020.01.17 22:30
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。1月17日の放送は、モーグル元日本代表の伊藤みきさんが登場。4度のオリンピックでの経験や、スポーツへの熱い思いを語った。
■人生のどん底でも、その日の中で一番ワクワクすることを考える
伊藤さんはモーグルの日本代表選手として、高校3年生で2006年のトリノオリンピックに出場。脇目も振らず、ただがむしゃらに滑り続け、気がつけば決勝の大舞台。伊藤さんは「そこで急に我に返ったんです」と打ち明ける。周りはいつもワールドカップで戦っているお馴染みのメンバーたち。しかし、全員が普段とはまったく異なる雰囲気をまとっていた。伊藤さんは、「上村愛子先輩もいましたけど、みなさん目の色が違っていて、オリンピックにかける意気込みがすごかった。その気迫に飲まれたというか、何か特別なことをしなくちゃいけないという思いに囚われて、自分の滑りができませんでした」と振り返る。
結局、20位に終わったトリノ。さらに、ある事実が伊藤さんを打ちのめす。高校を卒業し、中京大学に進学した伊藤さんは、フィギュアスケート選手の安藤美姫さんと同じクラスになる。同じトリノに出場したオリンピアン同士。しかし、伊藤さんは、「私にとってオリンピック出場はすごく大きい出来事だったんですけど、クラスの中で誰もそのことを知らなかったんです。同じクラスに美姫ちゃんがいると、こういうことが起こるのかと思いました」と告白する。
トリノでの失敗や、大学での経験を経て、湧き上がるのは「次は世界一になりたい」という強い思い。迎えた2010年のバンクーバーオリンピックでは、12位になり、さらに、2013年の世界選手権では銀メダルを獲得。着実にステップアップしていった伊藤さんだったが、3度目となる2014年のソチオリンピックでは、大会の2か月前に左膝の前十字靭帯を損傷してしまう。伊藤さんは、「やれることをやって、できる限りの手を尽くして滑れるように調整していきました」と述懐。しかし、本番直前の練習中に転倒してしまい、怪我が悪化。出場を諦めざるを得なかった。
まさに、人生のどん底と言える状況。それでも、前向きな気持ちは持ち続けられた。「膝が腫れていて歩けなかったので、コーチが選手村からご飯を持ってきてくれるんですね。それがすごく楽しみで、今日は何を取ってきてくれるんだろうって(笑)。嫌なことって考え始めると連鎖するじゃないですか。長期的な目標が持てないんだったら、その日の中で一番ワクワクすることをまず考えるようにしたんです。そうするとワクワクが派生して、じゃあ明日はどうしよう、明後日はどうしようという風に、考えを変えていけました」。
■スキーとオリンピアンは家族からのギフト
ソチは棄権、2018年の平昌は代表落ち。それでも伊藤さんは「オリンピックが大好きなんです」と笑顔を浮かべる。そして、「自分の人生で、4回挑戦した中で2回滑ることができて、2回は滑れなかった。でも、ありがたいという気持ちしかないです」と続ける。「オリンピックは偽りなく、本当に強い人が勝つ場所。そこに向けて、どう本気で戦ってきたのかが結果として明確に現れる。そういうところも好きなんです」。
ここまで一心不乱に頑張ってこられたのは、両親の力も大きかったという。伊藤さんには、あづささんという姉と、さつきさんという妹がいるが、ふたりとも伊藤さんと同じモーグル選手で日本代表だ。3姉妹に対する両親の教育はかなり厳しかったそうで、伊藤さんは当時の家での様子を、「まるで高校の体育教官室で毎日過ごしているみたいな感じでしたね(笑)」と回想する。
3姉妹とも、親には常に敬語で、言われたことは全てやり遂げなければならなかった。しかし、モーグルでのミスを叱られたり、理不尽に怒られたりすることはなかったのだとか。伊藤さんは、「すごく感謝しています。スキーとオリンピアンは、両親からいただいたもの。家族からのギフトだと思っているんです」と語った。
何度も打ちのめされたからこそ、強くなれたという自負もある。2018年に結婚した伊藤さんは、この経験を次世代に伝えたいという思いがある。「スポーツってすごく良いものだと実感しています」と力を込め、「スキーに限らず、自分の子どもには絶対にスポーツをさせてあげたいですね」と目を輝かせた。
次回、1月24日の放送は、自転車ロードレース選手の新城幸也さんが登場する。