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「NYの聖地」に作品を残したアーティスト 松山智一が世界に名を馳せるまで
Forbes JAPAN
2019.10.20 21:00
松山智一は、ニューヨークを舞台に活躍する現代アーティストだ。

彼の作品を見た人は、国籍問わず、自身の文化的な原点を考えることになる。

例えば、このコロニアル様式の部屋の中央に佇む女性が描かれた「Welcome to the Jungle」を見て、あなたは何を思うだろう。
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Welcome to the Jungle©Matsuyama Studio

日本で生まれ育った多くの人は、浮世絵や日本の昔ながらの文化を感じ取るのではないだろうか。

そうであれば、松山の狙い通りだ。

アメリカ人は、日本らしさより、アメリカのグラフィティをはじめとするストリートカルチャーを先に読み取ることが多いのだという。

過去にはキース・ヘリングやバンクシーらが描いてきた、NYで知らない人はいないグラフィティの聖地「バワリー・ウォール」に12mの巨大な壁画を描いた松山はかつて、プロのスノーボーダーだった。

病院の天井を見ていた10ヶ月で、進路が変わった

今から22年前の1997年冬、当時21歳だった松山は、スノーボードを始めた故郷、岐阜県飛騨高山の一面雪に覆われたスキー場にいた。

今でこそオリンピック競技のひとつとして認められているスノーボードも、当時はエクストリームスポーツの一種だった。

その日も、パフォーマンスをよりクリエイティブに、より華やかに見せるための練習をしていた。

いつも通りに滑走をしていたが、わずかにバランスを崩し、激しく横転した。その時、足先から「ボキッ」という鈍い音がした。

恐る恐る見た足首は、普段とは180度異なる方向に曲がっていた。

プロとして、練習に集中するために上智大学を休学した矢先の事故。スノーボードどころか、松葉杖なしには歩くことのできない10カ月のリハビリ生活を余儀なくされた。

「スノーボーダーとしては、もう先がないことはわかっていました。だからリハビリ期間中に、なぜ自分がこの競技に夢中になっていたのかをとことん考えたんです」

自身の過去と将来へ思いを巡らせて辿り着いたのが、スノーボードでも実現していた、「表現すること」を一生の職業にしたいという思いだった。

リハビリに通っていた病院のベッドの天井を見上げながら、新たに挑戦を決意したのが、商業デザインだった。

アーティストになることを決意した瞬間

本格的に商業デザインを学ぶのなら、アートとビジネスの中心地であるNYへ、と渡米したのは、アメリカ同時多発テロ事件が起きた3カ月後のことだった。

松山が入学したプラットインスティチュートは、美術大学の名門として知られるが、当時彼が専攻していたのはグラフィックデザインだった。

そこではクリエイティビティやオリジナリティを求められることはなく、実利性の高いスキルを磨くことに重きをおいた講義を中心に学んでいた。

NYでの新生活が始まったばかりではあったが、今もスタジオを構えるブルックリンが、再び松山のキャリアを変えることになる。

「そこには、自宅のロフトをアトリエにして作品をつくり続けるようなアーティストがたくさん住んでいたんです。彼らがどう生活費を稼いでいるのかはわかりませんでしたが、こんな生き方があるのかと衝撃を受けました。彼らが新鮮で、輝いて見えました。そこで、自分もアーティストになろうと決意したんです」

アーティストを目指した松山が初めて画材にふれたのは、25歳の時だった。
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伝え方を正しく設計すれば、NYで戦うことができる

アーティストがキャリアを確立する王道は、美術大学へ進学、卒業制作の作品がギャラリストの目に止まり、作品をギャラリーに展示してもらうことだ。

しかし、グラフィックデザインを専攻していた松山に、その道は用意されていなかった。

独学で絵画を学んだ彼は、NY中のカフェを回り、自作の展示を依頼し、それを50〜100ドルで販売するところからアーティストとしてのキャリアをスタートさせた。

松山がそうして1日2ドルほどで生活していた頃には、大学時代の同級生たちは外資系金融会社や総合商社で着実にキャリアを積み、年収が数千万円になる友人もいた。

NYの松山を訪ねてくる彼らと比べて、自分を情けなく思うことも少なくはなかった。

「カフェで安い作品を展示し続けても意味はない。いかに自分の作品が人の目に留まるかを真剣に考えないと、アートなんて言ってられませんでした」

一念発起して、松山はブルックリンのウィリアムスバーグの壁に作品を描き始めた。

今でこそ家賃も高騰しているが、2005年頃のウィリアムスバーグは、経済的に豊かではない駆け出しのアーティストたちが集うエリアだった。

すでに名をあげつつあったKAWSやバンクシーも描いていたそのエリアでいちばん大きな壁に作品を描けば、自分の名も知られると確信していた。

ウィリアムスバーグでいちばん大きなキャンバスである壁の管理者のもとへ、両手で持てる限りのポートフォリオを持参した。

流暢な英語で熱心に「俺に書かせてくれ」と懇願する、坊主の日本人の勢いにオーナーが根負けした。

そのオーナーが過去に松山の作品を街で見ていたこともあり、松山はアーティストとして最初のチャンス掴んだ。
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松山の初期の壁画作品。

松山が完成させた大きな壁画の前では、街の人たちが少しずつ足を留めるようになっていた。

SNSが普及する前の時代だったが、「面白い絵がある」という評判は、地元の小さな出版社にまで届き、雑誌で15ページにわたる松山の特集が組まれた。

それをきっかけに他メディアからも取材依頼の声がかかり、ついに「ナイキ」の目に留まることとなる。

すると絵を展示する場所は、NYダウンタウンのセレクトショップから、全米各都市へのショップやブティックギャラリーへと変わり、彼の作品はいよいよ名の知れたギャラリーで展示されるようになった。

作品の伝え方を正しく設計すれば、現代アートの中心地であるNYで、自分を表現することを職業にできる。

それを学んだ松山は、自身の作品を通してコミュニケーションをすること、観客に説明する技術を身に付けていった。

アーティストの役割を「時代を作品に投影させること」と前置きをしたうえで、松山は自身の作品のコンセプトをこう語る。

「インターネットの力で、今では世界中のモノを見ることができます。しかし、異文化同士の実質的な距離が縮まることはない。自分がいる場所と、スマホやPCの画面を通して見るモノ、共にリアリティーが混在して成立する世界の文化的帰属性をどう説明できるか。現代人のアイデンティティは、そうした様々な文化が混ざり合った曖昧さを語ることでしか、表現できないのではないでしょうか」

「アートだと説明ができれば、絵が描けなくてもいい」
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冒頭に紹介をした「Welcome to the Jungle」をはじめ、現在松山が手がけている絵画の制作手法は統一されている。

ここで女性が着用している洋服の柄は、雑誌「エル・デコ」などに掲載されていたインテリアの柄、ヤシの木は室町時代の絵師、狩野元信の作品だ。

テーブルに置いてあるのは、松山が影響を受けたアンディ・ウォーホールがジャケットを描いた「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」のアルバムと、小学生の時の頃に彼が聴いていたガンズ・アンド・ローゼズのレコード。

これらをフォトショップで組み合わせ、トレーシングペーパーの上から手書きでなぞり、そこから巨大なキャンバスへと転写、数カ月描きこみ、ようやく作品は完成する。

「10年以上も絵を描いてきたから、少し絵がうまくなってしまった」ようで、現在10人いるアシスタントと、細部を手書きしているのだという。

既製のイメージを作品に取り込む手法は、「引用」「サンプリング」「アプロプリエーション」など芸術用語にもあるが、松山は自身の作風をこう語る。

「ひと言で言えばパクリの応酬です。これだけ情報とアウトプットに溢れた時代に、ゼロから1を作ることだけがクリエイティブなことではありません。既製のイメージを組み替え、1から2を生み出す編集という作業も、僕らの時代ではアートの領域にまで到達していると思うんです」

現代アーティストとしての強み

アートの専門家たちは、歴史やルールを照らし合わせながら松山の作品を読み解く。

そして、かつての松山のように、アートの世界と接することなく生活をしている人も、自身の経験を元にその作品の意味を考える。

専門家とそうでない人、その2つの層から支持を得たことが、松山の強みだろう。

その強みをいかして形になったのが、現在バワリー・ウォールに描かれている作品だ。
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2019年9月から期間限定で見ることのできる、バワリー・ウォールの松山の壁画。

この壁画を描く機会も、キャリアを始めた頃のような形で実現させた。

まず、バワリー・ウォールの管理者である「ゴールドマン・プロパティ」に直談判した。

そして、オーナー兼キュレーターのジェシカ・ゴールドマンの所有地である、マイアミの「ウィンウッド・ウォールズ」に作品を制作することで松山が試された。

そこでの作品の完成度と評判の高さが、バワリー・ウォールの作品へと繋がったのだ。

「アーティストにとって、NYは永遠に振り返ってもらえない恋をしているような場所。あの壁に作品を残せることは、長い片思いが実ったようなことなんです」

ところで、現代アートの中心地NYで、名実共に世界的アーティストの仲間入りをした松山の作品を日本で鑑賞できる日はいつ来るのだろう。

「まだ公にはできないのですが、新宿でパブリックアートの制作が進行中です。やるからには、日本の顔になるものをつくります。歴史に残る作品を生むことは、アーティストにとって、永遠の夢ですから」

まつやま・ともかず◎1976年、岐阜県出身。幼少期の3年間をLAで過ごす、上智大学、プラット・インスティテュート卒業後、アーティストとしての活動を始める。2009年、世界最大級のアートフェア「アートバーゼル」に出展、現在に至るまでに、松山の作品はアメリカ、メキシコ、ドバイ、香港、中国など、世界各地の美術館やギャラリーで展示されている。
写真=小田駿一 文=守屋美佳

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