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他者に対する「共感力」を身につけるには
Forbes JAPAN
2019.09.07 20:00
米国のSF映画に、1966年に制作された『ミクロの決死圏』(Fantastic Voyage)という名作がある。この映画は、脳に障害を負った患者を救うために、医師チーム5人が、最先端科学技術によって血管よりも小さなミクロサイズに縮小され、注射によって患者の体内に送り込まれ、患部の治療に向かうという物語である。

与えられた時間はわずか1時間、体内の白血球によって攻撃されながら、必死に治療に向かうチーム、そして、それを手術室で見守る管制官たち。

この映画に、心に残るシーンがある。それは、管制官の一人が、チームのメンバーの安否を心配しながら、コーヒーを飲むシーンである。そのコーヒーカップの横を、小さな虫が這っていく。その虫を、何気なく指で潰そうとした管制官は、その行為の意味に気がつき、手を引っ込める。それは、その虫の姿が、いま患者の体内で戦っているミクロサイズになった仲間の姿と重なったからである。

映画の本題とは離れたこのシーンが、半世紀の歳月を越えて、いまも、心に残っている。

なぜなら、このシーンが、一つの言葉の意味を象徴的に教えてくれているからである。

それは、「共感」という言葉。

この言葉は、世の多くの人々が好んで使う言葉であるが、その本当の意味は、「相手の姿が、自分の姿のように思えること」に他ならない。

その意味で、この管制官は、目の前の虫の姿が、自分たちの仲間の姿のように思えたのであり、まさに、その虫に「共感」を覚えたのであろう。

では、我々は、どのようにすれば、他者に対する「共感の心」を身につけることができるのか。

実は、この「共感の心」や「共感力」と呼ばれるものは、書物を読んだだけでは、決して身につかない。それが、いかなる宗教書であれ、心理学書であれ、どれほど書物を通じて「共感の大切さ」を学んでも、それは、ただ「頭」で理解しただけであり、決して身についたものとはならない。

では、我々は、他者に対する「共感力」を、いかにすれば身につけられるのか。

その答えは、素朴であるが、しかし、厳しい答えである。

「人生において、自身が、様々な苦労を重ねること」

そのことを抜きにして、我々は、「共感力」を身につけることはできない。

例えば、家庭の貧しさの中で自尊心を持てず苦しんでいる人間の気持ちは、やはり、同様の経験、「貧しさという苦労」の経験を積んだ人間にしか分からない。また、家庭の中で親子の不和で苦しむ人間、職場の人間関係で苦しむ人間の気持ちは、その経験を持たない人間には、本当には分からない。

とはいえ、我々は、世の中の人々の苦労のすべてを経験することはできない。しかし、もし我々に、相手の苦労を分かってあげたいという思いと、その優しさに支えられた想像力があれば、何かが変わる。

だが、その想像力もまた、やはり、自身にそれなりの苦労の経験が無ければ身につかない。

そのことを理解するとき、昔から語られる一つの言葉が、新たな意味を持って心に浮かんでくる。

「若い時の苦労は、買ってでも、せよ」

筆者自身、若き日に、この言葉の意味を深く受け止め得たわけではないが、永い歳月を歩み、人生における様々な苦労を与えられ、この言葉の大切さが心に染み入るように分かる時代を迎えた。

なぜなら、我々が歳を重ね、会社や組織でリーダーの立場が与えられたとき、この「若い時の苦労」が、かけがえのない財産になるからである。

職場の片隅で部下が上司について語る言葉、「あの人は、苦労知らずだから、人の気持ちが分からない……」と「あの人は、苦労人だから、分かってくれる……」は、天と地ほどの開きがある。それは、そのまま、メンバーがリーダーに対して、その「共感力」と「人間力」の有無を語る言葉でもある。

しかし、そのことを理解してなお、我々は、「やはり苦労はしたくない」という思いを持っている。

だが、有り難いことに、その思いを超え、人生と仕事において、我々には、必要なとき、必要な苦労が与えられる。そのことは、苦労のさなかには気がつかないが、歳月を経て振り返るとき、気がつく。

なぜなら、人生の苦労は、大いなる何かが、我々を育てようとして与えるもの。その成長を通じ、素晴らしい何かを成し遂げさせようとして与えるもの。

そのことに気がついたとき、目の前の風景が変わる。そして、人生の風景が変わる。
文=田坂広志

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