JOURNEY

阿寒湖に“熊を彫る人”を訪ねて

2018.06.29 FRI
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阿寒湖に“熊を彫る人”を訪ねて

2018.06.29 FRI
阿寒湖に“熊を彫る人”を訪ねて
阿寒湖に“熊を彫る人”を訪ねて

魅力的な被写体との出合いを求め、世界中を飛び回り続けている写真家、在本彌生。彼女が印象深い出合いを自らの作品と文章で綴る新連載。第2回は、北海道は道東を巡る旅で運命的な出合いをしたアイヌの木彫家、藤戸竹喜氏と氏の作品について記す。

(読了時間:約4分)

Photographs & Text by Yayoi Arimoto

木彫りの狼との運命的な出合い

数年前の夏、北海道東部の阿寒湖を訪れた。仕事でよく訪れる北海道だが、道東を巡るのはそれが初めてのことだった。

アイヌコタンと呼ばれる集落に、民芸品店や土産物屋が並んでいる。そのうちの一軒に入ると、店の片隅で、ある展覧会の図録を見つけた。表紙は木彫の狼の写真だった。

その狼がただならぬ力を放っている。静かなたたずまい、力みなく遠くを見据える眼差し、端正な孤独を現した姿とでも言おうか。木でできているはずが、まるで息をしているように見えた。
北海道東部の阿寒湖1
この作品をこの目で見てみたい、これを作った人に合ってみたい、そして私もこの作品の写真を撮りたい──その場で直感的な強い決意が心に湧いた。

木彫りの狼との出合いから2ヵ月経った秋の始まり、私は阿寒湖を再訪した。木彫家の藤戸竹喜さんに、彼の作品群を撮影させていただくことはできないか、直接交渉するためだ。

藤戸さんは旭川出身、1934年生まれのアイヌの木彫家で、木彫職人だった父親のもと、8歳から木を彫り始めた。土産物として大流行した熊を彫ることからスタートし、等身大の人物、動物、トーテムポールなどの大作まで手がける作家になった。ご本人は自らを今でも「熊彫り」とおっしゃるが、内外で高い評価を受けている、その世界では知らない人のいない存在だ。
北海道東部の阿寒湖2
それなのに無礼かつ無知な私は、狼の木彫りに出合うまで藤戸さんのことをなにひとつ知らなかった。ただ狼の作品に圧倒され藤戸さんの作品を撮影させていただくことを熱望していると告白した。

スタジオで撮影することは初めから考えなかった。私の撮影構想は、木彫りの熊や狼の作品群を、阿寒湖とその周辺の自然の光の中で、四季の移り変わりとともに撮るというものだった。この生きているような木彫の動物たちを、本来彼らがいる場所に解き放ちたい、そう思ったからだ。
工房で動物を彫る藤戸さん1
一つ間違えれば高価な作品にダメージを与えかねない無謀ともいえる私のアイデアについて、藤戸さんは「面白いじゃないか、やってみれば」とおっしゃった。それは本当に有り難い言葉だった。初対面のどこの馬の骨とも分からないフォトグラファーの願いを寛容に受け入れ、チャンスをくださったのだから。

こうして私の「阿寒湖通い」は、その年の初冬から始まり、季節を追って1年半続いた。
工房で動物を彫る藤戸さん2

人の力で抗えない自然の偉大さ、脅威を感じた瞬間を写真にすることがねらい

藤戸さんの「熊を彫る人」としてのお話を、撮影のたびに聞いた。藤戸さんからこぼれ出るストーリーは、どれも胸に迫り、時には涙をこらえながらうかがった。決して感情的な語り口ではない、藤戸さんの言葉の一つ一つが平易ゆえに優しさとともに重みがあり、肝に染み入る(詳しくは写真集『熊を彫る人』[小学館刊]をご覧いただきたい)。
木彫りの熊1
北海道、昭和、アイヌ、木彫り熊というキーワードが見事につながり、私の知らなかった日本の一面が浮かび上がってきた。貧しくも逞しく生きた少年時代、北海道観光ブーム全盛期の60年代後半から70年代の熱気あふれる青年期、ブームが去ってからの阿寒湖の変容、最後の熊彫りとして生きる今──木彫りの作品を撮影するのと同じくらい、藤戸さんの存在そのものがこの撮影には重要で、自然と対峙し生きることの何たるかを伝え解いて下さった。

私はだんだんと、藤戸さんが彫る動物たちと藤戸さん自身を重ね見るようになっていった。自然の一部として淡々と生きている藤戸さんだから、あの息の音が聞こえてきそうな動物たちを創り得るのだ。
木彫りの熊2
工房で木の塊と対峙している藤戸さんの姿は、ピノキオのゼペットじいさんさながらで、動物たちはまるで木の塊からすくいだされるように生まれ出る。

忘れられないのは、初めて木彫の狼を抱えた時の実感だ。実物より少し小さい狼を両手で抱えるとほんのりと暖かく、あばら骨のかたちを手のひらに感じた。それは紛れもなく肉体だった。植物である木の塊のはずが、なんとも不思議な感触だった。どちらも生き物、だから当然ということなのか。
木彫りの熊3
阿寒湖周辺の自然は、春夏は彩りにあふれ爽やかで、冬には張り詰めた厳しい顔を見せる、体感的に極端でドラマティックなものだ。一見フォトジェニックだが、その自然をこの目で捉える以上の形、スケールで写真に現すのはとても難しい。

私の写真のねらいは、人の力で抗えない自然の偉大さ、脅威を感じた瞬間を写真にすること、それに集中するしかないと思った。人間なんてちっぽけだ、それが身体に叩き込まれる感覚、その印象を撮るしかない。
木彫りの熊4
偉大な自然の只中にたたずむ木彫の動物たちは、健気にも飄々としていて、ここで生きることをあるがままに受け入れているように見える。あるときは無邪気に遊び、あるときは牙をむいて、生きることにひたすらに集中している。彼らにとっては何も特別ではないことだろうが、その有り様はこの上なくしなやかで尊い。生々しく、柔らかな毛を静かに波立たせ、今日も息をしている。
木彫りの狼

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