JOURNEY

食を進化させる、三つ星シェフの幸福論──
「HAJIME」に見る五感を震わす料理の科学

2018.06.13 WED
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食を進化させる、三つ星シェフの幸福論──
「HAJIME」に見る五感を震わす料理の科学

2018.06.13 WED
食を進化させる、三つ星シェフの幸福論──「HAJIME」に見る五感を震わす料理の科学
食を進化させる、三つ星シェフの幸福論──「HAJIME」に見る五感を震わす料理の科学

エンジニアとしてIT企業に就職したにもかかわらず料理家へ転身。独立後1年5ヵ月という早さでミシュラン三つ星を獲得、世界の美食家を魅了するレストラン「HAJIME」のオーナーシェフ、米田肇氏。孤高の美意識が描き出すHAJIME料理について話を聞いた。

(読了時間:約10分)

Text by Junya Hasegawa @ america
Photographs by Tomonori Hamada

“計算”ずくで三ツ星シェフに

さすがは理系出身というべきか──大学を卒業し電子部品のエンジニアとして就職しながらも、わずか2年で料理の道へ。自らの店を構えてからは、わずか1年5ヵ月でミシュランの三つ星を獲得するという、前代未聞の離れ業を成し遂げた米田肇シェフ。だが紆余曲折を猛スピードで駆け抜けるようなキャリアは実は、ほぼすべてが計算ずくの最速ルートと呼べるもの。三つ星の獲得も、開店前からの狙い通りだったという。

そんなシェフ本人を大阪の「HAJIME」に訪ね、異色のキャリアを歩んだ理由、世界の美食家たちを虜にする芸術的で科学的な料理哲学、三つ星獲得の“方程式”について話を訊いた。
コック服はフランスのブラガー製。動きやすさ重視のタイトフィットが米田流だ
コック服はフランスのブラガー製。動きやすさ重視のタイトフィットが米田流だ

最速ルートと工程表

両親の方針で大学までは行かざるを得なかったという米田シェフ。料理学校に通うための援助も得られなかったことから、一旦は「得意の数学を活かせ、世界の最先端をいっているような気がした」IT企業への就職を決意する。だがイメージしていたようなモダンでグローバルな“かっこいい”職場はそこにはなく、淡い期待はたった1ヵ月で瓦解。
しかしそこで、自分の本当の思いを再確認することになる。すなわち、「世界で活躍するフレンチシェフ」になりたいという、少年時代からの大きな夢だ。
大阪市中心部のビジネス街にある「HAJIME」のエントランスは、洗練されたギャラリーのごとき佇まい
大阪市中心部のビジネス街にある「HAJIME」のエントランスは、洗練されたギャラリーのごとき佇まい
その後は執念の節約生活で勤務を続け、わずか2年で料理学校に通う資金の目標額、600万円を貯めることに成功。と同時に、エンジニアとして電子部品の設計や工程表の制作に前のめりに関わったことにより、見積もりやスケジュールに対するシビアな感覚、要求を満たしつつさらなる改善を目指す創意工夫まで養うことができたというから面白い。もっとも、「なんでも自分で納得できるまで追求してしまうのは、生来の性質」だったようなのだが。

周回遅れからのゴボウ抜き

電子部品メーカーを退社後、料理学校を1年で卒業し、最も厳しいといわれる大阪のフランス料理店を選んで修業を開始。すでにこのとき、米田氏は26歳になっていた。10代から足を踏み入れる人も多い、料理人という厳しい世界。すでに大きく出遅れていることを自覚していたからこそ、「他人の3倍の集中力と努力」を誓い、見事に実践。文字通り命懸けの修業にすべてを捧げ、まずは30歳までに本場フランスに渡るという野望の“第一工程”を達成してしまう。
店内の調度品は、ミニマルで上質。宇宙とつながる真理のような、シェフの美意識と世界観が体現されている
店内の調度品は、ミニマルで上質。宇宙とつながる真理のような、シェフの美意識と世界観が体現されている
そしてフランスでの経験、刺激、苦難を糧に、2005年に帰国。フランスの三ツ星店の日本支店として北海道・洞爺にオープンした「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」で肉部門シェフという重要なポストを任された後、ついに08年、自らのフランス料理店「Hajime RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON(以下、Hajime)」をオープン。折しもミシュランガイド東京版の発売による業界の興奮も冷めやらず、京都・大阪版の発行が噂されていた頃であった。

「最初から世界のトップを目指していたので、自分たちがミシュランを大阪に連れてきてやろうくらいの意気込みでした。08年5月にオープンし、しばらくはお客様がまったくいらっしゃらないという日もありましたが……。全身全霊で最高の料理を追求し、リピーターのお客様も増えてきた09年の春、初めて海外からのお客様がいらっしゃったんです。お連れ様は日本の方でしたが、フランス語で会話されていた。すぐにピンと来ましたね(笑)。だからといって特別にほかのお客様と違うことをしたわけではありませんが、案の定、お食事がお済みになったら『シェフと話したい』とおっしゃって、いろいろとお話させていただきました」
「飲食店特有の、暗くて狭くて汚いバックヤードは許せない」と、職環境や“裏側”にも徹底的にこだわる
「飲食店特有の、暗くて狭くて汚いバックヤードは許せない」と、職環境や“裏側”にも徹底的にこだわる

三ツ星獲得の因数定理

米田シェフによれば、ミシュランで三つ星を獲得するレストランには、明確な基準が存在するという。

「三つ星と二つ星を比較し冷静に分析すれば、どんな三つ星にも当てはまる“共通項”があると分かります。まずは圧倒的なクオリティ、そして独創性。さらにはそのレベルを常に維持できる安定感。逆にいえば、この3つさえ備えていれば、必ず三つ星は取れる。おいしさというのは、食べる人の好みによって感じ方が違いますから」

得意の因数定理を解くかのように、こともなげに語ってみせる。だが実際に、その3つの要素を兼ね備えることなど凡人には決してできはしない。なにしろ、数ある日本のフランス料理店で、09年度の三つ星を獲得したのはたったの3軒(関西ではHajimeのみ)だったのだから……。だが米田シェフが見据えていたのは、三つ星のさらに先だった。
苔の蒸しパンに、針葉樹の新芽を使ったソース。この「生命」は、山の小さな生命の素晴らしさを表現している
苔の蒸しパンに、針葉樹の新芽を使ったソース。この「生命」は、山の小さな生命の素晴らしさを表現している
「三つ星をいただいた後は、レストランのオーナーとしての“経営”と、シェフとしての“表現”とのバランスを取ることに難しさを感じていました。1日中電話がなり続け、4回線に増やしても対応しきれずたびたびお叱りを受けてしまうほどご予約をいただいていたんです。リピーターとなっていただいたお客様にも、毎回新たな喜びと驚きを感じていただくことをモットーにしているのですが……、新メニューのアイデアを考える暇すらありませんでした」

「Hajime」から「HAJIME」へ

12年5月、「Hajime」は「HAJIME」へと生まれ変わる。そのきっかけは、新メニューのヒントを求め、ノルマンディーの「Sa.Qua.Na.(サ・カ・ナ)」という二つ星レストランで、短期間の再修行を行ったことだった。シェフのアレクサンドル・ブルダス氏は、時期こそ違えどともに『ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン』で働いたことがある友人だ。

「自分の料理の画像を彼に見せたら、『ハジメの料理には個性がない。やっぱり日本人にフランス料理は作れない』と酷評されてしまいました。寝食を忘れ必死で考えたメニューを否定されたことで頭にきて、大喧嘩のあげく、そのまま店を飛び出してしまったんですが……。今思えば、彼の言う通りだったんです。自分の料理には、個性の“根源”がなかった。大阪に生まれ、フランス料理を食べて育ったわけでもない日本人なのに、フランス料理に“根源”があるはずもありません。自分の“根源”ってなんだろう? そんなことを考え始めたんです」
代表作「地球」は、自然への敬意、地球が育むミネラルが循環する様子を、特注の巨大な皿の上に描き出す
代表作「地球」は、自然への敬意、地球が育むミネラルが循環する様子を、特注の巨大な皿の上に描き出す
料理上手な母の作る家庭料理、さまざまな日本食。自らのルーツを探し求める過程で、米田シェフはとある懐石料理の名店を京都に訪ねた。

「一分の隙もない高度な美意識と、その裏側にある“意味” に圧倒されました。ただ利休や禅を知れば知るほど、もし自分が利休と同じ時代に生きていたら、あえて違う道を行くんじゃないかな、とも思ったんです。利休はただ己の美意識に忠実に、自由に、表現を追求していたはず。自分は自分らしく。自由でいいんだと気がつきました」

そこで米田シェフは、あれほど憧れ、三つ星を獲得するまでに究めたフランス料理との決別を決意する。

「見事に体系化され、文化的な奥行きも深いフランス料理は、やっぱり素晴らしい。でもフランス人の真似も、ましてや利休の真似もしたくない。自分にしか作れないオリジナルの料理を作るため、自分が本当に美しいと感じる“根源”を、美の本質を料理として表現することにしたんです」
鮭、イクラ、味噌パウダー、柑橘ソースなどで鮭の一生を表現した、「川 ~川から生まれ、川に還る~」
鮭、イクラ、味噌パウダー、柑橘ソースなどで鮭の一生を表現した、「川 ~川から生まれ、川に還る~」
フランス料理店「Hajime」から、創作料理の「HAJIME」へ──。米田シェフの“根源”は、大阪・枚方で暮らした幼少時代の風景にあった。春に舞う蝶、夏に鳴くセミ、秋の虫の音、冬の雪化粧。自らが愛した自然の風景や人生哲学を、料理の常識にとらわれず独自の手法で表現することこそが、「HAJIME」の料理の真髄となった。

すべてがつながっている

「子どもの頃に美しいと感じた風景や、それぞれの国の文化、人類の進化や歴史といったあらゆる物事がつながっているのが食であり、料理なんです。だからこそ自然科学や宇宙科学など、さまざまな分野への興味が尽きない。自分はもともと多趣味で子どもの頃から経営学の本を読むようなところはあったのですが……、人工知能についての講演に登壇するシェフなんて、自分くらいかもしれませんね(笑)」
いつでも希望を与えてくれる、見上げた「空」に舞う鳥たちを表現。鴨のローストに芽葱と西洋葱を添えて
いつでも希望を与えてくれる、見上げた「空」に舞う鳥たちを表現。鴨のローストに芽葱と西洋葱を添えて
冒頭の写真の「進化」という作品は、ハーバード大学の進化生物学教授、ダニエル・リバーマン氏の著書にインスパイアされたもの。動物の骨髄を摂取することで脳の発達を促し、子孫を繁栄させたと考えられている、米田シェフの自然科学、人類学、生物学といった分野への造詣、料理哲学が凝縮された、人類の悠久の歴史が凝縮されているかのような一品だ。原始を思わせる石の上で提供されるという演出にも、ワクワクを超える気持ちの昂ぶりを禁じ得ない。

「牛の骨髄で作った器に、リゾーニ(パスタ)、卵、骨髄、トリュフ、クリームなどの食材を地層のように折り重ねており、上層部から食べ進めることで人類の食の歴史を掘り下げ、追体験していただくことができます。添えられている山野草は、初期人類も墓地に手向けたとされている供花をイメージしているんです」
蓮の葉にフルーツのジュレやソルベ、雨粒のような日本酒、そして水煙が立つ幻想的なデザート、「雨の雫」
蓮の葉にフルーツのジュレやソルベ、雨粒のような日本酒、そして水煙が立つ幻想的なデザート、「雨の雫」
また蓮の葉の上に、デラウエアのジュレ、グレープフルーツのソルベ、すだちのピールなどを盛り、日本酒を雨雫のように垂らしてから、液体窒素で水煙を発生させる「雨の雫」は、五感のすべてを震わせるような、米田シェフらしいエンターテインメント性あふれる作品だ。

「大人になるとネガティブにとらえがちな雨ですが、子どもの頃はわざと水たまりで飛び跳ねて遊ぶなど、ポジティブな面もあったはず。そんな雨の楽しさを表現するうえで、“音”にまでこだわったのが『雨の雫』です」

口のなかで軽快に爆(は)ぜるのは、ジュレやソルベの下に隠れていた、駄菓子のパチパチキャンディ。遊び心たっぷりで、思わず童心に帰ってしまうような驚きを与えてくれる。誰もが“幸せ”を感じてしまう、特別な料理だ。

米田シェフとの会話は楽しい。そしてさまざまな刺激と示唆に満ちている。シェフが何を美しいと感じ、何に思いを馳せているのか。そして世にどんなメッセージを投げかけているのか。そのすべては、料理そのものに凝縮されている。「HAJIME」での食事とは、頭脳と五感をフル活用した、米田肇シェフとの笑顔あふれる対話のようなものなのかもしれない。
「進化」のルセット
シェフ直筆による「進化」のルセット(レシピ)。牛の骨髄で作った器に、リゾーニ(パスタ)、卵、骨髄、トリュフ、クリームなどの食材を地層のように折り重ねており、上層部から食べ進めることで人類の食の歴史を掘り下げ、追体験できるというもの。添えられている山野草は、初期人類も墓地に手向けたとされている供花をイメージしたもの。米田シェフの自然科学、人類学、生物学といった分野への造詣、料理哲学が凝縮された一皿といえる。

米田肇  Hajime Yoneda

1972年、大阪府枚方市生まれ。近畿大学理工学部で電子工学を学び、96年に電子部品メーカーに就職。コンピューター関連の電子部品の設計に従事する。98年、幼少時からの夢であったフレンチシェフを目指して退職し、料理学校へ。日本やフランスの星付きレストランでの修業を経て、2008年5月に“本当に素晴らしいレストラン”をテーマとする「Hajime RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON」を開業。翌年10月、オープンからわずか1年5カ月というミシュラン史上世界最速での三つ星を獲得した。12年5月には店名を「HAJIME」に改め、料理の既成概念にとらわれない独自の道を追求。ガストロノミーをベースとし、生命学、生物学、脳科学、消化学、経営学、建築学、宇宙科学などを通して表現される芸術的かつ哲学的な料理で、世界中から高く評価されている。
米田肇  Hajime Yoneda

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