

気仙沼から世界へ!気仙沼ニッティングのカーディガンがあたたかい理由。
JK RADIO TOKYO UNITED
2016.11.11 10:50
オーダーメイドのニットは、現在およそ190人待ち。
さらに、今年はバーニーズ・ニューヨークとコラボレートしたニットも販売。
『気仙沼ニッティング』は今や、“被災地のブランド”ということよりも、
ニットのクオリティの高さで注目を集めています。
そんな『気仙沼ニッティング』。
そもそもの始まりを、代表の御手洗瑞子さんにうかがいました。
御手洗さん、実は震災が発生したときは
ブータン王国の首相フェロー、というお仕事をされていました。
「東日本大震災の映像を見たときに、“何かできないか。東北の復興の力になれないか。”と考えて帰国することにしました。帰国してしばらくは、被災した地域のとある自治体でその地域の産業復興戦略をつくるお手伝いの仕事をしていました。ただ、最初はそういう風に自治体の方とお仕事をしてトップダウンで戦略を作るような仕事をしていたんですけども、だんだんと時間が経つにつれてこれから必要になっていくのは、具体的に新しい産業がおこって人々のなりわいが戻ってくること、人のサイクルが取り戻されていくことだろうと思いました。例えば、道路を元に戻すとか建物を再建するとかいうことはトップダウンでできることだと思うんです。でも、もう1回この被災した地域に産業がおこっていろんな仕事が始まって、働く人にお給料が支払われて、お給料を支払う会社も利益ができて、みんなが経済的にまわっていける状況を取り戻すのは、トップダウンではなかなか難しいと。」
2012年1月、御手洗さんは糸井重里さんと対談。
そこで、糸井さんから
『気仙沼で 編み物の会社をやらないか』という提案がありました。
御手洗さんは、このアイディアに賛同。
編み物の会社を立ち上げるために動き始めます。
まずは、手編みのセーターで知られるアイルランドのアラン島を訪ねました。
「アラン島はかつて手編みのセーターで世界的に知られた場所です。そこに行って、どういう風に手編みが行われていたのか、実はいま衰退してきているので、それはなんでそうなってしまったのか、とかそういうことを勉強しました。
アラン島で見たセーターは、模様が立体的にくっきり浮き上がっていてものすごく美しかったんです。それは、日本で見たことがある手編みのセーターとは全然違っていて、彫刻のような美しさがあるなと思いました。でも、日本の手芸用の糸などで手編みのセーターを編んでもそうはならず、もっと柄がへんにゃりしちゃってそんなに模様が浮き上がってこないんです。では、ヨーロッパのアイルランドの毛糸を持って来たらそれでいいかというとそうでもなくて、そうした毛糸は日本人にとってはちくちくしたり重かったりごわごわする。そこでアラン島で見たような柄がきりっと浮き出て、かつ日本の人にとっても軽くて心地よくて着やすいセーターを編むにはどうすればいいかということで、1から毛糸を開発していくところから始めました。」
次に重要だったのは、デザインです。
これは、どのように進めたのでしょうか?
「やはり洋服はいい素材であってもださいと買わないので、デザインが非常に重要でした。そこで編み物作家の三國万里子さんに、『最高にかっこいい王道をいくようなカーディガンを作ってください。』とお願いをして、デザインをしていただきました。」
最高にかっこいい、王道をいくようなカーディガン。
商品名は、三國万里子さんの頭文字からとって“MM01”と名付けられました。
毛糸が決まり、デザインも決まり、次に必要なのは手編みをしてくれる人でした。
そもそも、気仙沼は遠洋漁業が盛んな港町で、
編み物をする方がたくさんいらっしゃいました。
最初は、口コミで 編み手を探しました。
「口コミだけだと、ほんとはやりたいわけではないけど友達から頼まれたから来ました、という人とかいろんな人が入ってしまって、お互いにとってあまりいい出会い方をしないなと。そこで、2012年の8月、万里子さんにオリジナルの手袋をデザインしてもらって、それをみんなで編むという、編み物のワークショップを開催しました。そうすると、町の編み物好きに一気に会うことができまして、そのなかで特にお上手だった方にお声かけして、『実は編み物の会社をやろうと思っているんだけど、編み手になってくれないか。』というお願いをしました。」
2012年の12月、
オーダーメイドのカーディガン“MM01”を発表。
お値段15万円、という高価な商品でしたが申し込みが殺到。
このニットはいまも人気が続いています。
その後は、オーダーメイド以外の商品も発売。
今年は、バーニーズ・ニューヨークとのコラボレーションも実現しました。
「これもすごくかわいいです。ひとつはスリットが入った、すごくシルエットが今風だけど模様はクラシックなアランが入っているセーター。もうひとつはノースリーブで膝丈くらいのロングチュニックです。どちらも普通は編み物では作らないようなものなんですけど、作ってみたらとてもかわいくて。」
『気仙沼ニッティング』。
代表の御手洗瑞子さんに最後に質問。
将来的なビジョン、どんなことを思い描いていますか?
「基本的には、お客さんと働く人のどちらもがハッピーになれるような仕事をずっと
続けていくというのを一番大事にしたいです。それに加えてやっぱり、いつか世界のどこかの町で、
『気仙沼ニッティングってどういうきっかけでできたか知ってる?』
『あのいいセーターの会社でしょ。どういうきっかけでできたの?』
『2011年にあの地域で大震災があって、それをきっかけに新しい仕事を作ろうということで生まれた会社なんだよ。』
『知らなかった、あのブランドにはそういう背景があったんだね。』と、そういう会話が世界のどこかでされるような、いいセーターを作る会社として世界に知られていく存在になれたらいいなと考えています。」
いつか世界のどこかの町で、その始まりの物語が語られる。
そんなブランドになりたい。
しかし、お話を聞いていて僕たちは確信しました。
それは、それほど遠い未来のことではないはずです
●これからの季節に、とっておきのニットはいかがですか?
“気仙沼ニッティング”について、購入の方法などは
公式ウェブサイトをご確認ください。
http://www.knitting.co.jp
~このストーリーは、FMラジオ局J-WAVEの番組JK RADIO TOKYO UNITED
(ナビゲーター:ジョン・カビラ)でも紹介されました。毎週金曜朝10時40分からさまざまなプロジェクトのHidden Storyをご紹介中。スマートフォンやパソコンでも聴くことができます。番組サイトは「さらに見る」からチェックしてください~
さらに、今年はバーニーズ・ニューヨークとコラボレートしたニットも販売。
『気仙沼ニッティング』は今や、“被災地のブランド”ということよりも、
ニットのクオリティの高さで注目を集めています。
そんな『気仙沼ニッティング』。
そもそもの始まりを、代表の御手洗瑞子さんにうかがいました。
御手洗さん、実は震災が発生したときは
ブータン王国の首相フェロー、というお仕事をされていました。
「東日本大震災の映像を見たときに、“何かできないか。東北の復興の力になれないか。”と考えて帰国することにしました。帰国してしばらくは、被災した地域のとある自治体でその地域の産業復興戦略をつくるお手伝いの仕事をしていました。ただ、最初はそういう風に自治体の方とお仕事をしてトップダウンで戦略を作るような仕事をしていたんですけども、だんだんと時間が経つにつれてこれから必要になっていくのは、具体的に新しい産業がおこって人々のなりわいが戻ってくること、人のサイクルが取り戻されていくことだろうと思いました。例えば、道路を元に戻すとか建物を再建するとかいうことはトップダウンでできることだと思うんです。でも、もう1回この被災した地域に産業がおこっていろんな仕事が始まって、働く人にお給料が支払われて、お給料を支払う会社も利益ができて、みんなが経済的にまわっていける状況を取り戻すのは、トップダウンではなかなか難しいと。」
2012年1月、御手洗さんは糸井重里さんと対談。
そこで、糸井さんから
『気仙沼で 編み物の会社をやらないか』という提案がありました。
御手洗さんは、このアイディアに賛同。
編み物の会社を立ち上げるために動き始めます。
まずは、手編みのセーターで知られるアイルランドのアラン島を訪ねました。
「アラン島はかつて手編みのセーターで世界的に知られた場所です。そこに行って、どういう風に手編みが行われていたのか、実はいま衰退してきているので、それはなんでそうなってしまったのか、とかそういうことを勉強しました。
アラン島で見たセーターは、模様が立体的にくっきり浮き上がっていてものすごく美しかったんです。それは、日本で見たことがある手編みのセーターとは全然違っていて、彫刻のような美しさがあるなと思いました。でも、日本の手芸用の糸などで手編みのセーターを編んでもそうはならず、もっと柄がへんにゃりしちゃってそんなに模様が浮き上がってこないんです。では、ヨーロッパのアイルランドの毛糸を持って来たらそれでいいかというとそうでもなくて、そうした毛糸は日本人にとってはちくちくしたり重かったりごわごわする。そこでアラン島で見たような柄がきりっと浮き出て、かつ日本の人にとっても軽くて心地よくて着やすいセーターを編むにはどうすればいいかということで、1から毛糸を開発していくところから始めました。」
次に重要だったのは、デザインです。
これは、どのように進めたのでしょうか?
「やはり洋服はいい素材であってもださいと買わないので、デザインが非常に重要でした。そこで編み物作家の三國万里子さんに、『最高にかっこいい王道をいくようなカーディガンを作ってください。』とお願いをして、デザインをしていただきました。」
最高にかっこいい、王道をいくようなカーディガン。
商品名は、三國万里子さんの頭文字からとって“MM01”と名付けられました。
毛糸が決まり、デザインも決まり、次に必要なのは手編みをしてくれる人でした。
そもそも、気仙沼は遠洋漁業が盛んな港町で、
編み物をする方がたくさんいらっしゃいました。
最初は、口コミで 編み手を探しました。
「口コミだけだと、ほんとはやりたいわけではないけど友達から頼まれたから来ました、という人とかいろんな人が入ってしまって、お互いにとってあまりいい出会い方をしないなと。そこで、2012年の8月、万里子さんにオリジナルの手袋をデザインしてもらって、それをみんなで編むという、編み物のワークショップを開催しました。そうすると、町の編み物好きに一気に会うことができまして、そのなかで特にお上手だった方にお声かけして、『実は編み物の会社をやろうと思っているんだけど、編み手になってくれないか。』というお願いをしました。」
2012年の12月、
オーダーメイドのカーディガン“MM01”を発表。
お値段15万円、という高価な商品でしたが申し込みが殺到。
このニットはいまも人気が続いています。
その後は、オーダーメイド以外の商品も発売。
今年は、バーニーズ・ニューヨークとのコラボレーションも実現しました。
「これもすごくかわいいです。ひとつはスリットが入った、すごくシルエットが今風だけど模様はクラシックなアランが入っているセーター。もうひとつはノースリーブで膝丈くらいのロングチュニックです。どちらも普通は編み物では作らないようなものなんですけど、作ってみたらとてもかわいくて。」
『気仙沼ニッティング』。
代表の御手洗瑞子さんに最後に質問。
将来的なビジョン、どんなことを思い描いていますか?
「基本的には、お客さんと働く人のどちらもがハッピーになれるような仕事をずっと
続けていくというのを一番大事にしたいです。それに加えてやっぱり、いつか世界のどこかの町で、
『気仙沼ニッティングってどういうきっかけでできたか知ってる?』
『あのいいセーターの会社でしょ。どういうきっかけでできたの?』
『2011年にあの地域で大震災があって、それをきっかけに新しい仕事を作ろうということで生まれた会社なんだよ。』
『知らなかった、あのブランドにはそういう背景があったんだね。』と、そういう会話が世界のどこかでされるような、いいセーターを作る会社として世界に知られていく存在になれたらいいなと考えています。」
いつか世界のどこかの町で、その始まりの物語が語られる。
そんなブランドになりたい。
しかし、お話を聞いていて僕たちは確信しました。
それは、それほど遠い未来のことではないはずです
●これからの季節に、とっておきのニットはいかがですか?
“気仙沼ニッティング”について、購入の方法などは
公式ウェブサイトをご確認ください。
http://www.knitting.co.jp
~このストーリーは、FMラジオ局J-WAVEの番組JK RADIO TOKYO UNITED
(ナビゲーター:ジョン・カビラ)でも紹介されました。毎週金曜朝10時40分からさまざまなプロジェクトのHidden Storyをご紹介中。スマートフォンやパソコンでも聴くことができます。番組サイトは「さらに見る」からチェックしてください~