Courtesy of FENDI
キウリが捉える現代の身体は、ひとつの定義に収まるものではありません。強さと脆さを同時に持ち、マスキュリンとフェミニンが交わり、さらに他者との関係によって変化していく存在です。その考えを象徴するように置かれたのが、詩人E.E.カミングス(E.E. Cummings)の言葉です。
「I like my body when it is with your body(あなたと一緒にいる時の、自分の身体が好き)」
自分の身体だけを見つめるのではなく、他者と出会うことで自分の身体を認識する。そこからキウリは、衣服を身体を覆うものではなく、感情を受け入れる多孔質な「第二の皮膚」として捉えていきます。
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キールックのひとつでは、白いシャツを削ぎ落としたようなトップの下に黒いランジェリーが現れます。別のルックでは、淡いサーモンピンクのスリップドレスが、それ自体で街を歩くための服になる。何を見せ、何を隠すのか。その境界を決めるのは、衣服の慣習ではなく、それを着る身体です。だからここでのランジェリーは、身体を誰かの視線にさらすためだけのものではありません。むしろ、自分自身を見せることを自分で選ぶ、その自由を表すものとして現れています。
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その背景にいるのが、イタリアンポップカルチャーを象徴するラファエラ・カッラ(Raffaella Carrà)です。ステージ衣装だけでなく、自らの欲望や生き方、思考における独立性を表明した存在として、今季の女性像に重ねられています。
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デニムにシャツとテーラリングを重ねたルックでは、それぞれの服が持っていたはずの輪郭が崩され、長さもレイヤーもずれていく。男性的、女性的という既存の読み方のどちらかへ着地するのではなく、その「あいだ」に新しい身体のあり方が浮かび上がります。重要なのは、そこでどちらかが優位にならないことです。
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男性性の中に女性性を加えるのでも、女性服を男性的に変えるのでもない。異なるものが対等なまま存在し、着る人の身体によってひとつのスタイルになる。そこには、何をどう着るべきかという階層も、同調するためのルールもありません。
鏡を見ることで、「他者」を発見する
ランウェイを取り囲む鏡も、このコレクションにとって重要な意味を持っています。着想源となったのは、イタリアのアーティスト、ルチアーノ・ファブロ(Luciano Fabro)の「Cubo di specchi(ミラーキューブ)」。鏡は通常、自分自身を見るためのものです。しかしここでは、モデルの身体も、観客も、周囲の空間も繰り返し反射し、ひとつの身体がいくつもの像へと増殖していきます。
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そこに映るのは、自分だけではありません。自分の隣にいる誰か、その向こうにいる誰か、そして自分と他者が同時に存在している空間そのものです。冒頭に置かれたカミングスの「あなたと一緒にいる時の、自分の身体が好き」という言葉が、ここで別の形を持ち始めます。身体は孤立して存在するものではない。他者との距離や視線、触れ合いによって、自分自身の身体への認識も変化していく。鏡は自分を確認するための装置から、他者との関係の中で自分を発見するための装置へと変わります。
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まず身体がある。強さと脆さを持ち、誰かと関係を結び、見せることと隠すことを自ら選び、男性性と女性性の間を自由に行き来する身体。その身体から考え始めれば、ランジェリーは必ずしも内側にある必要はなく、ドレッシングガウンは室内だけの服ではなくなり、男性服と女性服を隔てる境界も意味を失っていきます。
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衣服が身体を規定するのではなく、身体の欲望が衣服を変えていく。だから、2027年春夏のフェンディにおける「第二の皮膚」は、身体を閉じ込める殻ではありません。感情を通し、他者を受け入れ、異なるものを混ぜ合わせながら、その人自身とともに変化していく皮膚。マリア・グラツィア・キウリがフェンディで描くのは、身体の抑圧ではなく、その自由を讃えるための服なのです。