高校時代はその庭で友達のモンキーのエンジンをバラしてボアアップキットやビッグバルブを取り付けていた。誰かに手順を教わるわけではなく、すべて自己流で行った。
「必要な道具があれば誰だってできますよ。バラした工程を覚えておけば、その逆に組めばいいんですからね。取り付けるパーツを、どの部品と交換するかは一目瞭然。少しも難しくなんかありません。プラモデル感覚で新品パーツのバリなどを取れば作業がスムーズにいくし、完成したエンジンの感触もいい。手間を惜しまないというか、工夫することが好きな性分なのです」
高校卒業後は実家の旅館を手伝っていた。忙しいのは週末だけなので、平日は行きつけのタイヤショップや土木作業のアルバイトをした。
卒業間もないころに手に入れたスカイライン・ジャパンが初めての愛車だ。バイト先のタイヤショップでHKSのL型エンジンのターボキットを取り寄せてもらい、庭で自ら装着。モンキーをイジっていた要領で行えば難なくできた。注意点はチューニング雑誌を参考にしたそうだ。
「当時はコンピュータはブラックボックスで、燃料や点火時期を思うように変更するなんて夢の話でした。燃料の微調整はサブインジェクターを使って行いました。それも専用のコントローラーなどはなくて、圧力スイッチを使って任意のブースト圧になったら噴射するようにしていきました。今から思えば呆れるほどアナログな手法です」
もちろん空燃比計などはなくて燃料の濃い薄いはエキマニに取り付けた排気温度計を使ったり、マフラーの黒煙を目安にしたりしていた。そして最終的には加速力の体感で判断。結果的にこれが一番確実だった。
庭先には仲間のクルマも集まってきた。誰もが見様見真似で愛車にターボを付けていく。一般の人には異様な光景だったはずだ。スカイラインやZのL型ばかりでなく2T-Gを載せたTE71レビンもやってきた。学校のクラブ活動のノリでみんなで協力しあって和気あいあいとチューニングを楽しんでいた。
「そのころからサブインジェクターを使わずにメインインジェクターで燃調を合わせられないものかと解決策を模索していました。見た目もスッキリして格好いいし、効率もよさそうだし。失敗も多かったけれど楽しかったですよ」
何もせずに大容量インジェクターを使えばカブってしまう。そこでエアフロメーターのフラップの動きを細工してカブらないようにしていった。さらに水温センサーに可変抵抗をかまして圧力スイッチと併用し、狙ったブースト圧で冷間時増量分の燃料が噴射する工夫も施した。
NAにターボをセットする場合は、デスビのガバナ進角を固定する加工も行う。過給圧がかかれば進角を抑えたほうが点火時期が適正になるからだ。こうしてコンピュータをイジらなくても何とか辻褄を合わせていった。
そんな時期を経て、昭和60(1985)年にガレージ八幡をオープン。庭先での作業も限界で、さらにショップにすればパーツが安く仕入れられるメリットもある。自宅の隣の看板も付いていない車庫に、知り合いから安く譲ってもらったシャーシダイナモを設置しての活動だ。ダイナモは現在のように負荷がかかるタイプでないのでセッティングには使えず、馬力を測ってチューニングの効果を確認することが主な役割だった。
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