自分の人生に納得している人は、笑顔でいられる

2020.12.04 22:30
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。12月4日の放送は、マラソン元日本代表の市橋有里さんが登場。トップアスリートたちとの思い出や大好きな料理にまつわるチャレンジ、子供たちに伝えたいことなどを語った。
■自分の人生に納得しているから、笑顔でいられる
1999年の世界選手権で銀メダルを獲得した市橋さんは、21歳にして世界のトップランナーと肩を並べることになった。翌年には、日本代表としてシドニーオリンピックに出場。結果こそ15位だったが、市橋さんは「いろんな意味で自分を成長させてくれた大会でした」と、笑顔で振り返る。
走っている最中に、同じ日本代表としてメダル獲得を目指していた高橋尚子さんから給水を受けたことは、良い思い出の一つ。「はじめてレース中に他の選手からお水をもらったんです。大舞台で、こんなにも優しい行為があるんだと感動しました。世界的なトップの選手とも走れましたし、シドニーはとても充実した大会でした」。
しかし、それ以降はレースへの出場が激減。本来シドニーではなく、2004年のアテネオリンピック出場を目指していた市橋さんは、4年早く目標を達成してしまったことによって、気力が尽きてしまっていた。当時の状態について、市橋さんは「現状にメンタルが追いついていませんでした。今、思うとオリンピック以降は走っていても楽しくなかったんです。全然笑ってなかったし、友人からも“ロボットみたいだね”と言われてしまって」と述懐した。
そんな市橋さんが笑顔を取り戻したきっかけは、元プロテニスプレーヤー・伊達公子さんとの出会い。2004年のロンドンマラソンに挑戦する伊達さんの練習パートナーを務めることになった市橋さんは、「こんなに楽しそうにマラソンを走る人がいるというのが衝撃的でした」と語る。「伊達さんは、これまでやってきたことに対して納得もしているから笑顔でいられるんだと思ったんです。私も後悔しない人生を送りたいし、笑って走りたいと思うようになりました」。
■いじめられた過去、好きなことに打ち込むことで乗り越えた
伊達さんの笑顔に励まされた市橋さんは、2007年に現役を引退したのち、市民ランナーとしてマラソンを続けることを決意。また、得意だった料理の腕を活かして、料理研究家としても活躍。「マラソン」と「料理」が市橋さんの中で大きな軸になっていった。「飽きっぽい性格ではあるんですけど、現役時代も自炊をしていて、ずっと料理を楽しんでいますし、アラフォーになると出てくる体の不調も料理でカバーできたらいいなと思うので、今後も続けていきたいですね。私に必要なものを5大栄養素に例えると、マラソンが潤いを与てくれるビタミンだとしたら、料理はなくてはならない炭水化物かもしれません」。
2020年は、ある試みにもチャレンジ。東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれていた市橋さんは、聖火リレーが行われる予定だった47都道府県の順番と日程に沿って、その土地の郷土料理を作り、SNSにアップ。マラソンランナーと料理研究家の2つの顔を持つ市橋さんならではの試みは、大きな反響があったという。「各都道府県出身の知り合いにどんなものを食べているのか聞いたりして、作っていきました。地元の方から、“紹介してくれてありがとうざいます”というメッセージもいただいて、達成感がありましたし、楽しかったですね」。
現在、小学生を対象にした「かけっこ教室」のトレーナーも務めている市橋さんは、子供たちに「好きなことを続けることの大切さ」を説く。それは自身の過去の経験に裏打ちされたアドバイスだった。市橋さんは「中学生の頃、いじめに遭っていたんです。脚を蹴られたり、机に落書きされたりしました」と告白。「当時は絶望しましたけど、でも、好きだった陸上競技に打ち込むことで乗り越えられたんです。もし、今いじめに遭って、辛い思いをしている子がいたら、好きなものを見つけて、打ち込んでほしいと強く思います」と訴えた。
自分が経験したこと、感じたことを伝えたいという思いがある。今は、話すことで人と繋がれることが嬉しいのだという。将来の夢は、小料理屋を開くこと。市橋さんは「みんなと会話できるような、やんわりとした空間を作りたいんです」と目を輝かせていた。
次回11月29日の放送は、アイスホッケー日本代表の福藤豊さんが登場する。