「結果がすべてではない」は、結果を出すために努力している者の言葉

2020.07.10 22:30
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。7月10日の放送は、マラソンランナーの岩出玲亜さんが登場。陸上競技への思いや、プロ転向の際に考えたこと、人生のターニングポイントになった出来事などを語った。
■失敗も成功も、新しい経験に意味を感じる
岩出さんが陸上競技で生きていこうと決めたのは、中学1年生のとき。25歳となった今も、その思いを胸に走り続けている。岩出さんは「あれもできる、これもできると思ってしまうと、陸上競技がうまくいかなかったときに気持ちが揺らいでしまうので、ブレない目標が欲しかったんです。逃げ道を作らずに突き抜けたいと思っていました」と振り返る。
中学卒業後は、陸上競技の名門・豊川高等学校に進学。「陸上競技だけをやるぞと、私服を1枚も持たずに寮生活に飛び込んだんです。消灯は9時だし、休みは1日も無いし、練習漬けで毎日キツかったですけど、全国高校駅伝優勝という目標があったから頑張れました。高校3年の時、全国高校駅伝で走ることができた瞬間に、苦しかった思い出はすべて吹き飛びましたね」。
高校卒業と同時に実業団へ入った岩出さんは、2014年にはフルマラソンに挑戦し、10代女子日本最高記録を打ち立てた。そして、22歳で実業団を辞め、東京オリンピック出場を目指して、プロのマラソンランナーに転向。この決断について岩出さんは「恵まれた環境から飛び出したかったし、“本当はこうしたほうが、絶対に強くなるのに”という思いもありました。自分のやりたいことがやれずに我慢したせいでオリンピック出場を逃したら、きっと後悔するだろうなと思ったんです」と述懐する。
もちろん、環境の変化に不安はあった。岩出さんは「スポンサーも着るウェアも履く靴も変わる。もし、これで走力が落ちたり、自分の思っている走りができなくなったりしたらどうしようという恐怖はありました」と、当時の心境を明かした。
すぐに結果を求められるプロの世界はすべてが自己責任。一方で、失敗も成功も自分の成長に繋がることを知った。「あとあと考えれば、あの経験があったからこそ、成長できたということは多かったですね。タイムラグはありますが、経験と成長が結びつくことを理解してからは、変化することも怖くなくなりました。今は、新しい経験にすごく意味を感じています」。
■「結果がすべて」ではないと気づいた瞬間
2019年9月15日、東京オリンピック代表選考レースの「マラソングランドチャンピオンシップ」が開催された。上位2名が日本代表に内定するこの大会で、岩出さんは序盤に出遅れ、先頭から引き離されてしまう。このときの状況について岩出さんは「次のレースのこともありますし、体調面の負担も大きいので、2位以内に入れないことが確定した段階で、その場で棄権するつもりだったんです」と打ち明けた。
しかし、岩出さんはゴールを目指して最後まで走り切る。順位は、完走した選手の中では最下位の9位。ボロボロになっても棄権しなかったのは、沿道の応援に応えたかったからだという。「私が最後のランナーなのに、まだ前に待ってくれて、応援している人が見えたんです。あそこまで行かなきゃ、あそこまで行かなきゃと思ったら、どんどん距離が伸びていきました。走っている最中にも涙が溢れてきて、最後は泣きながらゴールしたのをよく覚えています」。
このレースを経て、最後まで全力を出し切ることの大切さを改めて感じたという。岩出さんは「レースが終わった後も“力をもらった”“明日から頑張ろうと思えた”など、直接声をかけていただきました。これまでは結果がすべてだと考えていて、勝てない=恥ずかしいと思っていたんですけど、決してそうじゃなかった。結果がどうあれ、一生懸命やったことって伝わるんです」と、言葉に力を込めた。
「結果がすべてではない」と言い切れるのは、結果を出すために懸命に努力し、果敢にチャレンジしているからこそ。ひとりのマラソン選手として、岩出さんには、やり残したことがある。「東京オリンピックに出られたら引退するつもりでしたし、出られなくても、もういいかなと思っていたんですけど、今は、もうちょっと頑張ってみようかなという気持ちが強い。1回くらいは日の丸をつけて走りたいです」と意気込んだ。
次回、7月17日の放送は、女子プロサーファーの川合美乃里さんが登場する。